(最終更新:2008/07/25) ここまで、公式のネタバレ掲示板での、主な竜騎士07氏の発言を見てきました。 その上で私が考えたことを書いてみます。 もう一度、昔のように 「暇潰し編」以前には、公式掲示板での竜騎士07氏自身による書き込みが見られました。 彼自身が、楽しげに様々なことを書き込んでいる姿を見ることが出来ます。 しかし、それ以降にはほとんどありません。 忙しくなった、人が増えてついていけなくなったなど、色々な原因が考えられます。 長い空白を置いて行われた「罪滅し編」後の発言は、ユーザー間の誤解を解くためのものでした。 これはある意味で義務的な説明で、あまり「遊び」のあるレスには見えません。 「皆殺し編」後にも発言があり、『楽しかった』と書かれていますが、とてもそうは見えません。 初期の和気藹々としたやりとりとは打って変わって、長文での論理展開に終始しています。 彼が、もう一度
【警告!】このテキストは若干ネタバレを含んでいます。『ひぐらしのなく頃に解・第八章祭り囃子編』までを鑑賞したことのある人以外は読まない事をお勧めします。最低でも『第七章・皆殺し編』までを鑑賞したうえでご覧になったほうが良いと思います【警告!】 『ひぐらしのなく頃』が完結して一ヶ月が経った。盛り上がりの果てに賛否両論吹き荒れる結末を迎えた本作品。前半部からもう一度読み返してみたが、なんだやっぱり面白い。抜群のエンターテイメントだ。細かい点はともかくとして、大まかなギミック*1は殆ど首尾一貫しているし、それを前提にした思い切った描写が第一章〜第四章にも為されていると再確認した。整合性がどうこうとアラをつけている人もいるけれど、八章もの長丁場において大まかな一貫性を維持出来たことは素直に評価しておいてもいいんじゃないかな、と思う。 さて、この『ひぐらし』には批判が色々突きつけられている。もしかす
サウンドノベル『ひぐらしのなく頃に』(以下ひぐらし)にはまっている。ひぐらしの特徴として、まず選択肢が全くないことが挙げられる。これは弟切草以来のサウンドノベルの常識に真っ向から反するものだ。自分でサイコロを振ってダメージを判定しなくていいからこそRPGであるように、サウンドノベルはゲームブックの行き先ページを探す手間がいらないからこそ意味があるのではないか? と思うのが当然だ。だがよく考えれば、サウンドもグラフィックもつけられるのだから選択肢がなくても普通の小説とは十分な違いは出せるのだ。 むしろ選択肢には弊害もあった。『正しい』つまりちゃんと未読のシナリオを読める選択肢を選べているか気になって集中できないという害だ。私は最近のサウンドノベルはやっていないからわからないが選択肢のフローチャート機能なるものががついているものもあるという。これは『ないと面倒くさくてプレイできないからオート
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