29歳のころの宮内義彦氏(右)。高度成長期の真っただ中の1960年代半ばに、父・義作氏と大阪・梅田で会食した時の写真だ。35年神戸市生まれ。オリックスの社長や会長を歴任し、2014年から現職。企業経営の傍ら政府の民間委員として規制緩和を進めるべく、長年にわたり官僚や族議員、既得権を持つ各種団体と闘った 振り返れば8年前に2回目の東京五輪の開催が決まった当時、これで国内の景気が上向くのではないか、「失われた20年」を取り戻せるのではないかとの高揚感がありました。宮内さんもそのころ、「五輪に向けて政府の成長戦略を軌道に乗せ、国内の雰囲気を変えていこう」という趣旨の文章を自伝に書いていましたね。けれども結局、日本人の先行きに対する見方は好転しないまま、個人の消費も企業の設備投資も低迷しました。 宮内義彦オリックス・シニア・チェアマン(以下、宮内氏):僕は完全に読み違えていました。僕のような旧世代