読売新聞の8月5日の「編集手帳」より引用。 料理人の修業は鍋洗いから始まり、厨房(ちゅうぼう)では「鍋屋」と呼ばれた。底にソースが残っている。味見できれば先輩の技を盗める。盗ませてなるかと、渡される鍋には石鹸(せっけん)水が混ぜてあった。18歳の鍋屋は肩を落とした◆オムレツを焼いた。火の通り具合がむずかしい。「こんなものをお客様に出せるか、責任を取れ」。お前が食べろ、という。焼いても、焼いても失敗した。先輩の前で20個のオムレツを食べたことがある◆帝国ホテルの総料理長を務めた村上信夫さんは本紙に連載された聞き書き集「時代の証言者」(読売ぶっくれっと)の中で、せつなくも懐かしい修業の昔を回想している けっ。 という一言で終わっては記事にならないから注釈的に書き足すことにする。読売新聞の編集手帳君には些か八つ当たり気味で酷かもしれないがご容赦賜りたい。 無批判にこういう記事が世に問われるたびに