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postmodernに関するREVのブックマーク (32)

  • 好むと好まざるとにかかわらず - 動物化したもん勝ち。(その1)「孫正義→三木谷浩史→jkondo」

  • 『ヨーロッパの誘惑』、『レヴィナス入門』、『人間の顔をした野蛮』、『動物化するポストモダン』、『脱構築』

    ヨーロッパの誘惑 海野弘 著 / 丸善ライブラリー この時代のヨーロッパ、と言ったら、この人だ。 「男子専科」──台湾のゲイ雑誌みたいな書名だが、正統派ファッション雑誌(休刊)──に連載されたエッセイをまとめたもので、19世紀末から20世紀初頭(中心は1920年代)のヨーロッパの魅力について、著者ならではのトリビアな知識が綴られる。 話題はファッション/風俗から文学、芸術、映画、ミステリと多岐に渡る。もともとが雑誌の連載なので、気軽に、そして楽しく読めるのは言うまでもない。しかし、その平易で軽妙な語り口の中に、鋭い洞察が光る。 コクトーは、自らの滑稽さを映す鏡を持っているかいないかで軽妙と軽薄を区別する。軽く生き、その軽く生きている自分を映す鏡を持っているのが、詩人の軽妙さなのだ。そのような鏡を持たず、自由にふるまっているようで、実は、体制に順応しているにすぎない生きかたは軽薄なのだ。 p

  • 笠井潔が、真に望んだこと - 田中幸一

    東浩紀 哲学往復書簡2002 動物化するポストモダン 大澤真幸 自由を考える 9.11以降の現代思想 ポスト・モダニズム 糸井重里 高橋源一郎 柄谷行人 浅田彰 ホランド 水没ピアノ 佐藤友哉 吉隆明 舞城王太郎 西尾維新 SF 法月綸太郎 巽 昌章 千街晶之 探偵小説研究会 清涼院流水 長谷部史親 縄田一男 島田荘司 格ミステリ 綾辻行人 我孫子武丸 有栖川有栖 北村薫 鮎川哲也 京極夏彦 宮部みゆき 怪の会 森博嗣 格ミステリ作家クラブ 三浦雅士 文芸春秋 ミステリ・マスターズ 山田正紀 日推理作家協会賞 中山元・山路龍天 三浦雅士 大塚英志 新保博久 格ミステリ大賞 このミステリーがすごい! 格ミステリ・ベスト10 日冒険作家協会 野崎六助 北米探偵小説論 バイバイ、エンジェル サマー・アポカリプス 薔薇の女 禁じられた遊び 地獄は地獄で洗え…… 国家民営化論 鮎川

  • 『波状言論』

    メールマガジン『波状言論』のページにようこそ。 『波状言論』は、サークル「波状言論」が2003年12月から2005年1月にかけて発行・配信したメールマガジンです。 『波状言論』は、現代思想、サブカル、オタク、情報社会論の境界を疾走するまったく新しいタイプの批評誌です。責任編集は東浩紀。スタッフの平均年齢は20代前半。毎月1人から3人のゲストをお呼びし、東浩紀がホストとなって送る高密度のインタビュー・対談・座談会を中心として構成されています。 『波状言論』は2003年12月に創刊準備号を公開しました。創刊準備号は無料で、いまでも下記目次紹介のリンク先よりダウンロードできます。 その後、当時『波状言論』の発行主体となっていたhirokiazuma.comのサイトで定期購読者を募り、2004年1月から2005年1月まで、毎月15日と30日に合計22号の有料での配信を行いました。8月と11月は休刊

  • MIYADAI.com

    【宮台】『動物化するポストモダン』、面白く読ませてもらいました。読者の方々には内容を説明しておいた方が分かりやすいでしょう。まず僕なりに粗筋をまとめます。 全三章ですが事実上は四部構成ですね。第一章が第一部に相当します。コジェーブはポストモダンにおいて優位となる「形式の戯れ」の嚆矢を江戸に見出したましたが、そのポストモダンな江戸(笑)の直系の子孫みたいにオタクを論じる傾向を、東さんは批判します。オタク文化の江戸起源論は誤りで、アメリカの影という断絶を挾んで理解するべきだと。リミテッド・アニメを典型例として挙げていますが、当はアメリカのようにしたかったのにアメリカのように出来なかったという劣等感を、いわば反転させて、特殊日的なものだからスゴイんだと胸を張る。アメリカの影を忘れたいのは分かるけど、歴史を捏造しちゃいかんぞよと(笑)。僕も、その卑屈さにこそ戦後の日性を見出すべきだと思う。

  • https://www.hirokiazuma.com/oldinfos/diary2002.html

    REV
    REV 2005/10/27
    東vs大塚バトル
  • 【日記】「おたく」にだけはなりたくない - Atahualpa

    どこの屋に行っても、『Comic 新現実 Vol.4』が置かれているのを見たことがない。なんだよ、せっかく大塚英志が中塚圭骸(香山リカの実弟)と、2ちゃんねらーについて話してるのにさ。 大塚英志は前号の対談で、森川嘉一郎が「オタク」という表記を軽率に使っていることを厳しく批判した。平仮名で表記される古くからの「おたく」にこだわる大塚は、岡田斗司夫や村上隆や森川嘉一郎の「オタク」観、つまり一般人や海外メディア向けにソフィティケイトされ、宮崎勤的なものから目をそらすポップなカタカナ表記の「オタク」には、真っ向から反発している。さらに今回の対談の中では、最近のネットで右翼化している連中を「ヲタク」と呼び、「おたく」「オタク」「ヲタク」の3種類を便宜的に使い分けている。 ……まあ、部外者には当にどうでもいい内ゲバなのだが。「おたくの定義で何時間も話せるのがおたく」と言われるくらいだからね(笑)

    【日記】「おたく」にだけはなりたくない - Atahualpa
  • http://www.infosoc.jp/pukiwiki/index.php?%5B%5B%C5%EC%B9%C0%B5%AA%A4%B5%A4%F3%B4%D8%CF%A2%5D%5D

  • 萌えについて提出された幾つかの考え(汎適所属)

    男性オタクが消費する様々なオタクコンテンツ(特にアニメ・漫画ゲーム)において、女性キャラクターが大きな位置を占めてきたことは、皆さんもよくご存じのことと思う。古い時代においても、『機動戦士ガンダム』のセイラさん・『めぞん一刻』の響子さん・ 『ワルキューレの冒険』のワルキューレ・『同級生』シリーズの田中美沙等々の様々な女性キャラ達がオタク達の心を鷲掴みにし(いずれも同人世界でも活躍)、比較的新しい時代においても彼女達の後継者は絶える事が無い。現在は、以前のように強烈な求心力を持った女性キャラクターがなかなか誕生しないかわりに、様々な特徴(以後、属性と表記)を貼り付けられたキャラクター達が次々に生まれ出ては消費され、新しいキャラクターにとってかわられる傾向が続いている。異性キャラクターが出現→消費→交代するスピードは往事とは比較にならないほど早く、この分野の爛熟ぶりが伺える。 それにしても、

  • 美少女ゲームの臨界点 :: 暮れゆく『雫』の時代 - 博物士

    注文しておいたが,ようやく届いた。波状言論 『美少女ゲームの臨界点――HajouHakagix』(ISBN:4990217705,同人誌出版)。2004年8月刊行の評論集。折しも学会誌の原稿を書いているところだったのだけれど,気分転換と称して少しずつ読む。 副題が〈はかぎくす〉となっていることからわかるように,葉鍵系*1に連なる作品群を歴史的に総括しようというもの。 表紙絵に目をこらすと右側には“A I R”の神尾観鈴。左の少年は……“To Heart”の藤田浩之だろうか? 装画を新海誠が手がけているのだが,彼こそが書の示した枠組みに終焉をもたらした人物の一人というのが皮肉である。わずか8年で駆け抜けた時代の表象。私はこの絵を,勝手に「茜雲のむこう、永遠の場所」と呼んでいる。 http://www.hajou.org/hakagix/ 「どうか幸せな記憶を。」 佐藤心+更科修一郎+元長

    美少女ゲームの臨界点 :: 暮れゆく『雫』の時代 - 博物士
  • 波状言論>情報自由論

    text 情報自由論 html version index 情報自由論ってなに? 「情報自由論 データの権力、暗号の倫理」(以下「情報自由論」)は、批評家・哲学者の東浩紀(僕)が、情報社会と自由の関係を主題として書き記し、『中央公論』2002年7月号から2003年10月号にかけて、14回にわけて発表した論考です。このサイトでは、そのすべての原稿が公開されています。 「情報自由論」の構想は、遠く、1990年代後半に『InterCommunication』で連載されていた論考、「サイバースペースは何故そう呼ばれるか」(未刊)に遡ります。2000年代はじめの僕は、第1章でポストモダンの理論的な問題を扱い、第2章でその情報社会における展開を扱い、第3章でそのサブカルチャーにおける展開を扱う大部の著作を夢見ていたことがありました。『動物化するポストモダン』はその第3章が、「情報自由論」は第2章が変形

  • 波状言論>情報自由論

    text 情報自由論 html version index 情報自由論ってなに? 「情報自由論 データの権力、暗号の倫理」(以下「情報自由論」)は、批評家・哲学者の東浩紀(僕)が、情報社会と自由の関係を主題として書き記し、『中央公論』2002年7月号から2003年10月号にかけて、14回にわけて発表した論考です。このサイトでは、そのすべての原稿が公開されています。 「情報自由論」の構想は、遠く、1990年代後半に『InterCommunication』で連載されていた論考、「サイバースペースは何故そう呼ばれるか」(未刊)に遡ります。2000年代はじめの僕は、第1章でポストモダンの理論的な問題を扱い、第2章でその情報社会における展開を扱い、第3章でそのサブカルチャーにおける展開を扱う大部の著作を夢見ていたことがありました。『動物化するポストモダン』はその第3章が、「情報自由論」は第2章が変形