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音楽とナショナリズムに関するthebandのブックマーク (2)

  • なぜ「演歌は創られた伝統」もナショナリズムなのか

    文章書くの苦手なので断片的な感じなってしまいます。 「演歌は創られた伝統」というのは要するに、「演歌はニセモノの日の伝統だ」ということですよね。 「ニセモノ」というのは、「ホンモノ」があるから成り立つわけです。ホンモノが明確ではないのであれば、ニセモノも明確ではないということになる。 だとすると、 「演歌はニセモノの日の伝統だ」という主張をするためには、 「これがホンモノの日の伝統だ」という主張が必要不可欠なはずです。 「演歌はニセモノの日の伝統だ」というを書く前に、 「これがホンモノの日の伝統だ」というを書かなきゃいけないはずなんですよ。 でもそんな書いてる人いないですよね。 「演歌はもともと西洋音楽だから日の伝統ではない」 ということを自明であるかのように語る人がいっぱいいるけど、全然自明じゃないです。 もし仮に、日は古来から文化的に排他的で海外のものを寄せ付けなか

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    HOME ARVHICE 来たるべき「非在の音」に向けて――特殊音楽考、アジアン・ミーティング・フェスティバルでの体験から 細田成嗣 来たるべき「非在の音」に向けて――特殊音楽考、アジアン・ミーティング・フェスティバルでの体験から 細田成嗣 「民俗」(folk)や「未開」(primitive)という用語と同様に知識階級の自民族優越思想の跡をとどめている「民族的なもの」(ethnicity)について語るのではなく ――ホセ・マセダ(1) 東洋とか西洋とかいうことばは、漠然たる位置と内容をあらわすには、たいへん便利なことばだけれど、すこし精密な議論をたてようとすると、もう役にたたない。 ――梅棹忠夫(2) 考えてみれば、「アジア論」とは、ヨーロッパが思いつきで与えたオリの中でのからさわぎのことではないだろうか ――田中克彦(3) (1) ホセ・マセダ『ドローンとメロディー 東南アジアの音楽思想

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    theband 2018/03/17
    "あらゆる「伝統」は究極的にはその根拠を持たない~伝統の無根拠性・偶然性は、自らのローカルな出自と逃れ難く関係する楽器と音楽の必然性から、新たな根拠地を掴み取るための自由な実践へと突き進む原動力ともなる"
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