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ブックマーク / disjunctive.hatenablog.com (7)

  • 伊藤桂一「大隊長、独断停戦す」『かかる軍人ありき』 - 仮文芸

    近代の心性とは商人のエートスである。 『タンポポ』(1985)に安岡力也がラーメン屋の改装を請け負う場面が出てくる。このとき、店主に好意のある安岡に対し山崎努が注意をする。曰く、金は当人に払わせろと。もし好意から無料でやってしまうと彼らの関係は徒党に堕ちてしまう。山崎はそれを恐れたのである。 近代の心性は徒党を何よりも嫌悪する。 ホッブズはコモンウェルス下の私兵を主権侵害として忌み嫌うのだが、彼はかかる集団を徒党と呼んでいる。 おそらく陸士中隊長の時分に辻ーんが「家来にならないか」と真崎甚三郎に勧誘されたことがあった*1。辻はそれをはねつけた。「閣下の家来になる前に陛下の家来である」と新井白石が嫌がるようなことをいった。参謀部の下っ端将校の時には「郷里は何処か」と訊かれると「私の国は大日帝国であります」と返した。毀誉褒貶の激しい辻ーんであるが、徒党や地縁に対しては妙に潔癖なところがあっ

    伊藤桂一「大隊長、独断停戦す」『かかる軍人ありき』 - 仮文芸
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    REV 2020/09/19
    “NF文庫なのに新制度派経済学のケーススタディのようななろう系なのである。”
  • 届け電波 『ほしのこえ』と『秒速5センチメートル』 - 仮文芸

    『秒速』のOne more time, One more chance は、その詩の明確さゆえに、キャラクターの心理に強固な拘束を課すことになる。タカキ君、明里、花苗、三者三様の心理がそこでモンタージュ展開されるのだが、この三人を包括するには、詩がタカキ君の心理に寄り過ぎるため、明里と花苗の視点が入り混じると不可思議な効果が現れてしまう。前話の「コスモナウト」で、明里は神格化されるあまり、幽霊譚のヒロインと化している。「秒速」のモンタージュでは、その神秘化された明里と明里自身の心理の指標たる、リアルタイムで等身大の明里が並走してしまい、場面はタカキ君に引導を渡しつつも大混乱に陥る。 One more timeの謳うタカキ君の未練は相当なもので、明里の面影をすごい勢いで求める彼が描画され、わたしたちを引かせることこの上ない。ところが、それらの一連の場面に、まるでタカキ君の面影を探すような素振

    届け電波 『ほしのこえ』と『秒速5センチメートル』 - 仮文芸
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    REV 2015/07/30
  • 秒速五十三光年 宇宙をかけるスペルマ 『言の葉の庭』 - 仮文芸

    作者が自分を投影する主人公に、ヒロインが「やさしくしないで」とすがりついてくる。女に与えた自分の感化にナルシシズムの喜びを認め、作者は打ち震える。恋にのぼせ上がるヒロインの視点は、自分の男前を上げてナルシシズムを煽るための作者のズリネタである。 この手の自己陶酔は誰にでもあるだろう。しかし、わたしたちは、ナルシシズムを病的なものだと捉えるよう躾けられている。わたしたちの自意識は自分を愛したいと願うが、同時に自分を病的に見られたくないとも欲する。病的に見られては、自己愛が達成できない。したがって、自意識は、自己愛の発露とともに、これが病的なふるまいであると自覚していることを外にアピールせねばならない。そうすることで、精神の平衡を保たねばならない。 そこには創作という活動の矛盾がある。自意識という内省的な活動がなければ、物は語れない。他方、外聞を気にする自意識はわたしたちの欲望を監察し、規制し

    秒速五十三光年 宇宙をかけるスペルマ 『言の葉の庭』 - 仮文芸
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    REV 2013/08/22
  • 埼京線に雪が降る 「桜花抄」『秒速5センチメートル』 - 仮文芸

    童貞的な形質にとって、女の好意の符丁は永遠の謎である。岩舟駅の待合室で、来られるかどうか定かではない男を、あの女は待ち続けていた。愛を誤信した男は、南の孤島で妄想を膨らませた挙句、廃人となってしまう。男を待ち続けたあの愛の強度とは何だったのか。語り手の自己愛の投影でしかない女には自律的な内面がない。女は、その天然ゆえの惰性で、永遠にわれわれをあの待合室で待ち続けるのだ。男に報復をするために。 +++ その女がどれほどかけがえないか、男がわかっているだけでは足りなくて、どんな点でかけがえがないのか、受け手にも実感が生じなければ話に乗れなくなるだろう。たとえば、『リクルート』のコリン・ファレルとブリジット・モイナハン。 コリンがブリジットに首っ丈なことは理解できる。しかし、なぜ首っ丈になったのか、これがよく伝わらない。語り手は、首っ丈をスリラーを醸す手段に過ぎないと割り切っていて、ただ男が発情

    埼京線に雪が降る 「桜花抄」『秒速5センチメートル』 - 仮文芸
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    REV 2013/02/05
    「たったこれだけで、新海は、これから生涯にわたって自分を苦しめるであろう女の魔性のすべてを表現している。新海の作劇力に疑問を呈す向きがある。とんでもないことだと思う。」
  • ドヤ顔ポエジー 『パトレイバー2』 - 仮文芸

    受け手が作の社会的文脈に無知な場合、柘植の動機は法令やROEの整備に尽きてしまう気がする。戦後史の知識を欠いた人間には、立法の過程に関するテクニカルな話に過ぎなくなるのではないか。しかしそうなると、クーデターもどきに至る飛躍がわかりづらい。作品内における荒川のポエムに準拠すれば、どうやら法令の整備を拒む有権者の意識に挑むため事件が起こされたらしいのだが、それがわかったところで、また別の問題が生じる。 懸念になっているイベントが、どのような不利益になるのか。これが明らかにならねば、事件は受け手とは関係のないアトラクションになってしまう。前に触れたが、パト2は不利益の実感に受け手の想像力を要求するため、法の不備のための無駄死に避けるために戦後を終わらせたい柘植の動機が届きにくくなっている。戦後が続くことの不利益とは何か。作品の冒頭で柘植が部下を皆殺しにされたように、政策の現場の人間にとっては

    ドヤ顔ポエジー 『パトレイバー2』 - 仮文芸
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    REV 2013/02/05
  • 地球の片隅で白いハトを飛ばす - 仮文芸

    ロマンティシズムの映像文法は、対話や振る舞いの間合いに心理の説明を託します。ダイアローグで費やされる間合いの長短が、ロマンティシズムとリアリズムを分けるのです。 リアリズム文法で作られた『仁義なき戦い 頂上作戦』('74)とロマンティシズム文法で作られた『広島仁義 人質奪回作戦』('76)の小林旭を比べてみましょう。 それぞれの台詞の間を図解するとこうなります。 時間に情緒的な帰依をした『広島仁義』のロマンティシズムと比べると、『頂上作戦』のリアリズムは簡素です。しかし図表からわかるように、いちいち時間的なりソースを費やすロマンティシズムに機能的な描画は向かないでしょう。 リアリズムは、心理を説明するというロマンティシズムの動機自体を疑います。感情は記述できるものではなく、もし説明できるとしたら信憑性がない。小津は言います。泣いたり笑ったりすれば感情を伝えるのはやさしい。しかしこれでは単に

    地球の片隅で白いハトを飛ばす - 仮文芸
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    REV 2009/01/07
  • 大戦略VのMLRS運用 - 仮文芸

    大戦略VのAHはAAGやMANPADSにある程度の抗甚性があるので、高射特科の支援があるとしても、AHの襲撃が予想されるとこちらの地上部隊を迂闊に動かせなくなる。AHを排除するには空軍の支援が必要だ。逆に、こちらがAAGやMANPADSの想定下でAHを使う場合、いくら抗甚性があるといってもCPUほど野蛮に走れないので、運用は神経質になりがちで制約が出てくる。向こうのAAGを潰さないとAHをのびのびと使えない。航空支援やAHを欠いた相手であれば、地上部隊でAAGを潰せば済む話であり、そうでなければ向こうの空軍やAHを排除するためにFSの支援を待つ他はない。しかし、AAGやMANPADSがいては、AHどころか空軍も動かしづらい。地上部隊は向こうのAHのために動かせず、航空支援の障害となるAAGやMANPADSを排除することが出来ない。では、どうするのか? 大戦略VはAHの運用について寛容である

    大戦略VのMLRS運用 - 仮文芸
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    REV 2008/03/17
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