最も古い「深夜アニメ」といえば、1963年9月から翌年2月まで放送された「仙人部落」(フジテレビ系)だろう。第8話までは水曜23時40分~、9話以降は日曜22時30分~の枠で放送され、当時としては異例の時間帯だった。 それから約30年が経ち、90年代にはあらゆる深夜アニメが登場した。2006年に「涼宮ハルヒの憂鬱」が放送されて深夜アニメは本格的にその市民権を得たが、今日はその少し前を振り返ってみよう! 【開拓者「銀河英雄伝説」と変革者「新世紀エヴァンゲリオン】 90年代深夜アニメの開拓者といえば「銀河英雄伝説」だ。同作品はテレビ東京の深夜帯で放送され、今なお根強い人気を持つ傑作SF。 多少グロテスクな描写はあるもののエロ要素は無く、"民主主義の理念とは何か"、"平和と戦争とは何か"など、おそらくその内容が子供向けではないと判断され深夜枠に置かれたのだろう。 筆者は同作品の大ファンだが、小学
弥生時代前期末から中期初頭ごろ(紀元前3~紀元前2世紀)の最古級のものを含む銅鐸(どうたく)7個が、兵庫県南あわじ市(淡路島)の石材セメント製造会社の砂置き場で見つかった。県教委などが19日発表した。市内沿岸部に埋まっていたものが、砂ごと採取されたらしい。「第一級の価値がある」としている。 銅鐸の大量出土数としては、島根県・加茂岩倉遺跡(39個)、滋賀県・大岩山(24個)、神戸市・桜ケ丘遺跡(14個)に次ぐ4番目。県教委は元の埋納場所の特定を急ぐ方針で、発見数は増える可能性がある。 7個は青銅製で、高さ約22~32センチ、重さ約1~2キロ(いずれも一部は不明)。鈕(ちゅう)(つり手)の断面の分類によると、1個は全国で11個しか確認されていない「菱環(りょうかん)鈕式」で、6個は「外縁付(がいえんつき)鈕式」(弥生中期)だった。 銅鐸内部につるして鳴らす青銅製の「舌(ぜつ)」も3個(長さ約8
家業というのは、職人の世界や自営業だけ、と思っているかもしれませんが、産業に乏しい地方においては、公務員もまた家業となっている側面があります。 結論 役所も結局、コネの力が大きく影響する 地方においては主要産業が役所しかないと前回のエントリーで書きましたが、どのような業界でもそうだと思いますが、縁故というものは個人の力を超越した力を持っているものです。スキルアップやら自己啓発以上に、コネ、というものが持つ重みは非常に恐ろしくも強い影響力があります。 地方はムラ社会と言われますが、いくら実力があってもその縁故のネットワークに入れるか否かというのは、今後の就職、仕事の面でも大きく影響します。コネ採用という言葉がありますが、結局採用基準の一つとしては、「こいつはコミュニティの和を乱さないか?」というところが重視され、どこの馬の骨ともわからんやつよりも、○○の紹介、○○の親族の方のほうが信用を担保
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300円の借金で難儀している実家を救おうと1,350円で身を売った だが、そのうち周旋人に250円、実家の借金返済したあと残った800円が 家に残った金。6年の年季の間に1,350円は返せると考えていたが、とんだ誤算 朋輩の多くがいつまで経っても一向に足を洗うことができないのを不審に思ってが 謎はすぐに判明。客から入った10円のうち7割5分を楼主に取られてしまい2割5分が 玉割と称して娼妓の手取りだがその中から1割5分が借金返済のたけ天引きされ残り 1割(1円)だけで生活。彼女の稼ぎは月に300円程度、手元に残るのは僅か30円、 これに対し呉服代、化粧品代、洗濯代、電話代、客用の茶菓代、銭湯や病気の際の 治療費に至るまで諸掛一切が娼婦の負担。これが月に40円をくだらないので、楼主 から追借をせざるを得ず借金は減らない仕組み。さらに、特定の日を「しまい日」と 称して割高の金を客かた取れるが、
日本は長らく平和を謳歌してきました。そんな中で防衛体制の整備には「戦争なんか起こるわけがないのに…」という懐疑論が常にともないました。どころか、「危機がもし起ったら」と考えること自体が危険思想である、戦争が好きな軍国主義者だ、という風に非難された時代もありました。 ところが歴史的に見て「戦争なんか起こるわけがない」という見通しが外れたことは多くあります。 「アルゼンチンが戦争なんかするわけない」 いまから30年前の1983年4月、「フォークランド紛争」という戦いが起こりました。アルゼンチンとイギリスとの紛争です。きっかけは、イギリス領フォークランドに対し、アルゼンチンが突然侵攻を開始したことでした。 ですが紛争勃発の直前まで、戦争なんか起こるわけがない、意見が強くありました。それはかなり論理的なものでした。例えば83年4月5日に発売された雑誌ビジネスウィークは、戦争にいたる可能性は低い、と
2012.02.10 自称「現代の坂本竜馬」は単なる厄介者であることが多い (2) カテゴリ:カテゴリ未分類 ふと思ったのですが。 他人からそう呼ばれるのであるならともかく、自らを「現代の坂本竜馬」と名乗る人間って、単に理解されない事を正当化するための方便である場合の方が多いんじゃないかと。 っていうか「今は理解されなくても後の時代が評価する」って、坂本竜馬も別に自分の死後、司馬遼太郎という歴史小説家に取り上げられ、大ベストセラーにならなければ、本当に一部の人しか知らない無名の人だった訳だし。 坂本竜馬に限らず、自らを歴史の偉人に例える人は、たいがい単なる厄介者であることが多いですね。そもそも偉人は自らを別の偉人に例えないだろうし。 上のようなことを言っている人を見たら「オレがガンダムだ!」ぐらいに聞き流した方がいいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう いいね!0 シェアする
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