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教育と価値観に関するthebandのブックマーク (4)

  • スポーツに暴力は必要か/山口香 - SYNODOS

    私が生まれたのは1964年(昭和39年)、東京オリンピックが開催された年である。当時のスポーツアニメ、ドラマを思い起こせば、『巨人の星』や『アタックナンバーワン』といったいわゆる根性ものが全盛の時代だった。苦しくても辛くても耐えて栄光をつかむという物語が多くの人の共感を得た。なぜなら、その時代は日全体が我慢して骨身を惜しまず働けば、豊かさを手に入れられると信じて突き進んでいた時代だったからだ。豊かさの定義も、テレビや冷蔵庫、車など物質的なものにあり、目に見える、わかりやすいものだった。その後、時代は進み、日は世界有数の経済大国となり、物が溢れ、何が豊かさなのかも判断できなくなっていった。人々の求めるものや価値観は多様化し、思い描く豊かさや夢は昔のように単純なものではなくなった。 時代が変化したにもかかわらず、スポーツだけは当時の根性主義をどこかに引きずってきてしまったようだ。おそらくそ

    スポーツに暴力は必要か/山口香 - SYNODOS
    theband
    theband 2017/03/06
    “辛くても耐えて栄光つかむ物語が共感を得た~日本全体が我慢して骨身を惜しまず働けば、豊かさを手に入れられると信じ突き進んでいた時代~豊かさの定義もTVや車など物質的な物、目に見える、わかりやすい物だった”
  • 将来の夢とは何か

    「あなたの将来の夢は何?」 私は今までにこの質問をされてもうまく答えることができなかった。 なぜかというと、私にとっての夢は特定の職に就くことではなく 自分の好きな時に水族館や、展覧会や、映画を見たり、何か素敵な体験をする事なのでそもそも社会と夢の捉え方がズレている。 特定の職に就職することが夢とされるのは何故だろう? 仮に先生になりたいとして、大学に行って勉強し、教員の資格を取り、めでたく学校に採用されたとする。これで先生と呼ばれる立場にはなったけど、それは法的にそうというだけで経験的にはまだ新米のはずだ。それを夢が叶ったと表現するのは私には違和感がある。 もしテーマパークに行くことが夢ならばその場所に足を運べば達成した事になるが、仕事は継続するものなので採用が決まった時点で先生になった!夢が叶った!というのはおかしいと思う。どんな事でもそうだけど採用が決まった時点で完成している人などい

    将来の夢とは何か
    theband
    theband 2017/02/26
    ブコメにも「夢を叶えるには金が必要」って論調あるけど、それも他人の価値観を自分の尺度で語ってるよ。夢(願望 充足の基準)が金や職種と無関係なケースはいくらでもある。生活には金が必要ってのは夢とは別の話題
  • 『発達障害者』に勉強を強いるのって「虐待」じゃないの?|ガジェット通信 GetNews

    僕は、身体障害者ながらも家庭教師という仕事をやっている。 昔は家庭教師というと、お金持ちが塾とはプラスして個別でも見てもらって勉強させる目的に仕事を頼む、というのが一般的だったのかもしれないけど、今は一般家庭、それどころかあまり裕福でない家庭でも仕事をお願いされることがある。 理由は簡単。家庭教師を頼む家庭の子供は、十中八九「発達障害」や「軽い知的障害」、「精神病」のようなものを抱えているから、親としても無理をしてでもなんとかしたいのだと思う。 そして、僕が診る家庭の殆どの親御さんがこれらの「脳の障害・病気」に関して無知だったりするからやっかいだ。 これらの障害は目で見て分からないものだ。だから、人がサボっているだとか、やる気がない、とか思われてしまっているという現実がある。 正直、「障害者と健常者の壁を埋めたい」と偉そうなことを僕は言いながらも、こういう子達の中でも診るのがキツいと感じ

    『発達障害者』に勉強を強いるのって「虐待」じゃないの?|ガジェット通信 GetNews
  • 毒親家庭に拒否反応起こす人いるよな

    http://zuisho.hatenadiary.jp/entry/2017/01/22/002934 知識として毒親という存在を知っていても、別世界の家族形態だとしか考えられず、現実に問題として抱えている人が身近に生活しているという感覚を持っていない。その世界が目の前に現れても見たくなかったという反応が勝って否定しようとする。 この記事も晴天の霹靂として現れた毒親家庭のせいで激しく動揺し混乱している書き手の心情がよみとれる。 健全な家庭で育った証なのかもしれんが、逆に健全な家庭で育つだけだとこのような家庭の存在に対する免疫を獲得しないまま大人になってしまうのかもしれんね。 このような機能不全家庭はいつの時代もそこかしこにあり、かつての友人や職場の同僚やすれ違う街の人たちの家庭もこのようである可能性が常にあるのだが、それでもこのような人たちは全ての人たちは健全な家庭で育った自分と同じ価値

    毒親家庭に拒否反応起こす人いるよな
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