『渋沢栄一伝記資料』とデジタル化の現在 渋沢栄一記念財団情報資源センター・茂原暢(しげはらとおる) ●はじめに 渋沢栄一(1840年-1931年)にとって2021年は特別な年となった。没後90年であることに加え,NHK大河ドラマ「青天を衝け」によりその人生が約1年間にわたり描かれた。そして彼の記録をまとめた『渋沢栄一伝記資料』は刊行完結から50年を迎えたのである。本稿では『渋沢栄一伝記資料』のデジタル化プロジェクトについて紹介する。 ●『渋沢栄一伝記資料』とは 『渋沢栄一伝記資料』(以下「『伝記資料』」)は,渋沢の伝記が多数書かれたとしても,それらが必ずしも正確さや詳細さにおいて十分ではないとの認識から,伝記を書くための資料を広く収集・編纂した「資料集」である。渋沢栄一記念財団(以下「財団」)の前身となる竜門社の企図により1932年に編纂開始,太平洋戦争による中断を挟み,同社の後継となる渋
2021年2月20日(土)に東京大学史料編纂所・科学研究費補助金基盤研究(A)「在外日本関係史料の調査と貴重史料の研究資源化による維新史料研究国際ハブ拠点の形成」(代表:保谷徹)主催による国際研究集会「幕末・維新期の日伊関係史料」をオンライン開催しました。 科学研究費補助金基盤研究(A)「在外日本関係史料の調査と貴重史料の研究資源化による維新史料研究国際ハブ拠点の形成」では、主に幕末維新期の在外日本関係史料の蒐集と研究資源化が進められています。本研究集会は新型コロナウィルスの影響によって海外文書館での史料採集が困難な現状をふまえ、人的ネットワークの構築と、基礎情報の収集に努めることを目的に開催されました。 当日は国内外より50名程度の参加があり、3名の報告者により、下記のタイトルにて報告がありました。 ・ジュリオ・ベルテッリ(大阪大学外国語学部)「イタリアの古文書館・個人書庫に眠る日本関係
いつも東京大学基金へご関心をお寄せいただき、誠にありがとうございます。 この度、みなさまへ感謝の気持ちを込め、オンラインにて特別セミナーを開催いたします。 本特別セミナーでは「文学部の地域連携活動:これまでとこれから」をテーマとし、前半は「常呂における地域連携の歴史と成果」、後半は「東大人文・熊野プロジェクト:地域連携ネットワーク構築に向けて」について、本学文学部の2名の講師が分かりやすくお話しいたします。 この機会に是非、本学における地域連携活動の取組みに対して、ご理解を深めていただければありがたく存じます。 日時 2021年12月16日(木)18時~19時30分頃 参加費 無料 プログラム・講演者紹介 18:00 開会 進行役:芳賀 京子(教授・美術史学 / 古典考古学 ) 18:05 ~ 18:10 研究科長・学部長挨拶「文学部の地域連携について」 秋山 聰(教授・美術
太平洋戦争の学徒出陣をテーマにした動画二本が、十九日からオンラインで始まる一橋大(本部国立市)の学園祭「一橋祭」で公開される。戦没した一橋大生らの追悼に取り組む卒業生有志の団体「一橋いしぶみの会」が企画。二十一日までの三日間、一橋祭の公式サイトで閲覧できる。 一つは約七十分の講演動画で、戦没学生の資料を展示する「わだつみのこえ記念館」(文京区)の山辺昌彦館長が、史料をもとに学徒出陣の規模や歴史的な流れなどを解説する。 約五十分の紙芝居風の動画では、現在のミャンマーで犠牲となった同大の学生と卒業生十人を紹介。人となりや大学生活の様子、戦地での最期などの足跡を、いしぶみの会や一橋新聞部のメンバーらによるナレーションとともにたどる。
ロシアの国と人を支えてきたウォッカの今昔 ロシア人といえば、大酒飲みで特にウォッカが大好きというステレオタイプなイメージがあります。 90年代のテレビニュースに映った赤ら顔のエリツィン大統領や、ハリウッド映画で描かれる飲んだくれロシア人のイメージが強いかもしれません。 ただ、これが間違っているイメージかというと、半分くらいは合ってるのが悲しいところです。いかに健康を害しようとも、ロシア人はウォッカをこよなく愛してきました。ロシアの歴史はウォッカと共にあったと言っても過言ではありません。 1. 「生命の水」ウォッカ 「ウォッカ」がロシアに伝わったのは14世紀後半と考えられていますが、それ以前からロシア人は酒好きであったようです。 キエフ・ルーシの歴史が描かれた12世紀前半の『原初年代記』には、キエフ大公ウラジミールがイスラム教徒に「ルーシは飲むことが生きがい」と言ったエピソードが掲載されてい
上智大(東京都千代田区)が学校運営に直接関わる「学生職員」制度を今秋から始めた。建学の理念につながるサステナビリティー(持続可能性)を学生の視点から提案してもらい、気候変動など環境問題の取り組みを社会に発信するのが狙いだ。なぜサステナビリティーが建学の精神につながるのか。上智学院カトリック・イエズス会の李聖一センター長(66)は「日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの思いから上智大学は創立されました。持続可能性を追究することは上智の使命です」と強調する。(蒲敏哉)
16世紀に来日した宣教師たちが目撃したのは、日本人が熱狂する「茶の湯」という不思議な文化であった。特に、大阪湾に面し、宣教師たちの活動拠点となった貿易港の堺は、浄土真宗と日蓮宗と禅宗が入り乱れる宗教都市であり、また茶の湯の流行の中心地でもあった。このような視点から、宣教師と堺の関係、また南蛮文化と茶の湯への影響について論じ、現在考えられている仮説も含めて紹介する。 公益財団法人遠山記念館学芸課長 依田 徹 氏 1977年、山梨県生。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了、博士美術。専門は日本近代美術史、茶道史。さいたま市盆栽美術館学芸員を経て、現在は遠山記念館学芸課長。茶の湯学会理事、文化庁文化創造アナリスト(茶道に関する調査担当)を務める。主著に『近代の「美術」と茶の湯』(思文閣出版)、『盆栽の誕生』(大修館書店)、『女性と茶の湯のものがたり』『皇室と茶の湯』(ともに淡交社)など多
先日退陣を表明した菅政権だが、発足後間もない時期に日本学術会議会員候補の任命拒否という出来事があった。これは、菅政権の固有性にとどまらない、日本の大学や学問の、国家・社会に対する位置を象徴的にあらわしている。 中世の12世紀末にヨーロッパで生まれた大学の制度が日本に移入されたのは明治初期のことである。1877(明治10)年に、蕃書調所(ばんしょしらべしょ)の流れをくむ東京開成学校、西洋医学所の流れをくむ東京医学校をあわせて東京大学が設立されるが、この段階では学位を出す機関として司法省法学校、工部省工部大学校といった、各官庁がそれぞれの職務に必要な人材を養成する学校を設けており、有力な複数の進学コースが並立していた。 その後、明治政府の機構の再編過程で、すべての教育は体系的に文部省の手に握られることとなり、司法省法学校や工部大学校を統合し、86年に、法・医・工・文・理の5分科大学からなる「帝
ちょうど20年が経過しました。 2001年9月11日。20年前のこの日は歴史的に大きな事件のあった日ですが、実は株式会社ビアスタイル21にとっても、GARGERYにとっても、ある意味があります。株式会社ビアスタイル21はもともと大手ビールメーカーの社内ベンチャーとして設立されたことは何度も触れていますが、この事業を企画した最初の2名、つまり佐々木正幸と別所弘章がプロジェクトメンバーとして初めて顔合わせをした日が2001年9月11日なのです。 当然この段階ではGARGERYの「ガ」の字も存在しなかったのですが、この日からGARGERY誕生へつながる事業計画づくりが始まったのです。 事業計画づくりと言えばきれいかもしれませんが、新しいものを生み出すために、佐々木と別所、お互いの想いをぶつけ合う、ある意味「対決」だったかもしれません。喧々諤々の議論をしながら、初めて「方向性が見えた」と感じたのは
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