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ブックマーク / kihamu.hatenadiary.org (10)

  • リスク社会における公共的決定2――「トンデモ」批判の政治性と政治の未来 - on the ground

    今日は少し、色々な文脈を縫い合わせるようなお話をしてみたいと思います。例によって長いですが、ご関心の向きはしばしお付き合い下さい。 1.立場で争うことの不毛 あなたは、目指している方向性や考えそのものは大して違わないのに、感情的対立や形式的な事柄(手続き、名称、身分、肩書き、…)に発するい違いなどのため、相手との合意に結び付かない、といった経験をしたこと(あるいは見聞きしたこと)は無いでしょうか。友人や恋人との間で、家庭で、学校で、職場で、地域で、複数の人が何らかの関係を取り結んで事にあたろうとする場面において、これは往々にして発生する事態であると思います。「合意など必要無い」と独力で目的を達成できる人であれば問題ありませんが、多くの人にとっては、広く合意を取り付けておくに越したことはありません。 円滑な合意形成を図るにはどうしたらよいか。この点について研究を行っている交渉学では、「立場

    リスク社会における公共的決定2――「トンデモ」批判の政治性と政治の未来 - on the ground
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    REV 2010/03/28
    『「トンデモ批判」批判』ではないらしいのだが。 ホワイトリスト派の科学者に「おまえらが誠実に調査して妥当ならブラックリストにいれるべき。おまえらの金でなw」と読んだ。
  • 『ONE PIECE』における正義と信念の問題 - on the ground

    宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(早川書房、2008年)を読んで私が感じた最大の不満は、同著が90年代後半以降のサブカルチャー作品を多数採り上げ、漫画『DEATH NOTE』を新時代の「決断主義」を象徴的に描いた作品として詳しく取り扱いながら、同時期に漫画界のトップランナーであり続けた作品であり、『DEATH NOTE』と同じ『週刊少年ジャンプ』に連載されている『ONE PIECE』への言及を全くと言っていいほど含んでいないことであった。 当ブログではこれまで『DEATH NOTE』と『20世紀少年』を採り上げ、ともに正義にまつわる問題との関連で論じたことがある。両作品を比すと、前者よりも後者の方が思想的な重要性が大きく、内容もより複雑であったが、『ONE PIECE』は内容において両作品よりも遥かに明快でありながら、思想的には最も尖鋭な領域にまで踏み込んでおり、三作の中で最重要の作品と言って

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    REV 2009/10/05
  • 数学を勉強することの意味――「1+1」の思想 - on the ground

    勉強することの意味を尋ねられたらどう答えようかな、などとはよく考えることがあるけれども、今日は特に数学に限定して考えてみようか。先日、数学を勉強するのは論理的思考を養うためだという旨の説明を横耳で聞く機会があって、それも一つの説明だろうなとは思いながら、ただそれだと国語との差別化が難しくなるだろうと感じていた(実際、その人は数学≒国語だと結論したのである)。 他の説明(説得?)の仕方としては、数学は現に「必要」になるし「役に立つ」んだということを示す方法や*1、数学は意味など無くても単純に楽しいものなんだよと見せつけるアプローチなどがあるのだろう*2。ただ、これらは誰にでも当てはまるわけではないという意味で、論理的思考の訓練であるという説明に比して汎用性は低いように思う。そこで、一種のトレーニングのためであるという説明の方向性を維持しつつ、国語とは区別された数学の独自性を損なわない形で論を

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    REV 2009/09/23
  • 倫理学には入門する価値があるか - on the ground

    動物からの倫理学入門 作者: 伊勢田哲治出版社/メーカー: 名古屋大学出版会発売日: 2008/11/20メディア: 単行購入: 16人 クリック: 209回この商品を含むブログ (54件) を見る 科学哲学の啓蒙書や論理的思考の指南書などで好評を得ている著者が*1、「なぜ動物は殺してよいのか」「動物に人間と同じ権利が認められないのはなぜか」などの問いを含む動物解放論を中心とした応用倫理学的問題系について語りながら、倫理学そのもの(メタ倫理学・規範倫理学)の展開と分布を説いていく入門書。扱われている範囲は広大であるが、文章は平易であり、文献案内も充実している。 すなわち良書である。が、つまらない。倫理学への導入を助ける一冊として、一般的には迷い無く推薦できる水準と言えようが、私にとっては心底退屈なだった。序盤から既に辛く、中途半端な知識を補完するために頑張って通読しようと志していたのだ

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    REV 2009/07/17
  • 正しいのはオレだ - on the ground

    例えば音楽で世界を変えようとすることは、愚かなことだろうか。「愛と平和」と叫んで暴力を止めようとすることは、馬鹿げているだろうか。気で世界を変えようとしている人は馬鹿と呼ばれても別に何も思わないだろうが、実際のところ馬鹿でもなんでもない。確かに、争いの無い世界を皆で想像すれば争いを無くすことができると考えるのは、社会科学的観点からして認められない見解である。けれども、そう考えることは間違いでも、それを実行しようとすることは社会科学と相容れないわけではない。 もちろん、音楽では世界を変えることはできない。そんなことは、いい大人なら誰でも薄々解っていることだ。でも、世の中には歌う人がいる。音楽に限らず、人に世界を変えることは不可能である。それでも、人はそれをしようとする。そして、それは決して愚かな行為ではない。 なぜか。世界を変えることはできないと解っていて、それでもなお変えようとすることが

    正しいのはオレだ - on the ground
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    REV 2009/05/07
    次の大阪府知事はロッカーを推す話かな。ギターで不況をぶっ飛ばせ。/「当たらない、なんて誰にも分からない。だからこの絵を/牛肉債権を 買おうぜ」
  • いじめの構造 - on the ground

    いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書) 作者: 内藤朝雄出版社/メーカー: 講談社発売日: 2009/03/19メディア: 新書購入: 37人 クリック: 550回この商品を含むブログ (71件) を見る なぜいじめが起こり、エスカレートするのかについてのメカニズムを理論的に解き明かした良書。著者独自の概念が頻出することもあり、一般読者向けとしては歯応えのある方だが、内容はとても刺激的。 個人や集団の心理や行動が物理的・制度的な環境によって多分に構築されることを豊富な事例とともに解説しながら、「生態学的設計主義」の善用によっていじめを防圧することが可能であると説く。 狭義のいじめ研究を踏み越えて、教育制度全体の再設計や集団一般の全体主義的暴走のメカニズム解明にまで進んでおり、その射程は広い。提案されている個別の施策については吟味の余地があるとしても、著者の個人史にも踏み込

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    REV 2009/04/09
  • 現代日本社会研究のための覚え書き――7.教育 - on the ground

    今回は短め、です。その分、増補の余地が大きいと思われ、ます。特に90年代以降については、もう少し勉強&検討が必要かと。 国民教育の成立 国家の近代化を担う国民の教化・啓蒙を進めるため、明治政府は1871年に文部省を設置する。翌72年には学制を公布して、あまねく国民に自律した近代的主体としての能力を身に付けさせることを目指す、「国民教育」の建設に着手した。全国に小学校が設立され始めると、江戸期から寺子屋で庶民教育が行われていたこともあり、75年には男子の小学校就学率が50%を超えた(五味ほか編〔1998〕、328頁)。79年の教育令、80年の改正教育令を経て、86年に公布された学校令によって、保護者には児童に教育を受けさせる義務が課せられた(義務教育の開始)。その後、1900年に義務教育期間が4年に確定されるとともに授業料が廃止されたことにより、就学率は大幅な伸びを見せる。男子に後れを取って

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  • 続・「刑罰は国家による復讐の肩代わり」という神話 - on the ground

    未だ当たっておくべき文献は残っているのだが、もとより論文を書くわけでもないし、それなりに文献を渉猟する中で既にある程度言えることも出て来たので、ひとまず書いておくことにしよう。なお、エントリは以下の二つのエントリの続きとして書かれるので、予め参照を乞いたい。 被害者及び死刑(後半&コメント欄) 「刑罰は国家による復讐の肩代わり」という神話(含コメント欄) 「国が仇を討ってやるから、勝手にやるな」 まず、全国犯罪被害者の会で代表幹事を務める岡村勲の手になる文章の一節を引いておきたい*1。 人問誰しも犯罪、特に重大な犯罪の被害者や遺族になれば、加害者に対して応報感情を持つのは当然だ。 昔は「仇討ち」という制度があった。殺害された被害者の近親者は、休職して仇討ちに行く。捜査費用は人持ちだ。首尾よく目的を達して帰国したら、武士の鑑として賞賛され、復職する。途中の艱難辛苦に堪えかねて、脱落した者

    続・「刑罰は国家による復讐の肩代わり」という神話 - on the ground
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    REV 2008/08/17
    「のみにあらず」/「「刑罰(という実態)は国家による復讐の肩代わりという機能を含む(と俺も考える)」≠「刑罰は国家による復讐の肩代わりを目的として実施されるので、復讐を満足させるだけの刑を処すべき」
  • 被害者が負うもの・負わないもの - on the ground

    殺された側の論理 -犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」 作者: 藤井誠二出版社/メーカー: 講談社発売日: 2007/02/27メディア: 単行購入: 2人 クリック: 52回この商品を含むブログ (27件) を見る 藤井誠二が犯罪被害者に密着し過ぎていることは既に明らかだが、このの第1章での村洋への同一化の程度は甚だしい。私は別にそれを批判しようとは思わないけれども(藤井は研究者ではない)、ノンフィクションライターとしても結構ギリギリの線を歩いているような気がする。 タイトルが示す通り、書は「殺された側」に固有の論理があるという前提で編まれている。だが、ざっと読んだ限りでは、その論理を彫り出して見せようとする藤井自身がどういう立場性で以て、どのような「論理」あるいは「倫理」で以て「殺された側」の論理に寄り添っているのかが、ほとんど語られていないように思う。そういう観点からすると

    被害者が負うもの・負わないもの - on the ground
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    REV 2008/07/09
  • 語りへの暴力的な欲望 - on the ground

    例えばデリダは、既存の法を個別の事件にそのまま適用することは、正義ではないと言った。判決の産出/算出を一般化可能なプログラムの作動に任せるとすれば、裁判官は機械でしかなくなり、法廷で行われるのは計算に過ぎないことになる。正義に適うのは、既存の法をベースにしつつも、個別の事件の特殊性、唯一的な文脈に応じて、その都度・新たに法を創出するかのような判決だけである。そのような判決だけが、当事者が置かれた個別的な条件への一般化不可能な配慮が含まれた決定だけが、(脱構築不可能な)正義で在り得る。そう、デリダは主張した。 この立場からすれば、何らかの「事件」に関する「語り」についても、同様のことが言えるように思う。批評家でも評論家でも哲学者でもTVコメンテーターでもいい。有り体のイシューなりアジェンダなりを予め用意しておき、それを認識/解釈の枠組みとして個別の事件に適用し、事件の原因や背景(または「

    語りへの暴力的な欲望 - on the ground
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    REV 2008/06/15
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