私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第12回オフトジャパンの快進撃とドーハの悲劇~ 柱谷哲二(3) 【写真】U-23代表齊藤未月の反省があぶり出す「きれいすぎるチーム」の問題 第1回はこちら 第2回はこちら 1993年10月、アメリカW杯最終予選に向けての日本代表メンバー22名が発表になり、初のW杯出場を目指す日本代表を応援しようと国内の熱が高まっていた。Jリーグが開幕し、日本中がサッカー一色になり、その勢いが日本代表にも伝播したのだ。 W杯最終予選前に、国内でアジア・アフリカ選手権が開催された。 この大会前、日本代表のキャプテン・柱谷哲二は、肝機能を低下させるウイルス性の風邪のために8月上旬から1カ月ほど入院生活を送った。コートジボワールとの試合の時は復帰して2週間しか経過しておらず、ぶっつけ本番だったのだ。 ハンス・オフト監督からは「前半だけ出ろ」と言われたので、そのつもりでプレ