掲載『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容, 1994年05月01日発行) pp.116-123 I 現実としての模像 集合住宅の一大展示場である多摩ニュータウンのなかで、もっとも人目をひく場所の一つは、京王堀之内駅前の斜面に並んだ一群の住宅団地である。「ライブ長池」という名の全体計画に基づいて一九九○年に「街開き」が行なわれたというこの地域に立ち並ぶ、エミネンス長池、コリナス長池、コープタウン長池、ヴェルデ秋葉台といった折衷的な名を与えられた「ポストモダン」な団地群の特異な相貌は、京王堀之内駅を中心とする駅前施設、VIA長池のガウディ調のデザインと共に、初めて訪れる者に相当の驚きを与える。 何に驚くのかと言えば、第一には言うまでもなく、これまでの「団地」や「集合住宅」のイメージとは大きく異なるこれらの団地のデザインにである。パステ
勧められた本を読むのにさえ、1年かかってるんだな・・・ 自分の場合、思いを形にするのに1年がかかるということか。 ならば「会社を辞める」というのも今のうちに宣言しといた方がいいのかな。 結実するのは、さて、何年後? 『ポストモダンの共産主義』で確信したが、定点的に物事を見られる視座が足りていない。 なんべん、枝葉の勉強しても、改善しない。 具体的には勉強に集中できる時間を改めて、手に入れるしかない。 大学に入りなおすか、大学院にチャレンジしなおすしかない。 目を背けていても何も変わらない。 東浩紀、北田暁大の『東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム』。 3読目。 この本にはなんだかこだわってしまう。 東京・都市好きから、社会学への敷衍への絶好の道のりだから、というだけでなく。 とりわけ東さんの社会の見方、「痛み」からくる共感とか、生物学的限界「誰が子供を産むのか」という点に関しては、ど
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