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ブックマーク / technique.hateblo.jp (15)

  • この本には、異常な地方が描かれているのではない。 - Freezing Point

    むしろ、私たちの日常が曝露されている。 あのとき、大川小学校で何が起きたのか 作者: 池上正樹,加藤順子出版社/メーカー: 青志社発売日: 2012/10/24メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 18人 クリック: 2,098回この商品を含むブログ (8件) を見る 行きなれた目の前の山に逃げれば、*1 亡くなった子どもたち74人が全員助かっていたのに、 地震発生から50分間も校庭に待機させた。 「山に逃げよう」と声をあげた子どもたちもいたのに、 わざわざ連れ戻してまで校庭にいさせた。 その事実を市長や教育関係者が徹底的に揉み消し、 時間のつじつまをごまかし、聞き取りのメモを捨て、 「頑張って逃げようとしていたが、間に合わなかった」 ことにした。 制度の前提がおかしい 「学校管理下で死亡事故が起きた場合の対応として、報告しなければならないという法律の根拠がないのです」(文部科学省の「

    この本には、異常な地方が描かれているのではない。 - Freezing Point
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    REV 2012/11/04
    「津波てんでんこ」で迷子が出ると教師の責任、上の指示に従う、もしくは指示を待てば上の責任… にはならなかったわけだな。
  • 各方面でごまかされている当事者性 - Freezing Point

    「〈企画〉 アニメ評 魔法少女まどか☆マギカ」(京都大学新聞社) もとのアニメは見ていないが、強く触発された。 当事者性とは、伝わらないものを抱えること。 受け入れられたいという願望を満たすために自分で格闘しなければならない、そういう状況に追い込まれること。 そして、《責めあり》の存在であること*1。 たいていのキャラクター論や物語構造の分析は、論じ手じしんの当事者性を回避する装置になる。 そもそも思考は、ある仕方で批判可能性を引き受けつつ、それとは別の階層の批判可能性を封じる*2。 お約束――≪この話をしているかぎり、論じ手は自分の関係性それ自体について当事者的自己解体を迫られることはない(分析それ自体のレベルで面白くないと責められることはあっても、思索事業の前提は批判されない)≫ 当事者とは、倫理性を帯びることなのに、 現状の当事者概念は*3、倫理性を免除する装置でしかない。 周囲は《

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    REV 2011/04/30
    コンテスト
  • 自分の当事者性を捨象する男性フェミニスト - Freezing Point

    属性レベルで支援の構図が決定される状況では、男性社会の序列はそのまま温存される。 男性フェミニストの多くは、「女を守る」と宣言して男性ヒーローを演じ、他のオスを威圧する。――これは実は、「強い男が女を独占して権勢をふるう」という男性優位思想を、「女に優しい男」がヘゲモニーを取って演じているだけだ。 私に向かって「セックスした女の数」を自慢したある男性フェミニストは、「俺は女の権利を代表しているから、俺を怒らせることは女を差別することだ」と言い放った。実はこの男は女を傷つけた過去があるようだが、そうした「男としての当事者性」は、女の味方をすることで免責されたことになっている。 「相手の女性を数に還元して自慢できる」という、この考え方の構図自体を変えるためには、こうした強者男性こそが《当事者発言》すべきなのだ。そして、「女の数を自慢できる、そうすることで弱者男性を威圧できる」という力関係の制度

    自分の当事者性を捨象する男性フェミニスト - Freezing Point
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    REV 2010/01/09
    「「セックスした女の数」を自慢したある男性フェミニストは、「俺は女の権利を代表しているから、俺を怒らせることは女を差別することだ」と言い放った。」
  • 背景的な結果物の時間から、生産の時間へ - Freezing Point

    専門性が、尊厳の配給装置になっている。 カルトのように。 「自分のことは自分が一番よくわかっている」という、勘違い。 「自分カルト」は、形式的に反復される内容のない専門性。 誰からも求められない専門性。 斎藤環は、ひきこもる人を「自分カルト」だという。非常にうまい記述でありつつ、斎藤氏ご自身は、これをあくまで「結果物」として記述するだけで、そうした主観性の制作過程を主題にすることはない。人の関係性についても、成就した関係についての化学を語ることはあっても、その関係がお互いの生産過程の反復であり、繰り返される主観性のパターンが関係性のパターンになっていることは主題化されない。それゆえ彼は、「仲間」の制作過程を主題化できない。 ▼あくまで事後的になされる「結果のスタティックな記述」は、臨床の一部でしかない。そして、そう語る臨床家の生産過程は、その人の営む関係性のパターンを表現している。斎藤氏は

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    REV 2009/05/14
  • 「母親のおかげで、ヤクザから恩恵を受けてきた」 - Freezing Point

    宮台真司『日の難点 (幻冬舎新書)』pp.95-6より: そんな母親の構えのお蔭で「自分の母親は世間の母親よりもずっとスゴイ」と思えました。そうした母親の子であったせいで「浅ましい奴」や「セコイ奴」には絶対なりたくないと思うようになったのでしょう。これも「目的」や「手段」ではなく端的な「衝動=感染的模倣」だろうと思います。 もちろん、そんなふうにしてできあがった僕の構えが実利をもたらす面が確かにあります。それはスピノザも言っていることです。僕の場合、売買春やクスリのフィールドワークをする際にヤクザにケツ持ちしてもらってきました。お蔭でこの方面でたくさんの著作をものすることができました。 女の子がストーカーにつきまとわれて困っているというようなときも、警察に頼んだら(ストーカー規制法成立以前だったので)半年以上もかかるところを彼らが三時間で解決してくれることもありました。僕の研究に役立つ情

    「母親のおかげで、ヤクザから恩恵を受けてきた」 - Freezing Point
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    REV 2009/05/04
    「ナンパ指南で若い人を指導しながら、ご自分は性愛体験の少ない女性と結婚して救われている。」
  • 新刊: 『「ひきこもり」への社会学的アプローチ』 (序) - Freezing Point

    【参照:(正)】 「ひきこもり」への社会学的アプローチ―メディア・当事者・支援活動 作者: 荻野達史,川北稔,工藤宏司,高山龍太郎出版社/メーカー: ミネルヴァ書房発売日: 2008/12メディア: 単行購入: 4人 クリック: 46回この商品を含むブログ (11件) を見る【出版社の紹介ページ】 2002年に始まり、合宿も開かれつつ続いた研究会の成果とのこと。 短く言及して終わらせるべきではないので、できればとにかく入手して、このと格闘してほしい。 私はいま読み進めている。 今回は、この全体の趣旨にかかわると思われるところを一部だけ引用してみる(強調はすべて引用者)。 自己言及的なフィールドワーク なぜ(略)筆者は、「ひきこもり」について〈社会現象〉という表現を用いるのか。それは、「ひきこもり」という曖昧な言葉をめぐって、この間に沸き起こったさまざまな議論や支援活動などの諸々の実

    新刊: 『「ひきこもり」への社会学的アプローチ』 (序) - Freezing Point
  • 2008-07-01

    社会生活にはトラブルがつきものだから(参照)、小学校時代からリーガルマインド(法的思考)を少しずつ訓練しておくべき。法律談義を導入した紛争処理というのはたいへん traumatic な作業であり、長期的に馴染んでゆく必要がある。それをしないでいきなり裁判員制度を導入し、しかも最初から重大犯罪を担当させるというのは、何を考えているのか。医療でも司法でも、トラブルに対処するのは専門技能と言える。警察官でも、新任の方はひどい現場を見てしばらくスパゲッティをべられなくなったりすると聞く。そんな物証と法律論に、何の訓練もなしにいきなり従事させるのか。 逆に言うと、社会生活に入るためには、法律談義への一定の習熟が必須。 「ウェブと著作権」等の最先端の法律論も必要だが、それ以前に、ベーシックな憲法・民法・刑法などの最低限の知識が要る。 法律が大事なのはわかる。しかしそれは「自分がいなくても回る世界」で

    2008-07-01
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    REV 2008/07/01
  • 当事者論と時間の関係-Freezing Point

    自己の論点化をできない人は、想像的なものだけを救済しようとする*1。 嘘をついて、「相手が自分をどう思っているか」を訂正することで手を打とうとする。 自分が何をやってしまったか、どんな心的態勢でいるか*2については反省・分析しない。 対人関係の努力が、最初から最後まで想像的なものの圏域にしかない。 それは、操作的に相手を利用し、自分を道具として利用させることで居場所を作ることにあたる。 当事者的論点化は、まずもって今現在の自分がどのように場所=関係として構成されているのか、を問題にしている。その時点で、親御さんや支援者の期待する「当事者発言」とは、ズレを生じている*3。 誰も彼もが、想像的自己確証、つまり商品的自己確証をしか生きていない*4。 しかし、単に人を別格化する「当事者発言」ではなく、関係者の全員を当事者とする分析的な当事者化(論点化)にこそ、臨床的取り組みがある。 このことは、

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    REV 2008/02/07
  • Freezing Point - 否認の連帯

    人が、自分で自分のリアリティを扱えなくなっている*1。 社会契約という観点から言えば、交渉主体としては対等だから、「当事者なんぞ知るか」というのは当然。このレベルでは、語り手の属性は何でもいい。わざわざ特別に考える必要があるのは、社会的に規定された語りのポジションの非対称性(参照)。 自分で自分のリアリティを扱うのは、精神分析の面接技法を社会的場面に持ち出したようなもの。左翼活動家は、(社会正義という)意識レベルのアリバイをクライアントの口実として共有してしまうから駄目。否認的アリバイの共有をしているだけ。社会参加の継続と、逃避の継続が同じ形をしている。 「自分は○○問題に取り組んでいるから、それで社会正義の口実がある。だから自分の内的葛藤や社会的責任については、もう分析的に考えなくていいんだ」――これは最悪の逃避。自分の差別性や暴力には無頓着であり得る。▼そうしたものは、分析的な当事者

    Freezing Point - 否認の連帯
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    REV 2007/07/27
    「「自分は○○問題に取り組んでいるから、それで社会正義の口実がある。だから自分の内的葛藤や社会的責任については、もう分析的に考えなくていいんだ」――これは最悪の逃避。」
  • ■ - Freezing Point

    自分が固執すべきだと信じる現実にこだわるのは、迷惑行為であり得るとともに、倫理的行為でもあり得る。 何が迷惑行為で何が倫理的行為なのかは、力関係や政治的決断の問題*1。 社会参加できない存在であるひきこもりについて考えていると、「交渉」「契約」「政治」云々という、僕がいちばん苦手で嫌っていた話題に吸い寄せられてゆく。 ひきこもるとは、交渉関係で破綻した状態だから、人もバカをやっている。そういうフェアな検証のテーブルを作ったうえで、「交渉能力」を高める必要がある(お互いの問題)。 ひきこもっている人の一部は、エゴで身勝手というよりは、バカ正直に正義を信じ込んでしまうタイプに見える。揉め事が起こりそうなときには、自分ひとりが我慢して丸く治める、というような。自分が我慢するときには、みんなも我慢するものだ、と根拠なく思い込んでいるような。みんなが道徳的に生きるのが当然、というありもしない理想社

    ■ - Freezing Point
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    REV 2007/07/10
  • 「アイデンティティ拡散症候群」と、「ひきうける」構図の改変 - Freezing Point

    小此木啓吾『モラトリアム人間の時代 (中公文庫 M 167)』p.33-4より。 もとの文章は、1970年代の後半に書かれている。 小此木自身によれば、彼が「モラトリアム人間」という言葉をつくったのは1971年とのこと。 このような青年期=モラトリアムの延長に伴う、種々の心理学的問題を1950年代にいち早く指摘したのが、かのエリクソンである。ただし、エリクソンは、正常な“青年”についてではなく、何らかの精神障害のために、いわば受身的に、青年期後期に決別することができないまま、ずるずるとモラトリアム状態をつづけてしまう人々に特有な精神病理学的状態としての「アイデンティティ拡散症候群」について記載したのである。 「アイデンティティ拡散症候群」とは、青年期に決着をつけ、オトナ社会に自己を位置づけ、限定することによって確立されるべきアイデンティティ=自己限定=社会的自己定義が、何らかの理由でできな

    「アイデンティティ拡散症候群」と、「ひきうける」構図の改変 - Freezing Point
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    REV 2007/06/13
  • 2006-11-02

    先日の対談イベントより。 児童労働がひたすら美化される宮崎駿アニメや、『美しい国へ (文春新書)』(安倍晋三)を例示しながら、「働くことは美しい」という思想や言説が問題化された。 斎藤環氏自身は、個人的な美的感覚としては「働くことは良い」と感じるが、それは倫理的判断とは別に考えるべきだという。 それを受けて考えれば、 フィクションやドキュメンタリーにおいて、ひきこもり当事者(を意味する人物像)が、「気色の悪い男」として描かれたり、逆に過剰に美化されるとしたら、それは「美的なものが倫理を犠牲にしている」と言える。 今後の議論にどうしても必要なモチーフだと思うので、引用します。 id:kwktさんによるレポート「モバイル社会における技術と人間」の、斎藤環氏の発言より(強調は引用者)。 「関係性」が前景化し問題化される。 「関係性」と「コミュニケーション」は違う。 両者の差異がユビキタス化によっ

    2006-11-02
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    REV 2006/11/03
  • Freezing Point-サービスの義務と責任

    先日、広島県三原市のイベントにお邪魔した際、上記記事で批判的に話題にされた妹尾敏昭さん(71)と同席し、詳しくお話を伺えた。 妹尾さんは、かつて労働組合の専従を2年されていて、むしろ労働問題に意識の高い方。 多くの方が話題にしていたような、「搾取する悪徳業者」とはまったく違う話で、――要するに、ひきこもり支援の現場で何がどう苦しいか、事情を知らない人には理解されない。 (妹尾さんは、「運動論はとうに吹き飛んどる」と話されていた。) 人の事情も支援の事情も理解されないまま、どんどん忘却が進んでいると感じる。 高齢化して閉じこもっていても、誰も話題にしない。 以前聞いた話だが、あるひきこもり支援団体の説明会では、 「預けてあった子供が自殺したが、どうしてくれるのか」 と、団体代表が詰め寄られる場面があったとのこと。 「アイ・メンタルスクール」のような犯罪性がまったくなくても、生きるか死ぬかの

    Freezing Point-サービスの義務と責任
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    REV 2006/10/14
    触ったら無限責任。
  • 討論サークルで聞いた言葉 - Freezing Point

    「自分の人生には意味があるはずだ」と苦しんでいたんだけど、 意味はないけどこのケーキおいしいわ。 自分のつらさを打ち明けてくる人がいるけど、「それ面白くないよ」って言う。 「作品」か、それでなければ「友達だから」っていう形でしか付き合えない。 水の入ったコップを見て、それを「水の入ったコップ」としか見れない人がいる。 「無意味だけど生きていく」じゃなくて、 「無意味だから生きていける」

    討論サークルで聞いた言葉 - Freezing Point
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    REV 2006/07/01
  • Freezing Point -  《交渉と契約》—「動機付け」と「不能」

    1 :さやか :2005/11/18(金) 08:40:51 ID:TIxiS8Q30 夜中にこそこそ冷蔵庫漁るなカスが 18 :(-_-)さん :2005/11/18(金) 09:06:43 ID:???O ホントは冷たくされるのが怖いから 夜中にコソコソ起きたりするんだ。 このまま突き放し続けたら 対人恐怖症とか、精神病になると思うぞ。 45 :さやか :2005/11/18(金) 20:14:58 ID:???0 はぁ?家族だからって最低限の義務も果たさないやつがいつまでも暖かくされると思ってんの? あんたらおかしいでしょ、父も23になったら放り出すって言ってたよ 死のうがどうなろうがしったこっちゃないって 48 :(-_-)さん :2005/11/18(金) 20:17:38 ID:???0 1さん、うちの兄も25にもなってヒキコモリです 気持ちわかります、ほんと消えてほしいですよ

    Freezing Point -  《交渉と契約》—「動機付け」と「不能」
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    REV 2005/12/09
    「「兄が引きこもり、リアルで氏んでほしい」」
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