Her Majesty 1969年7月収録 Contents 女王陛下の懐は深かった 謎のエンディング 心臓に悪い度肝抜く始まり 見習いエンジニア君の失敗 第一のハプニング 第二のハプニング 天才の真骨頂 Sponsored Link Advertising 女王陛下の懐は深かった アルバム『アビイ・ロード』の最後の曲『ハー・マジェスティ』は「女王陛下」を茶化した内容だ。 なにせ女王陛下は可愛い素敵な娘だと歌い、いつかものにしてやるなどと歌うのだから日本では考えられないことだ。いくらユーモアとウィットを愛する国でも、さすがに発表当時は物議を醸した。しかし王室からのお咎めは一切なかったのである。 それどころかポール・マッカートニーは2002年の女王即位50周年記念コンサートでこの曲を生演奏したぐらいだ。女王陛下の肝っ玉の大きさが知れる。 ビートルズは1965年10月、くだんのエリザベス女王か
今回は、映画感想シリーズ!! 10月11日に公開した、話題の映画『YESTERDAY』についてです!! 少し遅いですが、感想記事を書かしていただきます・・・ 内容はだいたい把握している人も多いのではないでしょうか?? 主人公が、ある事故がキッカケで、ビートルズが存在しなかった世界に飛ばされる話・・・ 正確にいうと、飛ばされたというより、そういう世界になってしまった??と説明した方が正しいかも・・・ ビートルズ世代、ビートルズファンにはたまらない作品になっていると思います!! もしもビートルズが世界に存在しなかったら?? あなたならどうする?? もし自分に、プロレベルの歌唱力があれば、ビートルズの曲を、自分の曲として世に送り出す?? 本来、自分の曲ではないのに?? 他人の曲を歌って、富や名声を得るのか?? そのあたりの、主人公の葛藤が見事に描かれています!! また、ファンにはたまらないシーン
お探しの記事は加筆修正のうえ、下記の記事に移行しました。 お手数ですが、ぜひそちらをご覧くださいませ。 www.eigonodogutman.com
ある日、目が覚めると自分以外の誰もビートルズ(The Beatles)を覚えていなかった…。突如“ビートルズがいなかった世界”になってしまった世界で、1人だけビートルズを覚えていた青年がビートルズの音楽を世に出し、一躍スターになっていくという映画『Yesterday』。本編クリップ映像が公開 監督は『トレインスポッティング』『スラムドッグ$ミリオネア』のダニー・ボイル(Danny Boye)、脚本は『ラブ・アクチュアリー』のリチャード・カーティス。 主人公は、英国の小さな街に住むシンガーソングライターのジャック。幼なじみで親友のエリーに献身的に支えられながらもまったく売れず、音楽で有名になりたいという夢に限界を感じていた時、世界規模で瞬間的な停電が起こり、彼は交通事故に遭う。昏睡状態から目を覚ますと、この世にはビートルズが存在していなかったことになっていた、というストーリーです。 主人公ジ
コピーバンドでドラムを叩いてたくらいにはビートルズ好きです。 おかげでこんな記事も書きました。 元コピーバンドのドラマーが選ぶ、叩いてて楽しいビートルズの曲10選! - コバろぐ だから、ビートルズの映画『Let It Be』の制作が発表されたと聞くと、「は?」となりつつも胸躍ってしまうのです。 『Let It Be』復活です! 映画『Let It Be』とは 『Let It Be』は、1970年に公開されたドキュメンタリー映画です。 『レット・イット・ビー』(Let It Be)は、ビートルズが1969年1月に行ったセッション(ゲット・バック・セッション)と、彼らの最後のライヴ・パフォーマンスとなった「ルーフトップ・コンサート」の模様を記録した、ドキュメンタリー映画である。「ペーパーバック・ライター」や「レイン」等のプロモーション・フィルムの製作を手がけたマイケル・リンゼイ=ホッグが監督
まずこの話をすすめる前に、ジョンレノンの生い立ちについて、説明しておかねばなるまい。ジョンの父は船乗りであまり家にはいないし、母は他の男と同棲中ということで、ジョン自身は伯母のミミさんに育てられた。 またこのミミ伯母さんが厳しいヒトで、なおかつコントロールフリークみたいなところもあった。その反動からか、反抗的な少年時代を送ったわけだ。そのなかで1955年には、血も繋がっていないのに、ジョンに優しかったジョージ伯父さんが亡くなる。 さらには実の母親であったジュリアも、1958年に交通事故で失うという不幸に見舞われる。多感な時期にいろんなことがあったわけだ。それらのハナシもふまえてさらに続ける。 ジョンが大好きな私の彼は「理解できる」と言っていました 克也さんも男性ですから、ジョンの気持ち理解できるでしょう。 これはある女性リスナーが、パーソナリティーの小林克也にむけて、リクエストはがきにつづ
今からちょうど50年前のこと。1967年6月1日にザ・ビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』がこの世に誕生した。本作は、ザ・ビートルズにとって本国英国での8枚目となるオリジナル・アルバムであり、その後発表された作品も含めて、すべての彼らのアルバムの中でも最高傑作と評価されている作品である。ではなぜ、このアルバムが素晴らしいのか。そして、その素晴らしさは今でも通用するのか。そのあたりを検証してみたいと思う。 本題に入る前に、本作発表時のザ・ビートルズはどのような状態だったのかをおさらいしておこう。1962年にザ・ビートルズとしてデビューしたジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人は、急激に人気を獲得してたった4年しか経っていないというのに、1966年の時点でかなり疲弊していた。というのも、世界的な人気を得たのは
ビートルズの傑作、50周年リミックスで発売へ ビートルズの代表的アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の発売50周年を記念し、リミックス(再構成)版が5月26日に世界同時発売されることになった。 発売元のユニバーサルミュージックが発表した。より現代風な音響設計になっているという。世に出ていない、収録曲の別テイクなども併せて発表される。 同作は1967年発売。ビートルズふんする架空のバンドによる演奏という設定で、アルバム全体で一つの世界を表現する「コンセプト・アルバム」の先駆けとされる。 様々な楽器を駆使した重厚で実験的な音作り、親しみやすいメロディーが特徴だ。 同社によると、リミックスは当時プロデューサーだったジョージ・マーティンの息子、ジャイルズ・マーティンさんが担当した。 http://www.yomiuri.co.jp/culture/20170405-
AMP(アンプ)は、<新しい音楽と出会う>をコンセプトにさまざまな音楽情報を提供するWEBメディアです。洋楽を中心に編集部がピックアップしたおすすめの音楽を、特集、レビュー、コラムなどを通してお届けします。大ヒットした『ザ・ビートルズ1』の最新エディションの発売が待たれるザ・ビートルズですが、今回久保憲司さんが選んだのは「ザ・ビートルズのベストギターソング10曲」。ビートルズと久保憲司さんとあって、内容はもちろん一筋縄ではいきません。ぜひお楽しみください!(編集部) 1. アンド・ユア・バード・キャン・シング ビートルズで一番かっこいいギター曲と言ったら間違いなくこれでしょう。ポールとジョージの絡み合うリードギター、そして、鐘を叩くかのように曲を支えるジョンのリズムギター。…ビートルズ最高の瞬間です。ジョージは12弦ギターを弾いています。何回聴いても天国に行けます。 「えっ、ポールがリー
残すところ、今月末のロラパルーザへの出演のみとなっているポール・マッカートニーのアウト・ゼアー・ツアーだが、ポールはジョン・レノンが1980年に銃撃され他界してから、ジョンが神格化されていくのと折り合いをつけていくのが大変だったことを語っている。 ポールはエスクワイア誌の取材に応えてさまざまな話題について答えているが、次のように元ビートルズのメンバーでジョンだけが神格化されていった経緯を振り返っている。 「ザ・ビートルズが解散するとぼくたちはそれぞれになんか平等な感じになったんだよ。ジョージ(・ハリスン)はジョージのアルバムを作って、ジョンはジョンのを作って、ぼくはぼくのを作って、リンゴ(・スター)はリンゴのを作ったっていうふうにね。だから、なんかビートルズの頃のようでもあったんだよ。みんな平等にやってるなって。その後、ジョンが銃撃されて他界して、この事件が単純に恐ろしかったということのほ
おかえりなさい、ポール! Here we are! Let's rock Japan! pic.twitter.com/5XzkNPYNOU— Paul McCartney (@PaulMcCartney) 2015, 4月 19 4月20日(月)午前8時すぎ、ポールを乗せた米国発のチャーター機が関西空港に到着した。ファン約500人に出迎えられ、黒のジャケットにサングラスをかけ、左手にはベースのケースを持ったポール登場。ナンシー夫人と仲良く肩を組み、ファンに向けて笑顔で手を振って「オハヨウゴザイマス」「オッス!」「コンニチワ」と日本語であいさつ。「皆さんのことを愛しています」と声援に応えていた。 4月21日は大阪で、23日、25日、27日は東京ドームで、28日は日本武道館での公演が予定されている。 なかでも日本武道館での公演はビートルズのメンバーとして来日したとき以来49年ぶりとなり、期
来日公演を今月下旬に控えた元ビートルズのポール・マッカートニーさん(72)が15日午前(日本時間)、朝日新聞の単独電話インタビューに応じた。単独での来日公演は通算5度目、2013年11月以来となる。1966年のビートルズ日本武道館公演の思い出や音楽の力などについて語った。 ――昨年予定していた来日公演が中止になった時は、とても残念でした。 「あの時は、日本で、みなさんにとてもよく面倒をみていただきました。日本から戻って4週間ぐらいしたら、すっかり元気になっていたので、本当にうれしかったです」 ――2013年の来日公演と比べて、今回、曲目、演出に変化はありますか? 「現在リハーサル中ですが、たくさんある曲の中から、どれを選ぶか大変に苦労しています。ショー自体は、あまり前回と違いはないかもしれないですが、サプライズがあるかもしれませんよ」
レット・イット・ビーが撮影された「3つの場所」 前提知識のもう1つ。 アルバム「レット・イット・ビー」は映画で使用された音源を中心に収録されてます、というのは前術のとおり。 この音源を、フィル・スペクターというプロデューサーが大幅に加工し、再編集したものがアルバムとしてリリースされています。 したがって映画の音源とアルバムの音源で全然違うぞ、というのが複数存在します。 本題に入る前に、まず映画が撮影された場所(=アルバム収録曲が録音された場所)として、3つあることを押さえておいてください。 トゥイッケナム撮影所 アップル本社内のスタジオ ルーフトップ・コンサート 1. トゥイッケナム撮影所 レコーディング・スタジオではなく、映画撮影スタジオ。ここに音響装置などを持ち込んでセッションする風景を撮影する、という主旨で1969年1月2日から開始。 しかし、常にカメラで監視された状態でのセッション
『Power of Two』の著者であるジョシュア・ウルフ・シェンク氏は競争的協力の利点について述べた記事をThe Atlantic誌に掲載しています。もっとも有名な例は「ビートルズ」のポール・マッカートニーとジョン・レノンです。この2人はお互いに「歌」で友好的に競い合っていたからです。ジョンが「ストロベリー・フィールド」を書くとポールは「ペニー・レーン」で応酬しました。競争することで2人とも常に向上して、創造的な緊張を生み出していたとポールは書いています。 むしろ緊張があったからこそ、作品は素晴らしかったのです。『ホワイト・アルバム』のレコーディング・セッションはしばしば緊張感が漂い心地よいものではありませんでした。プロデューサーのエメリックはとても嫌がって全力で収録を終わらせていたぐらいです。しかし、結局は音楽史上最高のアルバムを生み出したのです。 ビートルズのプロデューサーを務めたジ
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