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ブックマーク / ikedanobuo.livedoor.biz (3)

  • 「二大政党」の終わり : 池田信夫 blog

    2013年07月21日16:29 カテゴリ法/政治 「二大政党」の終わり 日に二大政党の時代というものがあったとすれば、昨年の総選挙で終わり、そしてきょうで完全に幕を閉じるだろう。あすから始まるのは、55年体制の社会党のような「0.5大政党」もない、大政翼賛会とその他が争う戦前のような状況だ。 書によれば、戦前の一時期、二大政党が存在しえた最大の理由は、伊藤博文のつくった「御用政党」である政友会に対して、大正デモクラシーとともに育った民衆の声を代表する民政党という階級対立が、それなりにあったことだという。反・政友会の諸派を寄せ集めてできた民政党は、今の民主党に近い。もちろん議院内閣制ではないので限界はあるが、1920年代まではそれなりに二大政党が機能した。 それを破壊したのは、30年代の大恐慌と、それにともなう軍部の勢力拡大だ。満州事変に対して民政党内閣はただちに不拡大方針を表明したが

    「二大政党」の終わり : 池田信夫 blog
  • 内ゲバの時代 : 池田信夫 blog

    2013年07月19日15:56 カテゴリその他 内ゲバの時代 きのうの記事には大きな反響があったが、中核派という組織を知らない人も多いようだから、説明しておくのもわれわれの世代の責任だろう。 中核派は、60年安保のあとにできた革共同という組織が革マル派とわかれてできたもので、革マル派が黒田寛一などの理論を重視するのに対して、直接行動を重視する「肉体派」だった。60年代後半には、社学同(ブント)・社青同(解放派)とともに「三派全学連」として武装闘争の中心になり、羽田闘争や佐世保闘争などでは大量の逮捕者を出した。 このころはまだ運動のエネルギーが国家権力に向いていたのだが、70年代になって新左翼運動が退潮してくると、党派同志で争う「内ゲバ」が増えた。それも最初は集団で衝突するなぐり合いで、「頭はねらうな」という暗黙のルールがあったが、私が大学に入ったころからそういうルールが崩れ、個人をねらう

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  • なめらかな社会とその敵 : 池田信夫 blog

    2013年03月26日10:54 カテゴリ なめらかな社会とその敵 書は2ヶ月ぐらい前に贈ってこられ、ちょっと読んだのだがよくわからなかった。その後、何人かが好意的な書評をしているので、もう一度、読んでみたが、やはりわからなかった。難解だというのではなく、何をいいたいのかがわからないのだ。 著者のいう「なめらかな社会」とは、組織の内部と外部を区別しないで、1人が多くのグループのメンバーになる社会、というほどの意味らしい。現在の日がこの意味で「なめらか」ではなく、特に若者と女性を排除する構造がますます強まっていることは事実だ。これを解決することは容易ではなく、日社会のほとんど全面的なオーバーホールを必要とするだろう。 ところが著者はこの問題を、ネットワーク社会の問題にいきなり一般化し、それをPICSYなる電子マネーで解決するという。これは昔、柄谷行人氏が立ち上げて失敗したNAMで実験

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