タグ

仏教に関するcandidusのブックマーク (13)

  • 「仏教はなぜヤバいのか?」世に逆らって生きる、最強の入門書 講談社 今日のおすすめ

    ニートになれ。世界を終わらせろ。」という惹句にとまどってはいけません。これほどわかりやすく仏教を教えてくれるものはありません。仏教といっても宗派によってさまざまな思想がありますが、こので魚川さんが取り上げたのは「ゴータマ・ブッダの仏教」です。 その解説の手法が秀逸です。「いろは歌」「ニート」「バーゲン」「RPG」、さらには「おっぱい」「中二病」までを駆使しての闊達な会話調での解説は読み出したら止まらない魅力あふれるものです。しかも入門を超えた深さがあります。仏教思想への最良の入り口になっています。 キーワードはふたつ。ひとつは、ゴータマ・ブッダの仏教というのは、「世の流れに逆らうものだ」ということ。もうひとつは「輪廻転生」だと思います。どちらも直感的には分かりにくいか、あるいは誤解しやすいものではないでしょうか。 「世の流れに逆らう」という場合の「世」とは何か……。それは「欲望の対象を

    「仏教はなぜヤバいのか?」世に逆らって生きる、最強の入門書 講談社 今日のおすすめ
  • 月刊『住職』 (1998年12月~2013年11月は『寺門興隆』) - 興山舎

    誌上セミナーやればできる! 寺院活性化のためのケーススタディ〔79〕 「お葬式を悲嘆ばかりでなく明るくお祝いの場に変えてみたら」…堀内克彦(宿坊研究会代表) 葬儀や仏事の縮小化や葬儀をしない向きも増えているかもしれない。この現状から、「それはなぜか」とむしろ寺院が学び、当たり前の形を見直して新たな構想を実行に移すチャンスとも考えられる。一例としてお祝い葬の可能性である。 初めての人に仏教を説くために最新版仏教文化基礎講座〔155〕 「自死した比丘は解脱していたか否かを巡る比丘と釈尊の問答」…鈴木隆泰(山口県立大学教授・寺院住職)

  • テーラワーダ仏教と日本 ― 近代日本の宗教≪11≫ 佐藤哲朗氏 - 論:中外日報

    さとう・てつろう氏=1972年、東京都生まれ。東洋大第二文学部印度哲学科卒業。ライター・雑誌編集者などを経て2003年から日テーラワーダ仏教協会事務局長、編集局長。インターネットを通じた伝道活動、アルボムッレ・スマナサーラ長老の著作編集を担当。著書に『大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史』『日「再仏教化」宣言!』がある。 このほど、拙著『大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史』(2008年、サンガ)を電子書籍化しました。同書は明治維新に伴う廃仏毀釈で大きな打撃を受けた仏教界が復興を模索する過程で、それまで「小乗仏教」と観念的に軽侮してきた南伝上座仏教(テーラワーダ仏教)を奉じるスリランカの仏教復興運動と邂逅した歴史の細い糸をたどったものです。電書版の編集過程で、改めて近代史における仏教国際交流の意義について考えさせられました。以下、いくつかのキーワードに沿って

    テーラワーダ仏教と日本 ― 近代日本の宗教≪11≫ 佐藤哲朗氏 - 論:中外日報
  • テーラワーダ仏教と日本の仏教との違い。日本人なら禅宗でいいのではないですか? - ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

    質問「テーラワーダ仏教と日の仏教の違いが分かりません。日の禅宗とどう違うのですか。また、一般の人は瞑想してどこまでいけるものなんですか?」 回答(スマナサーラ長老) あまり焦らないで、決めつけないで、時間をかけて勉強してみてください。 まず、日の仏教とテーラワーダ仏教の違いは何なのか? ですが。 日の仏教は日文化に則した宗教で、テーラワーダ仏教は東南アジアの文化に則した宗教です。日人は宗教に興味が薄くなっていますが、世界はそうじゃないんですね。キリスト教、イスラム教、とか、自分の信仰する宗教は大事にします。 日仏教は、もともと漢文の経典がありまして、そのなかから一つだけを取り上げて、これこそが素晴らしいと言っています。 たとえば日蓮系というのがありまして、大量の宗派があります。日蓮系の場合は、膨大な経典の中から法華経だけ、物の教えだと、他はみんな捨てましょうと言っています

    テーラワーダ仏教と日本の仏教との違い。日本人なら禅宗でいいのではないですか? - ブッダ ラボ - Buddha Laboratory
  • 寝太郎ブログ - FC2 BLOG パスワード認証

    ブログ パスワード認証 閲覧するには管理人が設定した パスワードの入力が必要です。 管理人からのメッセージ 閲覧パスワード Copyright © since 1999 FC2 inc. All Rights Reserved.

    寝太郎ブログ - FC2 BLOG パスワード認証
  • 日本仏教界を揺るがす大事件 ――魚川祐司『仏教思想のゼロポイント 「悟り」とは何か』 佐々木閑 書評・エッセイバックナンバー | 波 -E magazine Nami-|Shincho LIVE!(新潮ライブ!)| 新潮

    対象書籍名:『仏教思想のゼロポイント 「悟り」とは何か』 対象著者:魚川祐司 対象書籍ISBN:978-4-10-339171-5 ブッダの教えを分かりやすく解説するである。このように言うと「ああ、そうですか。よくある類の仏教書ですね」と言われそうだが、実はそんな呑気に構えていられる話ではないのである。 屋の仏教書コーナーに行けば、立派なタイトルのがずらりと並んでいて、こういったものを手当たり次第に読めば、ブッダの教えなど苦もなく理解できるような気になってくる。しかしそれは大いなる錯覚である。実は、ブッダの教えを「当に正しく解説している」などほとんどないのである。それにはちゃんとした理由がある。 ご存じの方も多いと思うが、仏教は二五〇〇年の歴史の中で大きく変容し、来のブッダの教えとは似ても似つかない新たな仏教運動として大乗仏教が起こってきた。その教義はブッダの教えとは全く違って

    日本仏教界を揺るがす大事件 ――魚川祐司『仏教思想のゼロポイント 「悟り」とは何か』 佐々木閑 書評・エッセイバックナンバー | 波 -E magazine Nami-|Shincho LIVE!(新潮ライブ!)| 新潮
  • チベット僧侶によるチベット般若心経(Tibetan The Heart Sutra)

    で唯一のチベット伽藍である「強巴林」へは毎年聖地チベットより僧侶が数ヶ月滞在しチベットの仏教と文化の布教に努めている。尚、ダライ・ラマがいるインドのダラムサラではなく、聖地チベットから国外へ定期的に僧侶が出るのは唯一このお寺強巴林だけである。尚、強巴林は日の倶利加羅不動寺の一部でもある。 詳しくはホームページをご覧下さい。 http://www.kurikara.com/

    チベット僧侶によるチベット般若心経(Tibetan The Heart Sutra)
  • 「スマナサーラ長老、自分探しって何ですか?」「それよりも、今しかできないことをやりましょう」 : まだ東京で消耗してるの?

    スポンサードリンク 「自分探し」をする若者は多いです。この言葉、面白い言葉だと思うんですよね。自分はすでにそこにいるのに、その上で自分の何を探すのか。曖昧模糊としていて、考察するのが楽しい言葉です。そんなわけで、スマナサーラ長老に「自分探しって何ですか?」と聞いてみました。 スマナサーラ長老:「自分を探す」という言葉は流行っている表現ですね。お釈迦様も「自分を探検しなさい」とおっしゃっています。 仏教の観点から、至って簡単な答えがあります。自分を探すというのは、ペガサスを探すことなんです。だから動けなくなってしまうんですね。 それよりも…私は大学生の人々が外国に行かなきゃいけないんです、だから必死にバイトしています!と語るのを聞くと、気持ちいい気分になるんですよ。「夏休みはどこにいってみたい」とかも。 彼らは、自分を探しているんじゃなくて、「今しかできないこと」をやっているんですよ。若い人

    「スマナサーラ長老、自分探しって何ですか?」「それよりも、今しかできないことをやりましょう」 : まだ東京で消耗してるの?
  • ちゅうどう - WikiDharma

    中道 madhyamā pratipad (S) 相互に矛盾対立する二つの極端な立場から離れた自由な立場、中の実践のこと。釈迦の見出した方法論の根幹をなす。 「中」とは二つのものの中間という意味ではなく、二つの極端から離れ、矛盾対立を超克することを意味し、「道」は実践・方法を指す。 不苦不楽の中道 釈迦は苦行主義と快楽主義のいずれにも片寄らない「不苦不楽の中道」、精神集中を内容とする八正道によって悟りに到達したとされる。初期仏教ではこの「不苦不楽の中道」が主であるが、「不断不常の中道」「非有非無の中道」も説かれている。 不断不常の中道 断見・常見から離れて縁起のままに生きる修行道のこと。断見とは、人の一生はこの世限りであるとして、死後の世界を否定する考えであり、常見とは、世界が永遠に不滅であり、人間が死んでも我という固定な実体が永続するという考え方である。それに対して、仏教では双方の固定化

  • 本来の「中道」とはなにか ~中観や平衡との違い~

    Tweet mixiチェック Twitterで「お釈迦様は中道だから苦行はしていない!」「現実的に考えて苦行なんてしてたらお釈迦様はもっと早くに死んでるだろ!」と言う、根拠のない詭弁なコメントを頂き、 「あぁ…日人のお釈迦様への認識もここまで新興宗教に侵されたのか…」と落胆しました。 同時に考えるきっかけを与えてくれたので感謝しつつ、簡易的ではありますが記載します。 釈迦は、確かに「中道」を悟りました。しかし、それは修行で苦行した後の話です。 最初から「中道」を説いていたわけではありません。 これは釈迦が生死の境を行き来するような激しい苦行を続けたが、苦行のみでは悟りを得ることが出来ないと理解するまでのスジャータの物語や、上座部仏教について歴史を正しく理解していれば、誰でも知っていることです。 現在でも、釈迦に近い教えを受け継ぐ原始仏教のダライラマのチベット仏教のゲルク派やカギュ派、ス

  • 中道 - Wikipedia

    仏教用語としての中道(ちゅうどう、梵: Madhyamā-pratipad[注釈 1], マディヤマー・プラティパッド[2]、巴: Majjhimā-paṭipadā, マッジマー・パティパダー[3])は、2つのものの対立を離れていること[4]。断・常の二見、あるいは有・無の二辺を離れた不偏にして中正なる道のこと[4]。中行[5]、中路あるいは単に中ともいう[6]。 中道の語は仏教において広く重んじられているため、その意味には浅深があるが、各宗がその教理の核心を中道の語で表す点は一致する[6][4]。 原義と漢訳[編集] 中道(Madhyamā-pratipad)のMadhyamāは「中指、子宮、適齢女性[信頼性要検証]」を意味する[7][8]。Madhyamāの語尾の発音を違える Madhyama は、形容詞として「中間の、中心の、中位の、凡庸な、適度の、中間の大きさの、中立の」と訳され

  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 佐々木『仏教は宇宙をどう見たか』:おもしろいが、まあ仏教の中の話なので。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    仏教は宇宙をどう見たか―アビダルマ仏教の科学的世界観 (DOJIN選書) 作者: 佐々木閑出版社/メーカー: 化学同人発売日: 2013/02メディア: 単行 クリック: 73回この商品を含むブログ (3件) を見る 仏教は色即是空で現実は存在せずすべては心の働きなんだという一般的な主張に対して、いやそうじゃないよ、もう少し理屈はあるよ、という話で、仏教の挙げてい世界像を説明したもの。 現代科学のアナロジーであれこれ説明しようとしていて、まあわかりやすいといえばわかりやすい。その一方で、仏教がカオス理論を先取りしていたとか、その手の話がときどき出てきて鼻白む (pp.131-134)。カプラ『タオ自然学』とかでもそうだけれど、この宗教で万物が生まれては消失するというのは素粒子の対消失を先取りしていたとか、その手の我田引水はやめてほしいんだよね。いろいろ作用はあって先のことはわからん、とい

    佐々木『仏教は宇宙をどう見たか』:おもしろいが、まあ仏教の中の話なので。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • 1