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エッセイとあとで読むに関するthebandのブックマーク (21)

  • ヨコハマの光と影を抱える街・関内で「横浜のもう一つの顔」を探す - SUUMOタウン

    著:井口エリ この街で私は、ウチキパン(元町にあるパン発祥のお店)の袋を抱えた上品なマダムを見た。 オレンジ色の高貴そうな装束を着た外国の僧を見た。 なにくわぬ顔で自転車に三人乗りする家族を見た。 コンビニ前で、行き交う人にガンを飛ばしながらフランクフルトをべるサラリーマンを見た。 横浜はたくさんの人が集まる「ハイカラな港町」であるが、なかでも関内に集まる人たちは、人種も性別も年代も職業も国籍もバラバラ。独特のカオスな空気を感じる。 ……なんというか、街の振れ幅が広すぎて、関内で過ごすことは一種の“異世界”体験なのかもしれないと、思うほど。 「おしゃれタウン横浜」という呪縛 神奈川県外の人に横浜に住んでいることを伝えると、だいたい「いいところだよね、横浜」みたいな反応が返ってくる。 うん、私もそう思う。 いいところだよね、横浜。 ほどよく都会で便利で、観光スポットもたくさんある。「キラ

    ヨコハマの光と影を抱える街・関内で「横浜のもう一つの顔」を探す - SUUMOタウン
  • 40歳になった女性・綾が住む街・・・それでも、女の人生は続く。

    代々木上原に引っ越した綾(37歳)の3年後・・・ 秋田の国立大学を出たのち、三軒茶屋、恵比寿、銀座に引っ越した綾。34歳のとき、外資系に転職した綾は、結婚に焦り総合商社勤務の男性と結婚し豊洲へと移り住んだものの、家事と子供に対する価値観の違いから別居し、37歳で代々木上原に移り住む。その綾の2年後、40歳のお話。 前回:37歳女性が住む街「代々木上原」。私はおばさんになったか?

    40歳になった女性・綾が住む街・・・それでも、女の人生は続く。
  • ある光(あるいは、ぼくが小沢健二を聴いた頃)

    目の前に希望なんて無かった。光なんて見えなかった。 友達だって少なかったし、自分が一体何を好きなのかさえ分からなかった。 高校時代のぼくは、空っぽだった。 小沢健二を知ったのはそんな時だった。 テレビ画面に映っていたダウンタウンとじゃれ合う痩せっぽちのその青年は、見た目の弱々しさとは裏腹に、自分がどれだけ凄いかを自信満々に、それでいて、嫌味なく語っていた。 そして、その歌声は決して、上手いとは言えないか細いもので、けれど何か幸福感に満ちていて、ぼくには何だか眩しすぎるような気がした。 でも、ぼくはなぜだか分からないけど、小沢健二を好きになろうと思った。 たぶん、背伸びをしたんだと思う。 ありとあらゆる種類の言葉を知って 何も言えなくなるなんてそんなバカなあやまちはしないのさ! 屈した日常に一筋の希望の光を与えてくれる存在だと思ったのかも知れない。 確かに彼の音楽は心地よく、何度聴いても飽

    ある光(あるいは、ぼくが小沢健二を聴いた頃)
  • 幸せの増田を拡散させたい

    2009年に初めての増田を投稿してからちょうど8年が経った。 その間、いろんなことがあったけど、今でも毎月1〜2はずーっと増田を書いている。 その時々の皆が興味を持ちそうなテーマを選んでは、自分の過去の経験や考えに少しだけアレンジを加えて書き続けた。 (100%創作を書けるほどの才能はない) そんなお金にもならない、誰にも自慢できない創作エッセーを書き続ける理由は一つだけ。 「読んだ人が幸せになる、役に立つ情報は拡散する」 という証明をしたいからだ。 今のネットは増田を始めた8年前よりも大きく拡大し、ひどい言葉もいっぱい飛び交うようになった。 日常や世の中の不安や怒りを、殴りつけるように書く。 それを読んだ人は、不快であることを表明する。 賛同される。やりこめる。反論する。炎上する。 アクセス数目当てに炎上させる人間もたくさん生まれた。 毎日毎日そういう記事や話題ばかりが上がってくる。

    幸せの増田を拡散させたい
  • 沖縄のヤンキーの知性の限界の話 - 根室記念館

    noteにプリティーリメイクしました。移動お願いします。 https://note.mu/nyalra2/n/n6ac4c19b7a6d

    沖縄のヤンキーの知性の限界の話 - 根室記念館
  • 自分のことを誰も知らない場所へ行きたい - 今夜、どこで寝る

    言ってしまえば現実になる気がするので書きますが、今年の夏、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路を800km、徒歩で走破します。 そのあと、「地の果て」と呼ばれる場所までさらに90km歩いて行って、着てる服を燃やす。 スペイン巡礼のことを知ったのは、数年前にバルセロナに旅行に行った時だった。 日人宿に泊まり、毎日お茶を飲んだりその辺を散歩したりしてダラダラ過ごしていた。 ある日、みんなで夕を作ってべる会に誘われ、料理を作って宿の居間へ集まった。7〜8人くらいはいただろうか。乾杯をしたあと、順番に自己紹介と、なぜバルセロナに来たのかを話すことになった。 わざわざバルセロナまで来て日人宿に泊まるくらいなので、変わった人が多かったように思う。 休学して世界一周している大学生、弾き語りをしながら旅をしている人、スペイン料理の修業をしに来たシェフ……。20代から30代が多い中、一人だけ、5

    自分のことを誰も知らない場所へ行きたい - 今夜、どこで寝る
  • 「星野源のライブ行かない?」と誘われた - kansou

    「星野源のライブがあるんだけど、もしチケット取れたら一緒に行かない?」と誘われた。 星野源が今年全国ツアーをやるらしい。当然、今住んでいる札幌にも来る予定で『コウノドリ』『逃げるは恥だが役に立つ』ですっかり星野源のファンになっちまった彼女はどうしてもライブに行きたいらしい。 別にそれはいい。だがよ…ひとつ問題があるんですよ…ツイッター眺めてたらよぉ…なんか知らん女のツイートでよぉ… 「星野源のライブに行ったんだけど、女が連れてる男がもれなく星野源みたいな男だった」 はぁぁぁぁあぁああああ〜〜〜〜〜〜!!!??な、納得いかねぇ〜〜 俺の顔面はもろ星野源タイプの人間で、大きな括りで塩顔かしょうゆ顔かで言ったら塩顔、ヤン坊マー坊で言ったらマー坊、ほ乳類か爬虫類かで言ったら爬虫類。 だからどうせ星野源のライブ行ったら、 「あ〜こいつも地味目の男が星野源に憧れてちょっとオシャレ頑張っちゃったパターン

    「星野源のライブ行かない?」と誘われた - kansou
  • 東京育ちで大学に行っていない夫と地方育ちで大学に行った私の話

    私の夫は東京で生まれ、東京で育った。 彼の両親も、それぞれ23区ど真ん中にある一軒家で育った。 夫の親族のほとんどは都内に家があり、大半は大学出で、半数が東大海外の大学を卒業している。 母方のひいおじいさんは大学教授、おじいさんは会社経営者で、父親は超大企業に勤めていた。父方の祖父は医者だ。 ど都心にある両親の実家はそれぞれ部屋数が10以上あり、庭は子供が鬼ごっこをできる広さがある。 ここまで聞くと、小町によくあるような夫自慢に思えるかもしれない。 しかし、夫自身は大学に行ってないし、お金持ちでもない。 夫は都内の私立の中高一貫校に進学し、専門学校(夫曰く、名前を書いたら入れるそうだ)を卒業してエンジニアになった。 年収は同世代の中央値のちょい上くらいで、1千万円を超えることは一生ないだろう。 実家もロクデナシの父親のせいでお金持ちではなくなっている。 一方私は、中堅地方都市にあるアパー

    東京育ちで大学に行っていない夫と地方育ちで大学に行った私の話
  • 明日部下を一人クビにせなならん

    あー嫌だ嫌だ 俺は人に何かキツイ事を言うのは苦手なんだよ どっか他の部署の人が拾ってくれねーかなと思ったんだけど無理だった 体力あるけど頭悪いし視野が狭いし なんかこれだと思いこんだら一人で手遅れになるところまで勝手に進むからクビにするしかないんだけどさー いつも客に勝手にいらんことして進むんだから退職届とか勝手に書いて持って来てくれないかな? いらんことはするくせにこっちに都合の良いことは勝手にはやらないっておかしいだろ? いつもみたいに確認せず黙って勝手に動けよ 黙って勝手に退職届書いて俺の机に置いて消えてくれ お前のせいで始末書を8回書いたし客を二回失ったし業務変えも3回もしてやったよな? しかもお前がやりたいって言った仕事を割り振ってやったよな 俺は今までどれだけてめーの為に動いてやったんだ 俺の結婚式とかも呼んでやったしフットサルとかベーゴマとか教えてやったじゃん 最後くらい俺の

    明日部下を一人クビにせなならん
  • 彼氏がいるのに、彼氏がいないと言い続けるおんなたち。 - おんなのはきだめ

    友達と「ドタイプな人が現れ、彼氏がいるか問われた時に、彼氏がいることを正直に言うか」という話になった。 聞くところによると、1人はタイプの前ではいないと嘘をつくらしく、もう1人はうまくいかなくて自然消滅状態、と答えるらしい。 私は誰に対しても正直に答えてしまう。 はなから「彼氏います」なんて言ったら、いいなと思われていても7割型シャッター閉じられちゃうよ、うまくやりなさいよといなされたのだが、その彼氏いるいない論議でふと、思い出したことがある。 大学生の時、1年半ほどスナックでアルバイトをしていた。 ゆるい店で、営業活動などはしなくてよく、酒をつくってだらだら飲んでればいいだけの店であった。 今考えるとなんともいい店だった。 お客は8割がた常連で、お客はママとチーママと、年下の仲の良い飲み友達に会いに来ている、という感じ。 お触りも、色恋も一切なかった。 ママがしっかり目を光らせていたし

    彼氏がいるのに、彼氏がいないと言い続けるおんなたち。 - おんなのはきだめ
  • 好きなものを好きと言うのは好きだな。 - ASKA_burnishstone’s diary

    でもね、 嫌いなものを嫌いと言うときは、気を遣わなくてはならない。 行動、発言には、その人の理由があります。 理由の裏打ちを察した上で、言葉を選ぶ。 これは、ひじょうに大切なことだと思っています。 「歯に衣を着せぬ発言」 これは、誰もが使えるものではありません。 その人の人となりが認められてこそ、それは受け入れられます。 僕は、〇〇の司会者〇〇君が好きです。 彼は、とても愛情深く、そしてすばやく人の気持ちを感知して言葉を選んでいます。 「私は、思ったことは言うんだ。」 これは、わかり合うために必要なことだとは思いますが、 これには「伝える」という気持ちが備わっていなければなりません。 僕は、「歯に衣を着せぬ〜」が、あまり好きではありません。 感情の流れからの、その場の雰囲気が壊れることが嫌いだからです。 ただ、 「やりたいことをやる やりたいように」 これに関しては、信念が見えますので、

    好きなものを好きと言うのは好きだな。 - ASKA_burnishstone’s diary
  • 坂村健の目:忘れないということ | 毎日新聞

    今年3月で東日大震災より6年--七回忌となる。その日、恐ろしいほど多くの「縁」が突然断ち切られた。画面越しとはいえ、あの日の光景は忘れられない。個人、家族を超え、コミュニティーまでもが深い傷を負った。その日に思いをはせ死者を悼むのは、同時代に生きた日人なら当たり前のことだ。 3月にはテレビや新聞でもいろいろな特集が組まれるだろう。毎年、その日のヒューマンストーリー、光の当たらなかった多くの苦難が掘り起こされてきた。 しかし、もしそこに「忘れないために」というような枕ことばが付くなら、私は違和感を抱く。年忌は死者を忘れないためのもの。しかし、「その日」被災した「その地」は、今も活動している多くの若者が未来を描いている地でもある。

    坂村健の目:忘れないということ | 毎日新聞
  • 少し、気になってること。 - aska_burnishstone’s diary

    2016 - 12 - 27 少し、気になってること。 「愛してる。」 と、言わなくてもなくても愛は伝わる。 「ごめんね。」 と、言わなくても気持は伝わる。 言葉は、伝えるための道具。 どんなに上手く装備しても、伝わらなくては、ただの道具。 今、世の中では、僕を庇う様相を見せながら、 特定の人たちを攻撃している人たちがいる。 ただの道具を使って。 きっと、それは、たくさんの人たちがそう感じたから。 「ごめんね。」 僕に、それが届かなかったのを、たくさんの人たちが敏感に感じたから。 心は波動。 たどり着くもの。 水際の小石が、コロコロとさざなみに巻き込まれながら、 陸に届き、そして空気に触れることができたとき、 やっと、それを摘むことができる。 水の気持ちを陸が知るとき。 たくさんの人たちが、道具を使って、小石を動かすような振りをしてるけど、 水面からでは、決してできないこと。 声を上げて、

    少し、気になってること。 - aska_burnishstone’s diary
  • 女ぶるのが恥ずかしかった

    発育が良かった。子供の頃は周りからいつも頭一つ身長が抜けてた。 可愛いねぇよりもスタイルいいねぇ将来はモデルさんだねぇと言われた記憶がある。 母親の趣味からふりふりの服を着ることはあまり無かった。 アメリカの子供みたいなオーバーオールとか帽子とか、男の子ファッションをしていた気がする。 あとセーラームーンではあみちゃんが好きだった。なのでピンクや赤ではなく青色を選んでいた。 髪の毛も短くしていた。これは何故かはよくわからないが、中学生になるまで男の子みたいな髪型だったと思う。 小学生になってあるとき親の趣味で赤いワンピースを着た。スカートも履いた記憶が冠婚葬祭くらいしかなかったので少し「どうなんだろうこれ」という感情はあったが その時大好きだったアニメ『魔女の宅急便』に感化されキキ気分で赤いカチューシャをして街へ繰り出した。 同い年くらいの見知らぬ男の子が、私を見て言った。「男女」と。 私

    女ぶるのが恥ずかしかった
  • 大人になることは、人生の主役を降りることなのかも知れない。 - おのにち

    40過ぎて今更、と思われるかも知れないが、ある朝ふっと大人になったことに気がついた。 他人に譲れるようになった。 自分が目立たなくても役立たなくても、全体が上手くいっていればそれでいい、と思えるようになった。 人を自然と褒められるようになった。 追い抜かれても妬んだり、やっかんだりしない。当たり前に祝福できるようになった。 自分の時間が欲しい、と苛立っていたけれど、子どもたちが巣立ったらずっとそうなのだ、と気がつき今はきちんとべさせたり、家の中を片付けたり、彼らと向き合うことが一番大切なのだと思えるようになった。 たぶん、道を譲ったのだ。 まだ歩き続けてはいるけれど、レースを退いて歩道からのんびりと、声援を送りながら歩いている感じ。 コースをひたむきに走っているのは私の息子や後輩たちで、彼らに声援を送ったり、体調管理をしたり、サポートをしたり。 それもまた大切な仕事で、今の私がやるべきこ

    大人になることは、人生の主役を降りることなのかも知れない。 - おのにち
  • ただただゆったりと時間が過ぎていく街「逗子」で穏やかに暮らす - SUUMOタウン

    著: Taki 中学生になる前に横浜市から引越し、大学を卒業して働き始めるまでずっと住んでいた街「逗子」。 逗子ってどこ?と聞かれることも時々あるけれど、「鎌倉の隣」と言えば大体伝わる。その隣の鎌倉に比べると海が近いという共通点はあるものの、有名な神社仏閣も無く、特別有名な観光スポットも無く、お洒落というよりは、懐かしさや素朴、のどか、レトロというのがなんとなく似合う街。 逗子駅を降りてすぐにある「逗子銀座商店街」を見ていただければ、そんな逗子という街の雰囲気を分かってもらえるかもしれない。 位置的には三浦半島の付け根にあり、東京駅からは電車で約1時間でJR逗子駅に到着する。横浜駅からは約30分。JRの駅から歩いて5分ほどの場所には京浜急行の「新逗子駅」もある。 長く住んでいたけれど「逗子という街の魅力」についてしっかりと考えたことは無かった。なんだろう。 駅近くにデパートや大きな商業施設

    ただただゆったりと時間が過ぎていく街「逗子」で穏やかに暮らす - SUUMOタウン
  • チェーン店以外に行くのが怖い【リバイバル連載】|移動時間が好きだ|pha

    pha 1978年生まれ。大阪大阪市出身。現在東京都内に在住。京都大学を24歳で卒業し、25歳で就職。できるだけ働きたくなくて社内ニートになるものの、28歳のときにインターネットとプログラミングに出会った衝撃で会社を辞める。以来毎日ふらふらしながら暮らす。シェアハウス「ギークハウスプロジェクト」発起人。著書に『持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない』『ひきこもらない』(幻冬舎)、『ニートの歩き方 お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法』(技術評論社)などがある。

    チェーン店以外に行くのが怖い【リバイバル連載】|移動時間が好きだ|pha
  • 館内の端っこに座ってるだけじゃない!岐阜県美術館の監視係のお姉さんが描く仕事エッセイ漫画がじわじわ人気

    岐阜県美術館 @gifukenbi 岐阜県美術館公式アカウントです。展覧会やイベントの情報、美術館の見所などについてつぶやいていきます。 The Museum of Fine Arts, Gifu http://t.co/HouYRoIWAH リンク www.facebook.com 岐阜県美術館 | Facebook 岐阜県美術館、岐阜県 岐阜市 - いいね!768件 · 205人が話題にしています - 岐阜県美術館の公式Facebookページです。様々な企画展、イベント、ワークショップ等のお知らせや、活動レポートをお届けします。

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  • パン屋のおばさんにオシャレな問いかけをされた - 真顔日記

    現在、私の右ほほには傷がある。 誰かとケンカしたわけではない。飼いネコに引っかかれたのである。抱きかたがまずかったのか、ネコが落ち着かないようすでピョンと飛び降りようとし、私のほほに爪をたてたのだ。マンガでしか見たことのないような分かりやすい傷である。しかし今の生活では、顔に傷があってもたいした問題ではない。一週間もすれば消えるだろう。 今日、パン屋のおばさんに言われた。 「その傷の理由、聞いてもいいのかしら?」 このオシャレな問いかけはなんなのか。ちょっと笑いそうになったじゃないか。完全に不意をつかれたから、「いやあ、ネコに引っかかれちゃって……」と、ものすごく凡庸な返答しかできなかった。ぜんぜんオシャレじゃなかった。 あれはどうすればよかったのか。向こうがオシャレに問いかけてきたんだから、こちらもオシャレに返すべきだったんだが、いまだに正解がわからない。帰宅後もずっとモヤモヤしている。

    パン屋のおばさんにオシャレな問いかけをされた - 真顔日記
  • 銀座の隣の「新富」で、東京のよそ者として生きる(著:田村美葉) - SUUMOタウン

    著: 田村美葉 地元の金沢から上京してきたのは2003年の春、18歳のころだが、大学生としての最初の4年間というのは、サークルとか、研究室とか、バイト先とか、随分狭いコミュニティーの中で過ごしていた。2003年なんてついこの間のようだが、iPhoneTwitterGoogle Mapもなかったので、今とは全然違う移動の仕方をしていたように思う。 目当ての駅についたら、地図帳の該当のページを広げて、目的地を目指す。ページの端にたどりついたら、番号をたよりに「次のページ」へ。東京はそんなふうに、B5サイズの四角い見開きの一つひとつとして分断されていた。 就職を機に、それまで住んでいた学生会館を出ることになった私が選んだのは、中央区の新富というエリアである。大学生協ご用達の不動産会社から送られてきた物件情報の中で会社に最も近いのがそこだったからで、ほぼ、間取図だけ見て決めた。 世界が、分断さ

    銀座の隣の「新富」で、東京のよそ者として生きる(著:田村美葉) - SUUMOタウン