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ブックマーク / lets-skeptic.hateblo.jp (21)

  • 非合理な主張を信じている人は愚かなのか - 僕と懐疑の関係

    ずらずらと長い文章を書いているが、僕がタイトルの件について出してる結論は「愚かではない」である。 僕はしばしば公に非合理批判活動をしている。過去には信奉者との議論も多くやってきた。だから、なぜ非合理を信じるのか?というトピックに関してもそれなりに考えてきたという自負はある。 そんな中「結局、この人も欠如モデル*1なんですね」みたいな言及のされかたをしたことがある*2。僕としてはこの批判はピンと来ないのが正直なところであるが、せっかくなので考えておきたい。 また、上から目線だ、バカにしている…などなど、批判者だというだけで信奉者を見下した態度だというステレオタイプで見られることも多い。そもそも僕は超常現象信奉者出身だし、信奉者を頭が悪いとか愚かだとかいう捉え方をしていないので、ここのところも説明しておきたい。 科学知識の多寡が非合理信奉への陥りやすさを決めるか そもそも世の中の大多数の人が豊

    非合理な主張を信じている人は愚かなのか - 僕と懐疑の関係
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    REV 2018/12/19
    「パソコンでは心が伝わらない。文章は手書きをFAXするべき」みたいなのも愚かではないのね。ホッとした。
  • ニセ科学批判者曰く「うわ、そんなことありえないよ」 - 僕と懐疑の関係

    どう「ありえない」のか 僕らが「ありえない」というとき、それは論理的にありえない*1とか、物理的にありえない*2なんて事をいってるんじゃない。ただ、それを「妥当な結論である」と判断するなんてありえないと言っているのだ。 だから、「科学は絶対じゃない」とか、「自然の理解は概念スキーマによっていてうんぬん」なんていったような、理解の根に迫る哲学的でメタな問題提起はあんまり意味がない。必要なのは、その主張が十分に信頼できる又は妥当であるといえる根拠、ベタな根拠を示すことだ。 絶対主義と実在論は違う それでも「ありえない」なんて決め付けには反発を感じる人もいるだろう。「私は、そうであると主張したいのではない。ありえないという否定の仕方を否定しているのだ。」みたいな感じで。「ありえない」なんて話を聞いて、「あなたは自分が間違っている可能性を否定するのか」とか、「そんなことを言い切るのは科学絶対主義

    ニセ科学批判者曰く「うわ、そんなことありえないよ」 - 僕と懐疑の関係
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    REV 2012/09/15
    林檎は落ちる可能性はあるが、塾さないと落ちる蓋然性はない。でも、偶にカラスが突いて落とす。稀に台風や竜巻で舞い上がる。
  • 信奉者の説得についての経験談と思うこと - 僕と懐疑の関係

    何度か語っていることではあるけれど、僕は超常現象信奉者として、後には超常現象懐疑論者として掲示板上での議論を続けていた。話題は超常現象だけにはとどまらず、俗にいう「ニセ科学」の議論になったことも沢山ある。 そういった歴史の中で、信奉者に説得を行ったことも少なくない。オープンの場で行ったこともあるし、メールでのやり取りのこともある。これから、何度か説得についての僕の思いを書いていきたいと考えているのだけど、はじめに、僕が信奉者の説得についてもっている印象を書いてみたいと思う。当然、客観的事実とか普遍的な原則とかを話したいわけではなく、あくまで経験談であり、印象論にすぎないことには注意してもらいたい*1。 説得の受け入れやすさ 僕は傲慢にも「科学的考え方の啓蒙をするんだ」という思想を持っていた*2。だから、信奉者とのコミュニケーションが説得になるのも自然なことだった。結果、様々な人に対して説得

    信奉者の説得についての経験談と思うこと - 僕と懐疑の関係
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    REV 2011/09/13
    何かを信奉することは、精神の安寧を保つ上で合理的。但し、集団はジンギスカンかもよw
  • 医療ネグレクトの通報を行って考えたこと - 僕と懐疑の関係

    反省会 - 地下生活者の手遊びでid:tikani_nemuru_Mさんが反省会をしていた。私も通報者*1のひとりとして、似たような座りの悪さを感じていたので、遅くはなったけれど自分なりの反省会をしたいと思う。 私は、今回の行動を起こすこと(起こしたこと)については、行動以前も今も問題を感じていない。しかし、行動したと公表すること(公表したこと)については、座りの悪い思いをしている。 意外だったこと 公表すると決めたとき、まずはじめに手厳しい批判があるだろうことを覚悟した。「注目を集めて目立ちたいだけではないか」とか、「深刻な事態をニセ科学批判のネタにしている」とか、そういう類の批判があるのではないかと思ったのだった。それから、tikani_nemuru_Mさんの思いのように、チェーンメール化の問題もあるだろうと考えた。 ちょっと悩みはしたものの、もっと関係機関にパイプの太い人が動いて欲し

    医療ネグレクトの通報を行って考えたこと - 僕と懐疑の関係
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    REV 2010/07/20
  • ビタミンK欠乏症問題 - 僕と懐疑の関係

    ビタミンK問題が話題になっているので、私も書かずにはいられなかった。 ビタミンK欠乏症 新生児は、ビタミンK欠乏になりやすい。ビタミンK欠乏状態になると、出血が止まらないような症状になる。脳内出血が起こった場合等は、死亡したり、重大な障害が残ったりする場合もある。通常、新生児にはK2シロップと呼ばれるビタミン剤を投与することで、ビタミンK欠乏を抑制している。 自然信仰と母乳育児の推進 粉ミルクに比べて母乳の方がよいという話は、医療の現場でも言われていることのようだ。国際機関や政府機関は積極的に母乳育児を勧めている。しかし、ビタミンKの問題については、粉ミルクの方が望ましい。人工的だとしてK2シロップを拒否する行動と、自然だとして母乳育児にこだわる行動が重なると、ビタミンK欠乏症の危険性は増す。 ビタミンK問題 「「ビタミンK与えず乳児死亡」母親が助産師提訴」というニュースが 2010年7月

    ビタミンK欠乏症問題 - 僕と懐疑の関係
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    REV 2010/07/11
  • なぜ有害な治療法も有効だと誤解されるのか - 僕と懐疑の関係

    代替医療のトリック 『代替医療のトリック』というが話題になった。私も今までホメオパシーを例に代替医療の持つ問題を取り上げてきたが、このを読めば私のエントリの多くは必要ないものと言える。既に多くの書評が発表されているようなので、肝心の内容についてはそちらを参照のこと。 全体的に良書といって間違いないのだが、あえてひっかかったところを書くとすれば、プラセボ効果に関するところ。私は『代替医療のトリック』で扱われているプラセボ効果の説明は、ちょっと行きすぎだと考えている。過大評価ではないか。プラセボ効果は確かにある。しかし、来の意味での「効果」と呼んでいい効果は、こので触れられているよりも小さいものだろうということだ。 このことについての私の理解は、過去のエントリ「誤用される「プラセボ効果」 - Skepticism is beautiful」 を参照頂きたい。 なんにでも効く まず「なぜ

    なぜ有害な治療法も有効だと誤解されるのか - 僕と懐疑の関係
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    REV 2010/03/18
    言葉の多義性について。科学者の多くは、プラセボ(対照)より改善の多いものを「より効果的」と判定するが、『効果例がある』『無効例がある』を有効・無効と判定する人も。
  • なぜ「なんにも効かない」ものは「なんにでも効く」といわれるのか - 僕と懐疑の関係

    通常の医薬品は特定の病気や症状に効果的だが、なんにでも効くというわけにはいかない。しかし、代替医療の多くは様々な病気や症状に効くとされる場合が多い。なぜそんなことが起こるのだろうか。 その理由は「効く」の基準が違うというところにあるのではないだろうか。図のようにプラセボレベルの低い基準で効くと判断するのならば、なんにでも効くように見えるだろう。

    なぜ「なんにも効かない」ものは「なんにでも効く」といわれるのか - 僕と懐疑の関係
  • オッカムの剃刀の理解 3段階 - 僕と懐疑の関係

    非合理批判の場では、「オッカムの剃刀(かみそり)」という考え方が登場することがある。オッカムの剃刀とは、以下のような考え方である。 現象を同程度うまく説明する仮説があるなら、より単純な方を選ぶべきである。 Wikipedia 「オッカムの剃刀]」より LEVEL 1(オッカムの剃刀は科学的真偽の判定の手段) オッカムの剃刀でそぎ落とされる仮説は、科学的に間違いであると考える。 LEVEL 2(オッカムの剃刀は科学的真偽の判定とは無関係) オッカムの剃刀という考え方は、真偽を追うための戦略のひとつにすぎない。 剃刀にそぎ落とされるかどうかは、仮説が科学的に正しいかどうかとは無関係である。 よって、いくつかの科学的仮説の中から一つの科学的仮説を選択する手段として使うのは誤りである。 LEVEL 3(オッカムの剃刀は科学的真偽の判定として有効) 科学的に「正しい」「間違っている」とは、蓋然性*1

    オッカムの剃刀の理解 3段階 - 僕と懐疑の関係
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    REV 2010/01/28
    レクター博士に刃物。刃物で誤差がそぎ落とせる場合と、なにも無くなる場合があるような気が。
  • ホメオパシーは「効果が確かめられていない」方法ですらない - Skepticism is beautiful(UPJOHN 2009/01/29 23:22)

    ホメオパシーの宣伝で典型的なものは「科学的根拠は不明だが、確かに効くのだ」といったような話です。それに対して「効果があることは確かめられていない」という批判がつくことも良くあります。もちろん、この批判は間違っていませんが、「効果がないことは確かめられている」という方がより適切ではないでしょうか。 確かめられているかいないか よくあるニセ科学的健康法や代替医療では、効果がまともに調べられていないものや、怪しい体験談を根拠に「効くのだ」という主張が行われる場合が多いようです。この場合には、「効果があることは確かめられていない」というのは正確な表現です。まともに調べられていないのですから、効果があるかないかは不明ですよね*1。 ホメオパシーの場合は、このような健康法や代替医療とは事情が違います。ホメオパシーについては何度も科学的な研究が行われており、その結果として「効果はみられなかった」という結

    ホメオパシーは「効果が確かめられていない」方法ですらない - Skepticism is beautiful(UPJOHN 2009/01/29 23:22)
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    REV 2009/01/28
  • ニセ科学批判批判を批判しているニセ科学批判者の批判の仕方を批判してみるよ - 僕と懐疑の関係

    注意書き まずはじめに、これはニセ科学批判者向けなので、それ以外の人は読まないでお帰りください。どうぞよろしくお願いします。ニセ科学批判者以外には変な誤解を生みそうですから。 次に、なるべくエクスキューズ。今回、話の種として使うために特定の話を取り上げますが、今回の例が典型的なものであるというわけではなく、単に最近話題になったので取り上げたというだけです。さらに、「ニセ科学批判者のやりかたは間違っている」とか「ニセ科学批判者のやりかたは逆効果だ」とか主張するつもりは全くありません。特にモラルから逸脱していることもないかと思いますし、逆効果かどうかなんて私には判断できません。というわけで、タイトルの「批判」という表現は煽りです。 取り上げるのは「詭弁者: Interdisciplinary」でのTAKESANさんのやり方です。 その議論は誰を対象にしているか エントリ自体よりもコメント欄を見

    ニセ科学批判批判を批判しているニセ科学批判者の批判の仕方を批判してみるよ - 僕と懐疑の関係
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    REV 2009/01/23
  • とある夫婦の軋轢と誤帰属の働き - 僕と懐疑の関係

    「とある夫婦の離婚序章」という増田を読んだ。 元増田が共働きということで、共働きの話が多いので、あえて専業主婦と二人の子供(3歳前&新生児)を持つ父親としての意見も書いてみよう。 まず、たとえ専業主婦であっても、二人の子供を放置せずに相手をしながら生活をするのは、やったことのない者の想像を絶する大変さであるということは確認しておきたい。少なくとも私の想像力では、ストレスを溜めずにこんなことをこなすことができる人間は「特殊」な人間だとしか言いようがない。 例えば、下の子供ができたことで、愛情を独り占めできなくなった上の子がストレスを溜めて攻撃的になっている。下の子はまだ首もすわらず縦抱きもできない状態。さて、この状態でどうやってトイレに行こうか。家事をしようか。下の子の授乳をするときはどうする。 相当ブラックな会社でない限り、会社に行っていた方が楽だろう。私はそう思う。兼業主婦の方が大変*1

    とある夫婦の軋轢と誤帰属の働き - 僕と懐疑の関係
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    REV 2009/01/15
  • そろそろ相対主義について語っておくか - 僕と懐疑の関係

    アケオメ!コトヨロ!*1そんなわけで早速みんなの大好きな「相対主義」の話をするよ。今回は相対主義を概観する前編になるんだ。 はじめに 科学の話やニセ科学の議論が始まると、絶対に出てくるのが「オカルトとか超常現象とかニセ科学とかを信じているわけじゃないけど、科学が絶対に正しいわけじゃないよ。ちょっと科学を絶対視しすぎじゃないの」といったような話だよね。なんか普通の信奉者を見るよりもうんざりしちゃう人もいるんじゃないかな。 僕たちの中では、そういう人は「相対主義者」だとか、「悪い相対主義者」「極端な相対主義者」だとか呼ばれてるよね。でも、こういったときの相対主義って何?悪い(極端な)相対主義って何?そこら辺が曖昧な気がするんだ。特に後者のいいかたをするのなら、「いい相対主義」か「穏健な相対主義」、つまりまともな相対主義みたいなのも想定されているよね。じゃ、まともな相対主義って何だろう? あんま

    そろそろ相対主義について語っておくか - 僕と懐疑の関係
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    REV 2009/01/06
  • 科学者だからといって適切に科学的思考を扱えるわけではない*1 - 僕と懐疑の関係

    たぶん、科学者は科学者というぐらいなんだから、科学的思考を扱う能力は必須だろうと考える人が多いと思う。でも、現実はそうでもない*1。 研究にはある程度の決まりきった手順がある*2。それに従うと、科学的思考なんてのをあまり意識しないでまともな結果を出せたりする。 特に物理とか化学なんかは典型的で、自らの仮説をわりと直接的な実験で確認することができる。これが、うまい具合に強力な批判機能を発揮するため*3、科学者個人が科学的思考、又は批判的思考をしていなくても、きちんと科学的な検討を経た結果にたどり着いたりもする。 いや、もっと強く言ってもいいかもしれない。科学者でポパーやクーンなんかを読んで、真面目に「科学とは何か?何が科学的だといえるのか?」なんてことを考えて、科学そのものへの理解を深めようとしているのは物好きだけじゃないだろうか。科学者として仕事をする上で必要なわけでもないし。たぶん、ここ

    科学者だからといって適切に科学的思考を扱えるわけではない*1 - 僕と懐疑の関係
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    REV 2008/11/27
    目標を適切に定められても実装が伴わないケースもあれば、綿密な実装で崖に向かって一直線ということもあるわけで。
  • 地球温暖化問題の結論だけを3行で説明してみた - 僕と懐疑の関係

    正直、地球温暖化問題は議論が多すぎてわかりにくい。というわけで、今のところ私が結論と思うところだけを書いてみた。 地球温暖化してるけどアル・ゴアがいうような激しいことは起こらない 京都議定書以上のことをしても金ばっかりかかって効果は殆どない よりよい未来を作るためにもっと適切な方法があるんじゃないの 1. 地球温暖化してるけどアル・ゴアがいうような激しいことは起こらない 地球は温暖化しているし、海面上昇もしている。そして、それは今の時点では工業化で化石燃料を大量に消費したという人為的な影響も無視できないぐらい大きいといえる。そして温暖化による被害はある。 でも、アル・ゴアが言うように温暖化が原因で海面が6mも7mも上昇して平地が無くなり未曾有の洪水が起こるなんていうことはまずあり得ないし、巨大ハリケーンのような自然災害が強力になりバンバン起こるという根拠もない。 私たちは、既に何度かの温度

    地球温暖化問題の結論だけを3行で説明してみた - 僕と懐疑の関係
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    REV 2008/10/07
    第n問。ここに、重傷者と、心肺停止した者がいる。救急車が一台到着した。二台目がいつ来るか判らない。どうするべきか? 1)トリアージはナチ 2)哲学書を読む 3)トリアージを開始した隊員は失格なので解任
  • 本当に「ダメな俺を丸ごと受け止めてくれ症候群」なのか? - 僕と懐疑の関係

    「ダメな俺を丸ごと受け止めてくれ症候群」というエントリが話題になっていて、その心理的な戦略(メカニズム)を分析したとする「「ダメな俺を丸ごと受け止めてくれ症候群」のメカニズム - シロクマの屑籠」も話題になって上がっています。 後者のエントリの分析はそれなりに妥当なものだと思われるのですが、決定的なキーワードが出てこないところをみると、たぶん心理学にはそれほど明るくない方なのだと思います*1。せっかくなので、心理学ではどのようなキーワードに当てはまりそうか書いておこうと思います。 セルフハンディキャッピング 心理学で言うと、これは「セルフハンディキャッピング」と考えるのが妥当に思えます。 「セルフハンディキャッピング」は、自分が不利な要素を持っていることを主張することで、相対的に「その割には成果を上げている」という評価を得ようとする戦略です。社会生活では大いに用いられている*2にも関わらず

    本当に「ダメな俺を丸ごと受け止めてくれ症候群」なのか? - 僕と懐疑の関係
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    REV 2008/08/26
    個人的な感想として、精神医学≠心理学≠哲学。柔道の構えをとったり、竹刀を持ち出した人に、なぜ薙刀を使わない、という雰囲気/(狭い意味での)精神医学って、機銃掃射するイメージ。
  • 文章読解力は科学を操る能力に類似したものである(かもしれない) - 僕と懐疑の関係

    おそらく人文学系の方で、きちんと研究されているものだと思うのですが、私は人文系の話は疎いため、自分の経験から感じたことを元に書いていきます。id:dlitさん辺りがもっと適切な話*1を出してくれるのではないかと期待してエントリを上げます。 書いていないことを勝手に読み取るな 議論ではよく「書いていないことを勝手に読み取るな」といったことが言われます。 そもそも「異なる前提」を持った人同士が話をするのですから、「勝手に読み取った」行間は、不正確な場合が多いわけです。なぜなら、行間を読むためにはなんらかの補足情報が必要であり、その補足情報が「異なる前提」だったりするからです。 不正確な読み取りが頻発すれば、「そこはそういう意味じゃない」「いや、そう読める」という、不毛なやり取りが延々と続くことになるわけです。 文脈を読め また、「文脈をきちんとよめ」といわれる場合もあります*2。 自然言語とい

    文章読解力は科学を操る能力に類似したものである(かもしれない) - 僕と懐疑の関係
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    REV 2008/08/08
    前文をきちんと書かない分、リソース投入は、筆者が負うべきか、読者が負うべきか
  • 科学はその成功ゆえ誤解される運命に - 僕と懐疑の関係

    既にどこかにもっと分かりやすい適切な話がありそうなのですが、「はてな」というエントリの「謙虚さが足りない」に対し脊髄反射的にエントリを上げてしまいます。一応、自然科学を頭に置いてますが、科学と呼ばれるのが適切な分野なら殆ど当てはまるものと思います。脊髄反射的なので、散漫な文章です*1。 科学は万能か? 「まともな科学者で科学を万能だと思っているような人はいない」というFAQとして有名なぐらい明確に答えられます。万能なんかじゃありません。もう、問われる前から「当たり前」だったんです。 論理で、「演繹」とか「帰納」とか出てきましたよね。帰納は論理的にも絶対的な真にはならないという話も知っている人の方が多いかもしれません。100人の人を集めてきて、陸上短距離100m走のルールで100mを10秒代で走る人が居なかったからといって、100mを10秒代で走る人が存在しないわけではありません。101人目

    科学はその成功ゆえ誤解される運命に - 僕と懐疑の関係
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    REV 2008/08/04
  • 批判をするのならば「いかにして問題」に逃げないこと - 僕と懐疑の関係

    経緯*1 もとともは大槻教授が「ムペンバ効果」に対して行った批判*2がダメダメすぎるというところから始まりました*3。その反応として「捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!」というエントリが立ち、「いかにして問題」の話になります。 亀さんのところの「」やTAKESANさんのところの「「原理は解らなくても良い」事に気付いた時。統計の話: Interdisciplinary」でも触れられています。 「いかにして問題」とは何か? 「その現象はいかにして起きるのか」という問題であって、「その現象のメカニズムは解明されているのか」または、「その現象のメカニズムとして妥当なものが想定できるか」という問題です。 亀さんも、TAKESANも何年か前まで*4科学的であることの要件に「メカニズムが判明していること」が含まれると考えていたことを告白しています。つまり、メカニズムが解明されていない現象は科学的なも

    批判をするのならば「いかにして問題」に逃げないこと - 僕と懐疑の関係
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    REV 2008/07/29
    「批判をするのならば「いかにして財源を確保するのか問題」に逃げないこと」という改変を考えた。で、財源どこ?
  • 信奉者の問題を過大評価する可能性のある4つのバイアス - 僕と懐疑の関係

    はじめに注意しておきたいのは、人間には様々なバイアス*1が存在しますが、それはバイアスと反対方向に認識を偏らせれば正しいということを意味するわけではありません。バイアスの反対方向の考えがよりもっともらしいというわけでもありません。 単に、バイアスを起因とする非合理な評価の偏りが存在しないかに注意を払う必要があるということを意味するだけです*2。 批判者が陥りやすいバイアス 信奉者だけでなく、批判者が陥りやすいと思われるバイアスをいくつかあげてみます。以下のリストは網羅的ではありませんし、説明の長くなりそうなものや何にでも当てはまるものは上げていません。 法外な結果には、法外な原因があると考えやすい*3 重大な結果を伴う事故には、重大な原因があると考えやすい傾向があります。例えば、医療事故、交通事故などで患者、被害者が死亡した場合、「死亡」という取り返しのつかない結果になったのだから、医師や

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    REV 2008/06/26
    これは面白い。
  • あなたのいう常識は本当に常識なのか - 僕と懐疑の関係

    人に教えるときの常識 - 遥か彼方の彼方からという記事を読んだ。私が、この記事の内容で強く感じるのは、常識や最低限の知識がないとかあるとかの問題ではなく、それを指摘することの「影響力」でした。 注:原理原則に言及する意図はなく、あくまで留意点の指摘*1です。 議論における常識 私たちのような非合理批判(ニセ科学批判など)の議論をしている人は、ときに「常識」を持ち出して話を進めたくなる場合があるかと思います。 でも、当にそれは世間の常識なのでしょうか?たとえ、あなたが常識だという、その意見の方が正しいとしても、それは懐疑主義者という特殊なコミュニティの中でしか通用しない常識ではないでしょうか?ニセ科学批判という文化の中での常識ではないでしょうか? よく出る例で言えば、「悪魔の証明」とか「反証可能性」とか「3た論法」とか…、「相関関係と因果関係の混同」とか、一般的には全然常識的な知識ではあり

    あなたのいう常識は本当に常識なのか - 僕と懐疑の関係
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    REV 2008/06/20
    どっちが譲歩するか、という問題。お互いに、そっちこそ譲歩しろよと言ってるw