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歴史に関するhigh190のブックマーク (220)

  • トバ・カタストロフ理論 - Wikipedia

    上空から見たトバ火山噴火時の想像図 トバ・カタストロフ理論(トバ・カタストロフりろん、Toba catastrophe theory)は、約7万年から7万5千年前に、インドネシアのスマトラ島にあるトバ火山が大噴火を起こして気候の寒冷化を引き起こし、その後の人類の進化に大きな影響を与えたという学説である。地質学・古人類学の分野では、火山の噴火とその後の気候変動を指してトバ事変 (Toba event) と呼ぶ[1][2]。人類の進化におけるボトルネック効果の例を示す学説として言及されることが多い。この学説は1998年にイリノイ大学教授のスタンリー=H.アンブロース(Stanley H. Ambrose)によって唱えられた。 学説の概要[編集] トバ火山の位置。 ランドサットの画像。湖中央の島はトバ・カルデラの中央火口丘である。 今から7万-7万5000年前、トバ火山が火山爆発指数最大のカテゴ

    トバ・カタストロフ理論 - Wikipedia
  • 米国は第3の原爆投下を計画していた

    テニアン島に到着した巨大なプルトニウム爆弾「ファットマン」。1945年8月9日に長崎へ投下された。(UNIVERSAL HISTORY ARCHIVE/GETTY IMAGES) 1945年の夏、米国が世界で最初の原子爆弾を投下したとき、戦争は永久に変わった。たった1個の爆弾が、都市とその住民を丸ごと消し去ってしまう時代が訪れたのだ。 米国は、7月にニューメキシコ州の砂漠で原子爆弾の爆発実験を行った後、8月に日の広島と長崎に原爆を投下した。だが、長崎への投下から日が降伏するまでの6日間、米国はこれで終わりとはまだ考えていなかった。次の原爆投下は間近に迫っていた。 長崎への投下で米国は原爆を使い果たしており、降伏しなければさらに原爆を落とすというのはハリー・トルーマン大統領の脅しだったとする主張が根強くある。しかし、それは決して単なる脅しではなかった。 第二次世界大戦末期、米国はできる限

    米国は第3の原爆投下を計画していた
  • ナショナリズムを刺激する「軍艦島」の、世界遺産としての説明責任は重い

    世界から見れば「軍艦島」は日の世界遺産の中でもそれほど重要な位置付けではないが、日人にとっては特別な意味を持つ ziggy_mars-iStock. <明治日の産業革命遺産が輝かしく見えるのは、日の「国民史」においてそう位置付けられているからだ。「世界遺産」なら、「国民史」の枠組みを離れて韓国やさらにはそれ以外の国の人々にも通じる説明が必要だ> 去る6月15日、東京都内にて「産業遺産情報センター」の公開が再開された。3月31日に開館した同館であるが、同日の開所式直後から新型コロナウイルスの蔓延により臨時休館を余儀なくされていたから、この日が事実上の開館だったという事になる。 その名称からも明らかな様にこのセンターは、2015年に正式登録されたユネスコの世界遺産「明治日の産業革命遺産:製鉄・製鋼、造船、石炭産業」に関わる内容を展示するものであり、同センターはその為の研究機能をも併せ

    ナショナリズムを刺激する「軍艦島」の、世界遺産としての説明責任は重い
    high190
    high190 2020/07/27
    "「世界遺産」という枠組みが、我々をして国際社会に対して歴史を語る時に何を考え、準備しなければならないのかという大きな宿題を与えている"
  • 「オラショ」研究の第一人者 皆川達夫さん死去 キリシタン研究に大きな影響 | 長崎新聞

    Published 2020/05/27 11:00 (JST) Updated 2020/05/27 16:11 (JST) 長崎県平戸市・生月島でかくれキリシタンが伝承してきた祈りの歌「オラショ」研究の第一人者で、立教大名誉教授の皆川達夫さんが4月に亡くなった。92歳。生月のオラショの原曲が16世紀のイベリア半島で歌われた聖歌であることを突き止めるなど、その後のキリシタン研究に大きな影響を与えた。功績を振り返る。 「紳士的な方で、いろいろ教えていただいた。研究はとても実直で、学問に対する情熱がすばらしかった」。かくれキリシタンの研究者で市生月町博物館学芸員の中園成生さんは振り返る。同館が開館した1995年に初めて会い、その後何度も調査で生月を訪れた皆川さんと親交を持った。晩年も手紙でやりとりを続けたという。 皆川さんは27年東京生まれ。東京大文学部卒、同大学院修了。西洋音楽史を研究し、

    「オラショ」研究の第一人者 皆川達夫さん死去 キリシタン研究に大きな影響 | 長崎新聞
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    high190 2020/05/28
    ご冥福をお祈りします。
  • バチカン図書館に収蔵された日本関連史料の謎に迫る! | academist (アカデミスト)

    5月12日追記 サポーターの皆さま サポーターの皆さまの手厚いご支援により、達成率が158%、ご支援総額は¥2,379,400にまで達し、チャレンジ期間を終えることが出来ました!!! これまでにたくさんのご支援と温かいお言葉を下さった127名のサポーターの皆様に、この場を借りて厚く心よりお礼申し上げます。 以降も、皆様のご支援とご期待にお応えすべく、一層気を引き締めて研究プロジェクトを進めて参ります。 研究の様子や進捗状況は、アカデミストのウェブサイトをはじめ、私たちの活動母体である関西大学アジア・オープン・リサーチセンター(KU-ORCAS)のウェブサイトでも随時お伝えしていく予定です。 弊センターのウェブサイトでは、バチカンプロジェクトの特設ページの他、弊センターで管理するデジタルアーカイブを利用した「塗り絵 大坂画壇」など、楽しいコンテンツを多数ご用意しております。併せてご覧頂けま

    バチカン図書館に収蔵された日本関連史料の謎に迫る! | academist (アカデミスト)
  • 村井純教授の1月16日最終講義全文書き起こし

    Ruby on Rails, Web Services, Software Development, Startups 概要 「日のインターネットの父」と呼ばれる慶応大環境情報学部教授の村井純さん(64)が定年を迎え、16日、最終講義があった。村井さんは「インターネットに国境はない。国や政府が分断したり規制しようとしたりする試みは続くだろうが、若い人たちで守ってほしい」と呼びかけた。 https://www.asahi.com/ 村井先生の最終講義。16年ぶりに村井先生の講義を聞いて懐かしくなりました。せっかく良いことをたくさんおっしゃっていたので人力で書き起こしをしました。(Amazonウィッシュリスト) 講義全文 共同授業担当 佐藤特任准教授(以下教員): そろそろ始めましょうか。 村井: はい。それでは皆さん、こんにちは。インターネットの、2019年秋学期の最終回ということで集まっ

    村井純教授の1月16日最終講義全文書き起こし
  • 明治学院大学機関リポジトリ

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    high190 2020/02/02
    “学校の設置認可に関する法令規定の教育史的研究―公立学校と私立学校による当該規定の差異の分析を中心として―”
  • 国境越えた中国茶の世界 歴史や味わい方をのぞき見 - 東大新聞オンライン

    東大中国茶同好会(Twitter:@utzhongguocha)の茶会に参加すると、中国茶の六大茶類という分類や各種の茶器の取り扱い方、お茶の入れ方が学べ、文化の交流を実感できる。中国茶同好会初代代表・磯尚太郎さん(養・4年)と現代表・三浦駿人さん(法・4年)に取材し、中国茶の歴史的な伝承や社会的な機能の変化、中国茶同好会の設立の思いや取り組みを聞いた。 �(取材・劉妍) 薬用から娯楽へ 漢代には既に人々がお茶を飲んでいたという記述が見られるが、現在の飲み方にたどり着くまでには紆余曲折を経ている。中国神話の中で最初にお茶を飲んだとされるのが、約5000年前の神農だ。100種類の薬草を試し、茶葉の解毒効果で中毒状態から回復した。当時は茶葉をかみ、エキスを吸っていたという。魏晋南北朝時代(220〜589)になると、茶葉をしょうがや穀類と一緒に煮た茶がゆという料理が多数の文献に見られる。 最初に

    国境越えた中国茶の世界 歴史や味わい方をのぞき見 - 東大新聞オンライン
  • 医学部が日本の大学界に圧倒的な力を持つ理由

    「東京一極集中」、「地方の衰退」。 メディアがしばしば取り上げるテーマです。 教育も例外ではありません。「東京にはいい大学があり、学問をするには東京に行かねばならない」とお考えの方が多いのではないでしょうか。 たしかに、わが国には大学教育の地域格差が厳然として存在します。東京には東京大学や慶応義塾大学のような有名な大学があります。東京の医学部のレベルは高いと考えるのもやむを得ないかもしれません。 ところが、必ずしもそうとは言えないのです。拙著『ヤバい医学部 なぜ最強学部であり続けるのか』でも詳しく解説していますが、医学の世界では、「実力の評価」は比較的容易です。なぜなら、医学界では、英語で論文を発表するという全世界で確立した評価基準があるからです。 その最たるものがノーベル生理学・医学賞です。わが国からは過去に4人が受賞していますが、最難関の東京大学医学部出身者はいません。 医学界は「西高

    医学部が日本の大学界に圧倒的な力を持つ理由
    high190
    high190 2019/12/31
    "わが国の高等教育は、明治から戦前にかけての歴史の影響が、現在も残っている"
  • ’89 牧瀬里穂のJR東海クリスマスエクスプレスのCMが良すぎて書き殴ってしまった|pato|note

    ここにあった文章はすったもんだの末、https://sakumaga.sakura.ad.jp/entry/2020/10/07/120000 に移動しました

    ’89 牧瀬里穂のJR東海クリスマスエクスプレスのCMが良すぎて書き殴ってしまった|pato|note
  • バチカンと日本 交流の歴史資料 調査・研究プロジェクト発足 | NHKニュース

    ローマ教皇庁があるバチカンに残された日との交流に関わる歴史資料を3年がかりで調査・研究する新たなプロジェクトが発足しました。 日とバチカンは戦国時代に天正遣欧少年使節が派遣されて以降、江戸時代の鎖国を挟んで400年以上に渡る交流の歴史があります。 発表によりますと、現地の図書館や文書館などには織田信長が贈ったびょうぶや日人信徒がローマ教皇に送った書簡など、日に関する資料が数多く残されているとみられていますが、詳細な研究はこれまでほとんど行われていないということです。 このため来年以降、現地の協力を得て格的な調査を行い、3年かけて研究成果をまとめたいとしています。 また来年6月には長崎で、11月には東京でシンポジウムを開いて、それまでの成果を発表するということです。 研究代表を務める上智大学の川村信三教授は「これまでアクセスできなかった資料への扉が開かれるという恵まれた研究環境を生

    バチカンと日本 交流の歴史資料 調査・研究プロジェクト発足 | NHKニュース
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    high190 2019/11/24
    "現地の図書館や文書館などには織田信長が贈ったびょうぶや日本人信徒がローマ教皇に送った書簡など、日本に関する資料が数多く残されているとみられていますが、詳細な研究はこれまでほとんど行われていない"
  • 新谷 崇 (Takashi Araya) - マイポータル - researchmap

    以下の研究課題に取り組んでいます。 ご興味のある方はご連絡ください。 2015‐現在 : イタリア領東アフリカ植民地における宗教、人種、性(1935‐1941) 植民地法に与えたカトリック教会法と政教協約の影響 2008‐2014: イタリア・ファシズム体制とカトリック教会の共生(1922‐1943) 聖職者の動員と体制に対する支持形成のメカニズムについて 2001‐2007: 1910~20年代イタリアにおける政治歴史学、メディア ガエターノ・サルヴェーミニの思想と行動について [写真] コジモ1世とカロヴァーナ宮(ピサ・イタリア)

  • 「ローマ法王」「ローマ教皇」正しいのはどっち?国交樹立した1942年からくすぶる“表記ゆれ”の経緯

    実はローマ教皇をめぐって、日で長年“ある問題”がくすぶっています。「ローマ教皇」と「ローマ法王」どっちの表記が正しいのか、という点です。

    「ローマ法王」「ローマ教皇」正しいのはどっち?国交樹立した1942年からくすぶる“表記ゆれ”の経緯
  • 近代日本高等教育体制の黎明 : 交錯する地域と国と宣教界

    タイトル 近代日高等教育体制の黎明 : 交錯する地域と国と宣教界 著者名 田中, 智子 著者別名 タナカ, トモコ 学位授与大学 京都大学 取得学位 博士 (文学) 学位授与番号 乙第12627号 学位授与年月日 2012-03-26

  • デジタル技術で明らかになる日本の原風景 | 東京大学

    橋を写した写真。1872年頃撮影。露光時間が長いため、手前の人物が薄い影になっている(カンマーホフ博物館モーザー・コレクション寄託、東京大学史料編纂所撮影) 150年前、日はどんな国だったでしょうか? 当時、二人のオーストリア人写真家が日で撮影・収集した写真のガラス原板ネガを見れば、イメージが湧くでしょう。手のひらサイズのこれらの原板は、現在はオーストリアでしか直接見ることができませんが、200年以上の鎖国を終え急速に近代化し始めた幕末から明治時代初期の日を知るユニークな手がかりを与えてくれます。 東京大学史料編纂所の研究者らは、2010年以降、計7回にわたってオーストリアの博物館や図書館に足を運び、所蔵もしくは保管管理されているこれらのガラス原板を高精細デジタルカメラで撮影してきました。 史料編纂所の保谷徹所長。編纂所エントランスに飾られた写真パネルの前で。後ろに出島が見える。

    デジタル技術で明らかになる日本の原風景 | 東京大学
  • 入試改革は歴史上何度も延期されている 迷走する2020年度入試、文科省は過去から学べ | AERA dot. (アエラドット)

    共通一次の延期見通しを伝える1976年の朝日新聞記事 2020年度から始まる大学入学共通テストの評判が芳しくない。英語民間試験の活用、国語の記述式問題導入などが「受験の機会均等や公平性が保たれない」「信頼性を損なう」と批判にさらされている。 たとえば、地方の受験生は英語民間試験を受ける機会に恵まれない。受けたくても会場まで出向くのに日時がかかり、経費もかさんでしまう。国語の記述式問題の採点をアルバイトの学生に任せるという話が出ているが信頼できない―――などである。 このような新入試制度に対する不信感は高校の教育現場に根強くあり、全国高等学校長協会は、英語民間試験の延期、見直し要望書を文部科学省に提出した。大学、予備校からも同様の問題点を指摘されている。 しかし、文部科学省は大学入学共通テストをスケジュールどおりに進めようとしている。延期するという発想はないようだ。 大学入試の歴史をふり返る

    入試改革は歴史上何度も延期されている 迷走する2020年度入試、文科省は過去から学べ | AERA dot. (アエラドット)
  • 「ラストエンペラー」とその時代を知る 溥儀研究院が中国・長春に設立

    1961年10月3日、中国・北京市で開かれた中国人民政治協商会議で帰国した香港・マカオの同胞を歓迎する溥儀(中央、1961年10月3日撮影、資料写真)。(c)CNS/張茂新 【9月30日 CNS】「ラストエンペラー」として知られる、清朝皇帝の溥儀(Pu Yi)研究院が、中国・長春市(Changchun)に設立され、偽満州傀儡政権皇宮博物館院長を務める王志強(Wang Zhiqiang)氏が研究院長に就任した。同研究院は、「ラストエンペラー」の一生を研究することを通じて、中国近代社会の変遷を展示するのが目的だ。 故宮博物院(The Palace Museum)、中国第一歴史档案館、中国社会科学院、清朝宮廷史研究会、第二次世界大戦博物館など100以上の科学研究機関や公文書館の専門家、学者らが溥儀研究院の設立に立ち会った。 愛新覚羅・溥儀は、中国歴史上の最後の皇帝。1908年にわずか3歳で即位し

    「ラストエンペラー」とその時代を知る 溥儀研究院が中国・長春に設立
  • 日本の学校はなぜ4月に新しい学年がスタートするのか? 諸外国はどうか?

    ■要旨 基礎研レター「3月期決算の会社が多いというのは当か、またその理由は?」(2019.4.1)では、日の会社で3月期決算(事業年度が4月から3月まで)が多いことの理由の1つとして、「教育機関の学校年度(school year又はacademic year)との関係」を挙げ、小中高等学校や大学等の教育機関の学校年度が4月にスタートして3月に終了することも、会社の事業年度の決定に影響していると述べた。 それでは、なぜ、学校年度は4月から3月になっているのだろうか。今回のレターではこの点について調べてみた。 ■目次 1―はじめに 2―教育機関の学校年度について 3―日教育機関の学校年度はなぜ4月から3月に設定されているのか 4―諸外国の学校年度はどうなっているのか 1|各国の公的教育機関の学校年度(School Year) 2|米国の学校年度について 3|英国の学校年度について 4|

    日本の学校はなぜ4月に新しい学年がスタートするのか? 諸外国はどうか?
  • コラム・寄稿「選択的別姓問題と個人の自由の価値」

    1. 選択的別姓はパレート改善的制度である サイボウズの青野慶久氏による訴訟の一審が敗訴となった。筆者はこの問題が民法改正を求めるのが正論ではあると思うものの、現民法は憲法違反であるとの訴訟が敗訴した状況を踏まえ、戸籍法を盾にとった青野氏の独創性は高く評価している。もちろん、選択的別姓支持の立場からである。 筆者が選択的別姓を支持するのは、これがパレート改善的制度だからであり、自由主義的社会制度設計の基概念にかかわるものだからである。日において選択的別姓のパレート改善性に言及したものがあるかどうか検索したら、2017年の青山学院大学の『青山国際政策論集』で瀬尾佳美・飯坂ひとみ共著の論文があることが分かったが、それ以外には見当たらない。パレート最適とかパレート改善という用語は経済学者の一部を除いて日で多く用いられることはないからであろうか。しかし米国では自由主義的哲学(あるいは功利主義

    コラム・寄稿「選択的別姓問題と個人の自由の価値」
    high190
    high190 2019/04/11
    “選択的別姓問題と個人の自由の価値”
  • キリシタン文学の継承:宣教師の日本語文学

    1873年、明治新政府がキリスト教を解禁してから多くの宣教師が来日しました。今日までの約150年間、来日宣教師のうち、約300人が日語で著述し、約3000冊に上る日語書籍を刊行しています。日滞在の外国人に関して言えば、宣教師のように使命感に駆り立てられて、矢継ぎ早に日語を用いて著述する「職業」はほかにないといえるでしょう。 研究は、1860年代から21世紀までに来日した宣教師が日語で刊行した作品群を検討し、これらの書物が果たした日文化への貢献を総合的に解明することに努めるものです。 2018年4月 研究主宰者/郭 南燕(日語文学者) 新着情報 2020/06/03 著作目録 外国人宣教師日語著作目録ハ行PDFの公開 参加者: 郭 南燕、石上 阿希、増田 斎 日時:2020年6月3日 場所: 2019/04/01 著作目録 外国人宣教師日語著作目録 ナ行 PDFの公開 参