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ブックマーク / hizzz.hatenadiary.org (8)

  • 2009-04-06

    …と、大きく出ではみたものの、以下はその一端なのであしからず。 「ホロコースト」はユダヤだけ示す、果たしてそれが正しい歴史定説か?id:hizzz:20090309#p6への反論に対する返答を含めた、id:hokusyu:20090324、id:hokusyu:20090326、id:noharra:20090405での拙コメント反論資料とか、いつものごとく込み込みで。 巷で喧伝されるナチ犯罪否定論の主な内容とは、大体以下のようなものになるだろうか。 1.ガス室は存在しなかったし、ホロコーストもなかった。 2.チクロンBは殺虫剤で殺人用ではない。 3.「ユダヤ人の最終解決」とは絶滅ではなく東欧移住。それ以外の政策をナチスは実施したことはない。 4.虐殺されたユダヤ人はせいぜい20万人程度で、ほとんど病死。 5.ナチスによるジェノサイドは、シオニズムと「人種差別主義国家」イスラエルの政治宣伝

    2009-04-06
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    REV 2009/04/13
  • 2008-12-10

    現代思想の十八番のように「ポスト構造主義」はやりとりされているが、このアイデアは元々建築デザインを土壌にしたもので哲学の発想ではないということが、しばしば忘れ去られてる。そもそも芸術は、たとえ「反芸術」「非芸術」な「コンセプチュアル」であろうとも、作品というマテリアルに具象結実してみせて初めて成立するという唯物論に立つんだけど。>『リアルのゆくえ』騒動 批評は、事象を二分して批評する/されるの、主体/客体の決定から始まる。 かって表現における権威は、権力存在によって保護された。為政者権力のパトロンという支配/保護が薄れてきたモダンの平地で、自律しかつ表現権力として表面張力を保つには、批評性というある種の毒を芸術作品の内部として持ち合わせていることが必須であった。ブルジョアジーの欲望に添いながらも、最後の一線ではその欲望に痛烈な一撃を喰らわせる創造。その裏切りのような作為が有効であればある程

    2008-12-10
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    REV 2008/12/28
  • 2008-02-26

    「相互批判が(少)ない」との憂いを記述してるからといって、「相互批判を展開される」気はかならずしも記述者にはないということなんだろうけど、では議論定義もされない「言いっぱなし」の「相互批判」はどうやって始まり帰結するというのであろうか? http://d.hatena.ne.jp/nichijo_1/20080221/p1にお邪魔してコメントした。 nichijo_1さんは、森岡正博『感じない男』*1の「射精神話」をひも解かれて、「女たちを批判するとミソジニーだと思われるという恐れ」=「ミソジニー批判拒否心理」を指摘する。その後「射精をしたからといっても男はイッテいるとは限らない」として、「あなたという女は「出されるだけの女」だ」と自らの固定的な射精観の猛省をせまる。 必要以上に(フェミ男性の)ミソジニー批判拒否心理が作動し女性側への批判が押さえ込まれ、結果(男女)相互批判の不足を招き議論

    2008-02-26
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    REV 2008/02/29
    主語をぼかしたイイワルイは議論に最適。サッカーかバスケットかを決めずにボール遊びするようなもの。ラグビーかも。
  • 2008-01-24

    ワタクシ、軍ヲタではないので、個々の軍人や兵器・作戦うんぬんにはナンの思い入れもないので、戦争に関する読み物を羅列して前回コメントのお題要請をさっくりかたずけようとしたら、そっちのほうが大変なことに。いやぁだって、なに書いてあったっけなーって内容確認する為にあちこち読み始めたりするもんだからさ。。。半藤一利や豊田穣や小島襄という戦争ものといえばよくでてくるのは省略して、ちょっと今日的視点からのもの中心。 他国と比べても旧日軍参謀権力の範囲は格段にデカかったと思われるのだが、さてそこに座った数々のエリート様方がなんで無能だったのか。陸大にしても海軍兵学校にしても、その卒業者は合わせても6万人たらずという数は、来業務の軍運営もキビシー。そこで培われた軍事知識は、占領統治や金融政策には管轄外。いやその軍事知識も、既存戦争を基にした知識の反復に始終した奇襲短期決戦、1対1の少数精鋭精神主義で、

    2008-01-24
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    REV 2008/01/24
    「定見成立する前提が前提と固定しえない刻々と流動する実業=実戦では、その内部整合性が非合理に作用するという原理」
  • 2008-01-11

    前回頂いたコメント*1をネタにして、前回続きで思うこと。 *1:コメント内容を否定したいわけではないので、あしからず。 『失敗の質―日軍の組織論的研究』に依ると、旧日軍の迷走は、過度な精神主義・戦力分析の欠如・過去の成功体験への執着という3点が原因であると書かれている。また最近の菊澤研宗『「命令違反」が組織を伸ばす』では、行動経済学の観点から軍の閉鎖性と不十分な情報の中限られた判断力の範囲で合理的な行動を取る限定的案合理性とがあいまって、個々が限定合理的に判断した結果、不条理な行動が繰り返されたと結論づける。 ある行為結果について「結果がだせなかったのは、環境周囲が悪いから」「あまりにも運にめぐまれてなかった」という意見はよくみかける。そういう状態もまたよくあることだ。しかしその分析結果をもってしてただちに行為者の結果責任への問いが解消することにはならない。特に上位指導的立場=行為決

    2008-01-11
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    REV 2008/01/13
    「対する部下は、すごく不利なのかといえば、実はその明確で具体的ではない指示だからこそ自己的な目的をそこに盛り込ませることが出来得る。」
  • 2007-03-23

    仕様をいぢってたら、過去リンクさせて頂いた皆様にもう一度トラバが飛んでしまったようです。おさわがせしまして申し訳ありません。 それだけではなんなんで? セカイはセカイでも、ひさびさにサブカルネタ。 漫画『げんしけん』で斑目が「オタクはなりたくてなったものじゃないからやめたくてもやめられない」と言っているが、これは立派な誤解である。ある程度オタクをやっている人なら、まわりがどんどんオタク趣味から離れていく経験はあるはず。おそらく作者はわかって斑目にこう言わせているのだろう。「やめられない」という幻想こそが、オタクを続けることに必要であり、人間の関心が変わらないことはないのに変わらないかのように思わせておくことが、オタク業界には重なのだと。 ARTIFACT 加野瀬未友 『インターネットの普及によるミーハー・薄い人の可視化と「オタクはやめられない」という幻想が「オタク世代論」を加速させる』 h

    2007-03-23
  • ネ タ の タ ネ - 教育権優先の議論

    理想ダケなら、誰でも言える。 年の瀬のオセオセ日程消化で教育法改正案参院特別委員会可決したのだけど、ここんトコの話題の流れを珍妙に思うのは、教育法改定とレアケースなとても気の毒ないじめ自殺はセットで語られそのスケープゴードとしてマイノリティとなってきた日教組がやり玉にされたのに反比例して、文科行政から学校から先生から生徒から卒業生迄広く関係しているマジョリティケースだった単位未履修問題は隠れて、やらせタウンミーティング以上に誰も責任の有無を問わないでなんとなぁ〜く「了解事項」となったこと。 必修漏れ、24年前から http://www.asahi.com/life/update/1213/006.html そもそも教育って社会的責任主体を育成してくハナシid:hizzz:20061101#p4だとワタクシ思ってるんだが、その責任の所在の在り方において、アバウトな言い方をすれば、どー

    ネ タ の タ ネ - 教育権優先の議論
    REV
    REV 2006/12/14
    「そもそも教育って社会的責任主体を育成してくハナシだとワタクシ思ってるんだが」「右派は国民が国家責任主体をもつハナシを、左派は国家が国民責任主体もつハナシを志向してるようだ。」
  • 2006-01-03

    あまりにもツッコミどころ多い、田透『萌える男』 イキナリ冒頭からかます「萌える男は正しい」宣言。煽りすぎ。そんな押し出しはマズいだろー。たとえそれが、孤高の非現実だろーが、ハタ迷惑なオレ様妄想だろーが、そもそもマスターベーション〜複数関係を伴った性行為を実践するセックス・コンシャスを含めたライフスタイルとその多様な選択枝は趣味の範疇、個人の自由意志。各自勝手に(自己責任で)ラヴラヴになるなり燃えるなり萌えるなりサメるなり萎えるなり降りるなり諦念するなり絶望するなり無視するなりして観念してれば、それでいーのである。正/不正をハク付けすることがらでは毛頭ない。 なのに自己正当化を主眼としてしまったトーンが濃厚な書は、『電波男』『電波大戦』とは違って、その分だけ無理に無理を重ねて至る所ベタとなったネタの再構築を「脳内妄想」に束ねるという方法論の飛躍強調に始終した結果、論証放棄となり、非モテ

    2006-01-03
    REV
    REV 2006/01/05
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