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坂本龍一に関するron1003のブックマーク (59)

  • 『Ryuichi Sakamoto | Opus』公式サイト

    音楽、演奏:坂龍一 監督:空音央 撮影監督:ビル・キルスタイン 編集:川上拓也 録音、整音:ZAK 製作:空里香、アルバート・トーレン、増渕愛子、エリック・ニアリ 製作会社:KAB America Inc. / KAB Inc. 日2023/モノクロ/DCP/103分/Atmos&5.1ch/配給:ビターズ・エンド ⓒKAB America Inc. / KAB Inc.

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  • 自然に還る坂本龍一のピアノ 5年後の姿を公開 - amass

    2019年春、坂龍一はニューヨークの自宅の裏庭にピアノを置き、風雨にさらしたままにして、ピアノがどのように自然に還っていくかを観察し始めました。ピアノは数年後、ニューヨーク州北部に住む友人のアーティストの庭に移されました。最初に置かれてから5年後の2024年4月に、このピアノを撮影した写真が坂龍一のSNSアカウントで公開されています。

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  • 坂本龍一さん死去1年 音楽家・大友良英さんが語る「新しい音を探り合った」存在

    音楽家の坂龍一さんが71歳で他界し、3月28日で1年が経過する。 坂さんは1980年代、細野晴臣さん(76)、高橋幸宏さん(昨年1月死去)による3人組バンド「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」で世界的ヒット曲を生み、映画音楽では88年に「ラストエンペラー」の楽曲で米アカデミー賞を受賞。92年には、バルセロナ五輪の開会式で音楽を担当するなど、活躍の場は多岐に渡る。晩年はがん闘病のなか新作を発表。新しい音を求め続け、年齢を感じさせない新境地をのぞかせた。 2010年以降、即興演奏のパートナーとして、国内外で坂さんとステージを共にしてきたのが音楽家の大友良英さん(64)。この1年を振り返り、いまの思いを聞いた。 インタビューに応じる音楽家の大友良英さん=3月12日午後、東京都千代田区(関勝行撮影) 唯一無二の存在「坂さんの訃報は、世界的に替えがきかない存在を失い、私にとっても大

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  • 「坂本龍一トリビュート展 音楽/アート/メディア」、ICCで開催へ。共同キュレーターに真鍋大度(美術手帖) - Yahoo!ニュース

    東京・初台のNTTインターコミュニケーション・センター[ICC] は、「坂龍一トリビュート展 音楽/アート/メディア」の開催を発表した。会期は12月16日~2024年3月10日。 2023年3月28日に逝去した音楽家・坂龍一とICCの関係は深く、これまで、岩井俊雄、江渡浩一郎とのコラボレーションによる《RemotePiano Installation》(1997)、いずれも高谷史郎との共作《LIFE - fluid, invisible, inaudible...》(2007)と《IS YOUR TIME》(2017)などの展示を行った。 展は、メディア・アート分野においてもはかりしれない功績を残した坂を追悼するとともに、ライゾマティクスの真鍋大度を共同キュレーターとして迎え、坂の残した演奏データをもとにした作品や国内外のアーティストによる坂とかかわりのある作品、これまでのIC

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  • 愛書家・坂本龍一の意思を継ぐ「坂本図書」設立 所蔵本を実際に読める空間オープン&書籍の発売決定

    愛書家・坂龍一の意思を継ぐ「坂図書」設立 所蔵を実際に読める空間オープン&書籍の発売決定 2023年8月28日 21:24 6838 81 音楽ナタリー編集部 × 6838 この記事に関するナタリー公式アカウントの投稿が、SNS上でシェア / いいねされた数の合計です。 419 1426 4993 シェア

    愛書家・坂本龍一の意思を継ぐ「坂本図書」設立 所蔵本を実際に読める空間オープン&書籍の発売決定
  • 坂本龍一や高谷史郎らの作品を展示。「AMBIENT KYOTO」が今秋、京都で再び開催へ

    龍一や高谷史郎らの作品を展示。「AMBIENT KYOTO」が今秋、京都で再び開催へ昨年、京都で初めて開催されたアンビエントをテーマにした視聴覚芸術の展覧会「AMBIENT KYOTO」。その2回目が京都複数の会場で開催される。会期は10月6日〜12月24日。 メインビジュアル Artwork design by Alex Somers / Logo design by Seri Tanaka 昨年、京都で初めて開催されたアンビエントをテーマにした視聴覚芸術の展覧会「AMBIENT KYOTO」。その2回目となる「AMBIENT KYOTO 2023」が、10月6日〜12月24日に京都複数の会場で開催される。 京都中央信用金庫 旧厚生センターを会場に、昨年第1回目として開催された「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」。アンビエントの創始者ブライアン・イーノによる音と光のイン

    坂本龍一や高谷史郎らの作品を展示。「AMBIENT KYOTO」が今秋、京都で再び開催へ
  • 坂本龍一さんが最後の時期に作った曲が完成 | NHK

    ことし3月に亡くなった坂龍一さんが亡くなる直前まで制作していた曲の中で、最後の時期に作られた曲が完成したことが関係者への取材で分かりました。ことしの春、徳島県に開校した高等専門学校の校歌で、近く学生たちに披露される予定です。 ことし3月、71歳で亡くなった世界的な音楽家の坂龍一さんは、がんと闘病しながら音楽活動を続け、生前に起業家の育成を目指す徳島県の私立の高等専門学校「神山まるごと高専」の校歌を作曲していました。 校歌は完成には至らず、ことし4月に開校した高専の入学式では、制作途中の音源と歌手のUAさんによる歌詞が特別に披露されていましたが、その後、編曲家に制作が引き継がれて完成したことが関係者への取材で分かりました。 関係者によりますと、今回の校歌は坂さんが亡くなる直前まで制作していた曲の中で最後の時期に作られたものだということです。 校歌は一部に英語の歌詞を交えながら、起業家を

    坂本龍一さんが最後の時期に作った曲が完成 | NHK
  • NHK MUSIC SPECIAL 坂本龍一 芸術は長く、人生は短し

    放送 7月6日(木)午後10:00 ~ 午後10:45 坂龍一の音楽の軌跡を辿る特番が放送決定 3月28日に惜しまれつつ亡くなった坂龍一。 逝去からほぼ3か月たった現在もその功績を讃える声が後を絶たない。 そうした坂龍一の音楽の軌跡を辿る特番の放送が決定。 革新的な作品を生み出し続け、世界を舞台に活躍してきたアーティストの創造世界を改めて体感していただきたい。 番組のナレーションは、坂龍一とかねてから親交のあった役所広司が担当する。 ソロ、YMO、また映画音楽やプロデュースそして俳優など、様々なジャンルで活躍した坂龍一。 「世界のサカモト」として日のみならず世界にその音楽を届けてきた。そんな坂龍一の創造の世界を、NHKアーカイブスをはじめ、貴重な映像の数々で振り返る。各時代の様々なパフォーマンスと番組出演時の肉声などでその偉大な功績を紹介していく。 【出演】 坂龍一 【

    NHK MUSIC SPECIAL 坂本龍一 芸術は長く、人生は短し
  • 坂本龍一さんの自伝刊行 編集者が明かす最後の日々は | NHK

    ことし3月に亡くなった世界的な音楽家、坂龍一さんの自伝が刊行されることとなり、坂さんに代わってあとがきを寄せた編集者が坂さんの最後の日々を明かしました。 坂龍一さんは音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ」=「YMO」をはじめ、世界の音楽の第一線で長年活躍してきましたが、ことし3月28日、71歳で亡くなりました。 坂さんが、がんの闘病を続けながら去年、雑誌に連載した自伝「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」をまとめた単行が21日に刊行されることになりました。 この中では、連載でインタビュアーを務めた編集者の鈴木正文さんが坂さんに代わってあとがきを寄せ、遺族から手渡されたという坂さんの日記を交えて最後の日々を明かしました。 坂さんはことし1月、「YMO」で共に活躍した高橋幸宏さんが亡くなった際に「僕はもうちょっとがんばるから」と話していたということです。 およそ1か月

    坂本龍一さんの自伝刊行 編集者が明かす最後の日々は | NHK
  • YMOが世界に拡散したオリエンタリズムと、テクノ先進国としての栄光と衰退。いま日本文化の選ぶべき道は | CINRA

    いまから45年前、1978年にデビューしたYellow Magic Orchestra(YMO)は、翌1979年にアメリカの大手レーベル「A&M Records」から1stアルバムをリリースした。このUS版1stアルバムには、国内版1stアルバム(1978年)とは異なるミックスが施されたことに加え、独自の、非常に象徴的なアートワークも作成された。 扇子を手に、顔の半分を覆うほど大きなサングラスをかけ、頭からはメデューサを想起させるカラフルなケーブルが伸びた芸者……ジャケットに描かれた鮮烈なモチーフ「エレクトロニック・ファン・ガール」(通称・電線芸者)とともに、YMOは世界に広まっていくことになる。 そのエレクトロニック・ファン・ガールがあしらわれた金屏風が今年3月、音楽レーベル「U/M/A/A Inc.」の設立20周年プロジェクトTechnoByobu』の第1弾プロダクト「Electro

    YMOが世界に拡散したオリエンタリズムと、テクノ先進国としての栄光と衰退。いま日本文化の選ぶべき道は | CINRA
  • 坂本龍一 追悼連載vol.7:その音楽家人生と「ピアノ」という楽器について。『1996』を通じて考える | CINRA

    初めて坂龍一という音楽家を意識したのは1992年のバルセロナオリンピックだったから、私は散開以前のYellow Magic Orchestra(YMO)をリアルタイムではほとんど知らない。ピアノを習っていたものの、ハノンやツェルニーといった練習曲にうんざりしていた15歳の私にとって、坂は「外の世界」へと窓を開いてくれる存在だった。 坂龍一(さかもと りゅういち) / Photo by zakkubalan ©2022 Kab Inc. 1952年東京生まれ。1978年に『千のナイフ』でソロデビュー。同年、Yellow Magic Orchestra(YMO)を結成。散開後も多方面で活躍。2014年7月、中咽頭がんの罹患を発表したが、2015年、山田洋次監督作品『母と暮せば』とアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督作品『レヴェナント:蘇えりし者』の音楽制作で復帰を果した。2017年春には8

    坂本龍一 追悼連載vol.7:その音楽家人生と「ピアノ」という楽器について。『1996』を通じて考える | CINRA
  • 坂本龍一が残した言葉 1952-2023:朝日新聞デジタル

    1988年に米アカデミー作曲賞を受賞した坂は、 拠点をニューヨークに移していた。 2001年9月11日、大きな音がして窓から外を見ると、 黒い煙が立ち上っていた。 「物の恐怖との遭遇でした」 この経験は、その後の平和運動の大きな起点となった。 米国のアフガニスタンへの侵攻が始まった3カ月後には、 仲間とともに、9・11論考集「非戦」を出版。 その後、イラク戦争が始まると平和を願う言葉は より切迫感を増した。

    坂本龍一が残した言葉 1952-2023:朝日新聞デジタル
  • 故・坂本龍一さんが作成した「自身の葬儀で流す音楽」 Spotifyでプレイリスト公開

    龍一さんは音楽家として、所属するテクノポップグループ・イエローマジックオーケストラ(YMO)の楽曲、映画「戦場のメリークリスマス」をはじめとした劇伴などの他、98年にセガが発売したコンソールゲーム機「ドリームキャスト」(Dreamcast)の起動音なども作曲していた。近年は闘病生活を送っていたが、3月28日に71歳で死去した。 関連記事 ドリームキャストの起動音も坂龍一さんだった 2023年3月28日、音楽家の坂龍一さんが死去した。71歳だった。 野外フェス「メトロック」東京公演をABEMAで無料生配信 Creepy Nuts、BiSHら約71組 5月20日と21日の野外フェス「METROCK2023」の東京公演を動画配信サービス「ABEMA」で無料生配信。71組のアーティストが出演。 Spotify、アプリのホーム画面にプレビュー機能 字幕で内容を説明 音楽ストリーミングサービス

    故・坂本龍一さんが作成した「自身の葬儀で流す音楽」 Spotifyでプレイリスト公開
  • 山下達郎 坂本龍一との出会いを語る

    山下達郎さんが2023年5月4日放送のNHK FM『今日は一日“山下達郎”三昧 レコード特集2023』の中で『IT’S A POPPIN’ TIME』についてトーク。坂龍一さんとの出会いなどについて話していました。 (杉浦友紀)続いては1978年リリースのライブアルバム『IT’S A POPPIN’ TIME』。初期作品の中でももう……(笑)。珠玉のライブアルバムですね。 (山下達郎)そうですか(笑)。 (杉浦友紀)ソロになって、一時、ライブ自体、演奏する機会が少なくなって。で、この時期ぐらいから復活してきたということですよね? (山下達郎)まあ、そうですけど。でもこの『IT’S A POPPIN’ TIME』のメンバーは皆、スタジオミュージシャンで。当時は当に忙しい人たちで。ギャラが高いんですよね。ただ、ライブハウスだともっと安いギャラでやってくれるんですよ。なぜかというと、彼らもセ

    山下達郎 坂本龍一との出会いを語る
  • 坂本龍一が遺した名言を聞け──韓国音楽のブレイク、金融危機後の資本主義の揺らぎも予見

    インスタレーション『LIFE』も坂の当時の方向性を示している(2010年) ALESSANDRA BENEDETTIーCORBIS/GETTY IMAGES <2009年の音楽誌インタビューで語っていた、「救い」としての音楽韓国音楽の可能性、資主義の揺らぎ> 2009年に5年ぶりとなるソロアルバム『out of noise』を発表するタイミングで、坂龍一はウェブ音楽誌e-daysの取材に応じた。自らの音楽の成り立ち、社会の中の音楽の役割について答えつつ、韓国音楽のブレイクや金融危機後の資主義の揺らぎも予見していた。(聞き手は江坂健)。 ──これまでの坂さんの音楽からは、構築的な印象を持つことが多かったのですが、今回は絵画的というか、感覚的というか......そんな印象を持ちました。今、音楽を作られるに当たって、最も大切にされていることは何ですか? 「響き」ですね。今回は、特にコ

    坂本龍一が遺した名言を聞け──韓国音楽のブレイク、金融危機後の資本主義の揺らぎも予見
  • 坂本龍一のアート活動を包括的に振り返る。没後初の大規模個展が中国・成都で開催へ(美術手帖) - Yahoo!ニュース

  • 坂本龍一 追悼連載vol.1:そのラディカルな晩年性と『async』 | CINRA

    3月28日に71歳で逝去した音楽家、坂龍一。CINRAではその膨大な音楽作品に向き合うべく、「追悼・坂龍一:わたしたちが聴いた音楽とその時代」(記事一覧はこちら)と題した連載を始動させる。第1回の書き手は『STUDIO VOICE』の元編集長・松村正人。『async』(2017年)をとりあげて「坂龍一の晩年性」について寄稿してもらった。 昨年の暮れあたりだったか、ふとしたはずみで友人と大江健三郎の話になり、だれもが『万延元年のフットボール』(1967年)で事足れりとするけれども後期大江こそいまいちど読みなおすべきではないかとなり、たしかに私自身敬して遠ざけてきた感なきにしもあらずであったと反省し、1982年の『「雨の木(レインツリー)」を聴く女たち』あたりから読みなおし、そういえばデヴィッド・シルヴィアンらJapanの後身にRain Tree Crowなるバンドがあって、1991年の

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  • なぜ人は音楽を演奏し、歌うのか。坂本龍一にも影響を与えた、民族音楽の“巨人”小泉文夫 | ブルータス| BRUTUS.jp

    世界を聴いた男、小泉文夫 『世界を聴いた男』──これは、世界のあらゆる地域、あらゆる人々の間で綿々と受け継がれてきた「音」を求めて、取り憑かれたように世界中を駆け巡り、その収集/研究/紹介にすべてを賭した男の生涯を綴った評伝のタイトルである。 「民族音楽の巨人」、故・小泉文夫が日音楽界に残した膨大な業績は、その死後20年近くが経とうとする現在においても、まさに空前絶後と呼ぶほかない。彼の残した資料や音源の多くは現在、かつて教鞭をとった東京藝術大学音楽学部の「小泉文夫記念資料室」に収蔵されている。 今回、その資料室を十数年ぶりに訪れたミュージシャンの早川大地さんは、まさに「YMOから小泉さんに入った世代」。小泉と同じく東京大学の文学部で美学芸術学を学んだという早川さんは中学生の頃、図書館で小泉の編集したCDを手にし、初めて民族音楽の世界に触れたという。 「最初に聴いたのがギリシャのキプロ

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  • がんとの9年戦争 坂本龍一が嫉妬した2人の男 | 週刊文春 電子版

    「天才・細野、奇才・坂、商才・高橋。YMOはそういう個性の3人だった」 3月28日、がんで亡くなった坂龍一(享年71)についてこう評するのは、YMOを世に送り出した音楽プロデューサーの川添象郎氏。知的なイメージから“教授”と呼ばれたが、実は意外な一面が――。 近年は環境問題にも取り組んだ 東京藝大大学院に通った坂。当時の風貌は、今とかけ離れたものだったという。バンド仲間のミュージシャン・伊藤銀次氏の証言。

    がんとの9年戦争 坂本龍一が嫉妬した2人の男 | 週刊文春 電子版
  • 「ぼくと細野さんは仲が悪かったんだ」それでも坂本龍一・細野晴臣・高橋幸宏の3人が「史上最高に仲良く」なれたワケ | 文春オンライン

    「80年代はぼくと細野さんは仲が悪かったんだ。そう打ち明けたら、彼はそんなことは100年前から知ってる、ファンはみんなわかっている、だって(笑)」 一時は微妙な関係だった、YMOの3人が史上最高に仲良くなれた理由とは? 編集者でライターの吉村栄一さんの著書『YMO1978-2043』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む) YMOという強迫観念の消失 2009年はいよいよHASYMOからYMOへの変身、あるいは移行、もしくは偏移の年となった。 HASYMO最後の活動はなんと携帯電話とのコラボレーション。2009年1月、NTTドコモは第三世代携帯電話(FOMA)の新機種としてNA-04Aを発売した。 著名な家電デザイン企業amadanaのデザインによるデザイン重視のこの携帯電話にはHASYMOが協力し、着うたフルとしてHASYMOの3人による共作のインスト曲「グッド・モーニ

    「ぼくと細野さんは仲が悪かったんだ」それでも坂本龍一・細野晴臣・高橋幸宏の3人が「史上最高に仲良く」なれたワケ | 文春オンライン