答え。 そういう方法でしか、「論戦」は行えないから。 そのひとつの例として、人文書では空前の売れ行きを示した「なめらかな社会とその敵」の論評を見てみよう。 著者の社会観・国家観は、ナイーブで古い。彼がなめらかな社会の「敵」と名指しているカール・シュミットのいうように、近代社会の根底にあるのは暴力装置としての国家であり、それは友/敵を区別して誰を殺すかを決める「決断」のシステムである。資本主義は暴力を所有権という形で標準化する制度であり、その魅力も危険も、それが「なめらか」ではなく、持つ者と持たざる者を峻別する点にある。 資本主義が不公正で不愉快なシステムであることは著者のいう通りだが、それは多くの人々の欲望を満たしてグローバルに発展してきた。 池田信夫 blog : なめらかな社会とその敵 池田先生の「ぶっちゃけた」論建てで、明らかになる事柄がある。 それは、実は、書評を書いたほとんどの論