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洋楽とスティーリー・ダンに関するthebandのブックマーク (2)

  • リッキー・リー・ジョーンズ、ウォルター・ベッカーを悼む(RS誌より) – comics and songs

    ローリング・ストーン誌のweb版に、ウォルター・ベッカーとスティーリー・ダンについての、リッキー・リー・ジョーンズらしい、時間を行ったり来たりの長い長い思い出話が載っていた。1970年代のティーン・エイジャーにスティーリー・ダンがどんな存在だったかを物語るすばらしい内容なんだけれど、あまりに話が長くてとても全部は訳せない。とはいえ、十分長いと思っていただける程度には訳してみたので興味のある方はどうぞ(追記:けっきょく全部訳してしまった)。 私が最初にスティーリー・ダンをきいたのはミズーリ州カンザス・シティ、家から逃げ出した父を追いかけて一緒に住み始めてから二年目の夏。1970年で15歳だった。あの夏の夜、ラジオで「Do It Again」がかかってた。ちょっと薬をキメてから、レッド・ツェッペリンのUSAツアーを観にKCコンサートホールに向かってたときのこと。デートの相手は会ったばかりの太っ

    リッキー・リー・ジョーンズ、ウォルター・ベッカーを悼む(RS誌より) – comics and songs
  • ウォルター・ベッカーの訃報を受け、スティーリー・ダンの相棒ドナルド・フェイゲンが追悼コメントを発表 - amass

    ウォルター・ベッカーとは1967年にバード大学で学生として出会って以来、私の友人で、私のライティング・パートナーで、私のバンドメイトでした。私たちは、大学が寮として使っていたハドソン川の古いマンションWard Manorのロビーにある小さい居間でアップライト・ピアノを使って、おかしな小さい曲を書き始めました。 我々は多くの同じものが好きでした:ジャズ(1920年代〜60年代半ばまで)、 W.C. フィールズ、マルクス兄弟、SF、ナボコフ、カート・ヴォネガット、トーマス・バーガー、ロバート・アルトマンの映画が好きです。同じくソウルミュージックやシカゴ・ブルースも。 ウォルターはとても大変な子供時代を過ごしていました(詳しいことは省かせてもらう)。幸いにも彼は頭が良く、優秀なギタリストで、偉大なソングライターでした。彼は皮肉屋で、それは自分自身も含めてであり、大笑いするほど面白かったです。彼は

    ウォルター・ベッカーの訃報を受け、スティーリー・ダンの相棒ドナルド・フェイゲンが追悼コメントを発表 - amass
    theband
    theband 2017/09/04
    過小評価だった。ダン=フェイゲンと捉える人が多いが、ベッカーのソロ作を聴くと彼がダンにどれ程重要な魅力をもたらしたかわかる。危なくくすむ、破綻寸前の音を随所に埋め込む才覚。毒のような音。今、心が煙たい
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