納期の事もあって、バタバタと、やむなくOSSとしてボランティアだったのだけど、ボランティアすら殴られるのか・・・何もできなくなる
ご批判は受け止めますが、クラスター対策の基本的考え方で第一波での感染者数は増加せずに進めてこれました。他方、パンデミック第二波となり対策のシフトが必要になりました。様々なオプションは政府に進言をしています。科学者としてのフィードバ… https://t.co/AjXQbzfd4T
ちょっと前に、こんな高須賀さんの記事が投稿された。 個人の幸福は「お金」ではなく「不快なやつは全員ブロック」で実現される。 多様性が本当に良い事ならば、 あなたは好きでもない尊敬もできないパートナーと暮らすべきかもしれない。 意見のあわない上司と働くことにも価値がある。 全く信じていない新興宗教の集会に参加すべきかもしれない。 これらの事は全てあなたの人生の見地を広げるのに大きく役立つだろう。 じゃあ幸せに貢献するかというと…… 残念ながらたぶんならない。 こう書くとわかると思うのだが、私達が多様性を褒める時、大抵の場合においてそれは 「自分にとって都合のよい多様性」(=私は他の人とちがうけど、認めてよ。でも不愉快な人は近寄らないで) の事だけを指す場合が多い。 これを読んで、頭を「ガツン」と殴られた気がした。 多様性は「何かを生み出す」のに、有利である。 多様性は素晴らしい。 だから皆、
市立と別地区の図書館の2ヶ所で、3ヶ月の間に15〜6回はクレームをつけてるのを確認してる。図書館ヘビーユーザーとして、心が痛い。 しかも、そのクレームが落ち度にうまいことつけこんでばかりで、一回きりなら接客の問題だ!と思われるかもしれないんだが。これを何回もやってるのよな。 以下に例を挙げると、 「次の休みの日はいつ?」 「○日〜○日です、時間は何時から何時です」 「ぼくはね、時間は聞いてないの。聞いてくれたことだけ答えてくれればいいの。わかる?」 「申し訳ありませんでした」 「ね?必要のないことは言う必要ないの」 「申し訳ありませんでした」 「僕が聞いたのは休みの日だけでしょ?」 以下ネチネチ。 「パソコンの画面から、予約キャンセルができないんだけど、どうしたらいい?」 「はい、まずユーザー画面を出していただいて……あれ、予約キャンセルが出ませんね、少々お待ちいただけますか?」 「あのね
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