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ブックマーク / sportiva.shueisha.co.jp (46)

  • 加藤未唯の「失格問題」で最も重要なこと...レフェリーは実際に何が起きたか映像を見ることなく、判決を下していた

    webスポルティーバその他球技の記事一覧テニス加藤未唯の「失格問題」で最も重要なこと...レフェリーは実際に何が起きたか映像を見ることなく、判決を下していた 「est une disqualification」 主審がそうアナウンスした時、フランス語はわからなくとも、笑顔で帰り支度を始めるマリエ・ブズコバ(チェコ)とサラ・ソリベス・トルモ(スペイン)を、そして呆然と佇む加藤未唯とアルディラ・スチアディ(インドネシア)の姿を見れば、内容の想像はついていた。一斉に沸き起こるブーイングが、観客たちの不満の感情を映す。 ただ、それでも信じられず、となりにいたフランス人のスタッフにたずねた。「今、主審はなんてアナウンスしたのです?」と。 「失格により、あっちが負けたんだよ」 彼女はそう言い、まだ動けずにいるふたりのほうを指さした。 ボールガールに謝る加藤未唯(右)この記事に関連する写真を見る どこか

    加藤未唯の「失格問題」で最も重要なこと...レフェリーは実際に何が起きたか映像を見ることなく、判決を下していた
  • WBCで侍ジャパン入りのヌートバー「誰かの邪魔をしたり、失礼なことはしたくない」。その素顔と数字が表す期待できる理由

    1月26日、第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に臨む日本代表メンバー30人が発表された。 WBCは各国のスーパースターが集うステージであるとともに、新スター候補を生み出す舞台でもある。"侍ジャパン"の中では、日系人選手として史上初のメンバー入りを果たしたラース・ヌートバー外野手がその有力候補だろう。MLBのセントルイス・カージナルスでプレーする25歳は、紛れもなく大きな魅力を秘めたプロスペクト(有望選手)だからだ。 カージナルスで流行した「胡椒挽き」パフォーマンスを行なうヌートバーこの記事に関連する写真を見る「正直なところ、自分のことを"ゼロ・ツール・プレーヤー(=主だった武器のない選手)"だと思っている。自分には特別な長所はない。(大谷)翔平やマイク・トラウトなどのように突出した能力があるわけではないので、フィールドで一生懸命プレーし、全力を尽くすだけ。そして最高のプレー

    WBCで侍ジャパン入りのヌートバー「誰かの邪魔をしたり、失礼なことはしたくない」。その素顔と数字が表す期待できる理由
  • ブラジル代表に重大危機。次期監督は決まらず、国民は怒りを通り越して無関心に|海外サッカー|集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva

    リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko ブラジル国民は怒っていた。 カタールW杯で20年ぶりの優勝が期待されていたセレソンだが、ふたを開けてみればいいところはほとんどなし。準々決勝で早々と敗退した。ただし、怒っていたのは負けたからではない。サッカーは運もある。どんなチームでも負けることはある。ブラジル人が怒っていたのは、その負け方だった。 カタールでのブラジル代表は、まったくもって責任感がなく、そしてとてつもなく傲慢だった。自分たちは勝てると信じ込み、どんな目立つ方法でゴールしようかと考えているうちに負けてしまった。カメルーン戦にベストメンバーを使わなかったことしかり、クロアチア戦の攻めなくてもいいシーンで飛び出していったフレッジしかり、PK戦でひとり目ではなく5人目のキッカーを望ん

    ブラジル代表に重大危機。次期監督は決まらず、国民は怒りを通り越して無関心に|海外サッカー|集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva
  • 広島ひと筋19年目の青山敏弘が背負ってきたもの。「ピッチに立てなくても、みんなの想いは伝わってきた」

    原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuheiスエイシナオヨシ●撮影 photo by Sueishi Naoyoshi 2度のVAR介入により、アディショナルタイムはすでに10分を超えていた。タイムアップがまもなく迫るなか、サンフレッチェ広島には最後のチャンスが訪れていた。 満田誠が鋭いCKを送り込むと、中で待ち受けていたのはピエロス・ソティリウだった。5分前に同点PKを決めたばかりのキプロス出身のストライカーが巧みに右足を合わせると、ゴール裏の紫は長年のうっぷんを晴らすかのごとく、マグマのように爆発した。 ファンの前で感無量の表情を浮かべる青山敏弘この記事に関連する写真を見る アディショナルタイムの2ゴールという、圧巻の逆転劇である。セレッソ大阪を下したサンフレッチェ広島はついに"シルバーコレクター"の汚名を返上し、悲願のルヴァンカップ初優勝を成し遂げたのだ。 リーグ

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  • サンフレッチェ広島、深刻な「シルバーコレクター症候群」をわずか6分間で払拭できた理由

    浅田真樹●取材・文 text by Asada Masakiスエイシナオヨシ●撮影 photo by Sueishi Naoyoshi 過去に2連覇を含む3度のJ1制覇を果たしているサンフレッチェ広島。しかし、これまでにカップ戦のタイトルは一度も手にしたことがなかった(前身の東洋工業時代を除く)。 広島が患う"シルバーコレクター症候群"が深刻なものに見えたのは、わずか1週間前のことである。 広島はJリーグ誕生後で6度目となる天皇杯決勝に進出しながら、またしても敗れて"銀メダル"。しかも、J2のヴァンフォーレ甲府に歴史的番狂わせを許しての準優勝は、カップ戦との相性の悪さを感じずにはいられないものだった。 そして迎えた、セレッソ大阪とのルヴァンカップ決勝。広島にとっては6日前の、いや、過去30年間の屈辱を晴らすべく、悲壮と形容してもいいほどの覚悟で臨んだ試合だったに違いない。 キャプテンのDF

    サンフレッチェ広島、深刻な「シルバーコレクター症候群」をわずか6分間で払拭できた理由
  • 森保一監督は気がついているのか。日本代表が中国戦でチャンスをつくれなかった理由

    中国代表は、登録メンバー24人中22人を23歳以下の若手選手で固めていた。国内組の日より、純然たるA代表から遠そうなチームだった。アレクサンドル・ヤンコビッチ監督のサッカーが、こちらの目をひく優れたサッカーをしていたわけではない。日にとって2-0ないしは3-0に準ずるスコアで勝たなければならない試合だった。 決定的なシュートを外しまくったわけではない。惜しいチャンスと言えるのは、細谷真大が脇坂泰斗の洒落たアウトサイドパスを受けながら、決めきれなかったシーン(後半8分)ぐらいで、0-0は必然性のある順当なスコアと言えた。 中国が健闘したと言うより、日が勝手にズッコケた試合。もう少し言うならば、森保一監督の監督としての能力に、またしても限界を感じた試合となる。 中国に引き分け、憮然とした表情の日本代表の選手たちこの記事に関連する写真を見る 4-2-3-1の1トップに起用した初代表の細谷は

    森保一監督は気がついているのか。日本代表が中国戦でチャンスをつくれなかった理由
    candidus
    candidus 2022/07/26
    “杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki”
  • 広岡達朗が怒りのダメ出し「原辰徳には人を育てていく理念が見えない」。ヤクルトと巨人の「差」はどこにあるのか

    webスポルティーバ野球の記事一覧プロ野球広岡達朗が怒りのダメ出し「原辰徳には人を育てていく理念が見えない」。ヤクルトと巨人の「差」はどこにあるのか ペナントレースも半分を消化し、これから正念場の夏場を迎えて、各チームが今シーズン掲げた目標に向かっていく時期だ。セ・リーグにおいては、6月からヤクルトが独走態勢に入り、6月26日には巨人がヤクルトに敗れ球団史上最速で自力Vが消滅するなど、1強状態になっている。 ペナント前の予想で、ヤクルトの連覇は難しいと語る評論家は多くいた。にもかかわらず、このような結果となっている要因は何なのか? ベンチで冴えない表情を見せる巨人・原辰徳監督この記事に関連する写真を見る 優勝候補の一角に挙げられていた阪神は、開幕9連敗を喫するなど大きく出遅れた。巨人も開幕1カ月は新人選手の活躍もあって順調に勝ちを重ねていったが、やがてケガ人が続出し貯金が増えずにいる。その

    広岡達朗が怒りのダメ出し「原辰徳には人を育てていく理念が見えない」。ヤクルトと巨人の「差」はどこにあるのか
  • キミは幻の和製スポーツシューズ、「ハリマヤ」を知っているか

    短期連載〜消えたハリマヤシューズを探して(1) 老舗の足袋(たび)メーカーがランニングシューズの開発に挑む、池井戸潤の新刊小説『陸王』が話題となっている。『陸王』は現代が舞台の企業小説だが、実は約100年前、小説さながらに、足袋職人がマラソン足袋を開発し、やがてスポーツシューズメーカーへと成長を遂げた実話があったことをご存じだろうか。 1912年(明治45年)、ストックホルムオリンピック。近代国家を目指す日が初めて代表選手を送り込んだ記念すべき国際大会で、マラソン競技のスタート地点に立ったのが金栗四三(かなぐり しそう)だった。 日マラソン界の祖とも言われる金栗の足には、「ハリマヤ」の足袋があった。そこに至るまでには、金栗とともに試行錯誤を重ねてマラソン用の足袋を開発したひとりの足袋職人がいた。ハリマヤ足袋店店主、黒坂辛作(くろさか しんさく)。以来、黒坂のハリマヤ足袋を履いたランナー

    キミは幻の和製スポーツシューズ、「ハリマヤ」を知っているか
  • 小野伸二が天才でなくなった日。「あのケガで、僕はすべてを失った」

    世界2位の快挙から20年...... 今だから語る「黄金世代」の実態 第1回:小野伸二(3) 前回の記事はこちら>> 1999年ワールドユース(現U-20W杯)・ナイジェリア大会。U-20日本代表は、歴史的な快進撃を披露して決勝進出を果たした。 1999年4月24日、ワールドユース決勝のスペイン戦。累積警告による出場停止となった小野伸二は、ベンチでひとりだけ白いユニフォームを着て、ピッチで戦う仲間たちへ声援を送っていた。 開始5分、日はGK南雄太がオーバーステップによる反則を取られてゴール前で間接FKを与えてしまい、早々に先制ゴールを許した。以降、スペインが完全にボールを保持。シャビを中心としたパス回しに、日はまったくついていけなかった。おそらく、スペインの支配率は70%を超えていたことだろう。 結局、日は手も足も出ず、0-4という大敗を喫した。 小野は茫然と試合を見ていた。 「スペ

    小野伸二が天才でなくなった日。「あのケガで、僕はすべてを失った」
  • スペインの目利きがアジア杯の日本に警鐘。「安易な中央攻めが多い」

    ミケル・エチャリのサウジアラビア戦レポートを読む>> 「好むと好まざるにかかわらず、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)が大きな影響を及ぼした一戦になった。CKからのゴールを主審が認めたあと、VARで取り消しに。その後、今度は審判が流していたPKのシーンが、2分後にVARでPKと判定され、これが決勝点になった」 ベトナム戦の日の唯一のゴールは堂安律のPKだった スペインの目利き、ミケル・エチャリはアジアカップ準々決勝、日がベトナムに1-0で勝利を飾った試合について、淡々と振り返っている。 エチャリはレアル・ソシエダで、戦略分析担当を務めていた。対戦相手を徹底的に分析し、戦い方を促す参謀役だ。チームの長所、欠点を見抜くだけでなく、その回路を解き明かす能力を持っている。 そのエチャリは、ベトナム戦をどう見たのか? 「日は4-2-3-1の布陣でスタートした。南野拓実(ザルツブルク)、

    スペインの目利きがアジア杯の日本に警鐘。「安易な中央攻めが多い」
  • スペインの慧眼がアジア杯の日本に及第点。「問題はセットプレー」

    ミケル・エチャリのイラン戦レポートを読む>> 「日が序盤に喫した2失点は、どちらも守備の強度が足りていなかった。他にも、簡単にインサイドへのパスを通させてしまっている。後半はプレーが改善されたが......」 スペインの慧眼、ミケル・エチャリ(72歳)はアジアカップ決勝、日カタールに1-3で敗れた試合をそう振り返っている。 エチャリは80年代、エイバルを監督として率い、5バックを使いこなして戦っている。当時、日の出の勢いだったデポルティボ・ラ・コルーニャと引き分ける"金星"を挙げた。戦術家として、"フットボールの回路"を知り尽くしている。 エチャリは、カタールの堅守に苦しみ、その効果的な攻撃に沈んだ日をどのように見たのか? アジア杯決勝カタール戦で、就任以来初の黒星となった森保一監督「日はこれまでと同じように、4-4-2を採用。ボランチの遠藤航(シント・トロイデン)が欠場し、塩谷

    スペインの慧眼がアジア杯の日本に及第点。「問題はセットプレー」
  • オシムから日本へ愛のムチ。「なぜチームのためにプレーしなかった?」

    ズドラフコ・レイチ●文 text by Zdravko Reic  利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko アジアカップ決勝で日が敗れた。勝敗が決まった時、私は少なからず憤慨していた。そして試合から日が経つにつれ、悲しさと、日の戦い方を残念に思う気持ちが、私の心を覆うようになっていった。日サッカーを愛する者なら当然だろう。 決勝のカードを知った時、私は日が有利であると考えた。大勢の意見もそうであったろうし、もしかしたら選手たちも――意識はしないにせよ――そう思ったのではないだろうか? だが、こうした考えは非常に危険だ。相手がどんなチームであれ、軽んじてしまえば、自分たちの首を絞めることになる。それがサッカーの掟だ。ただ、日人は真面目で、何事にも全力を尽くし、ベストな結果を出すために入念な用意をする。だからこうした心配は杞憂だと思っていた。 と

    オシムから日本へ愛のムチ。「なぜチームのためにプレーしなかった?」
  • 9球団の誘いもあっさり拒否。慶応大左腕は1億よりスーツを選んだ|プロ野球|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva

    仕事としてプロ野球を選択しなかったサウスポー プロ入りを熱望されながら、大学卒業と共に野球から離れた志村 往年の野球ファンならば、志村亮というピッチャーの名前を覚えているだろう。 桐蔭学園(神奈川)時代、2年春の1983年センバツで甲子園初登板。3年夏には激戦の神奈川大会を制して甲子園で2勝を挙げた。その後は慶應大学へ進学、すぐに神宮デビューを果たし、開幕カード第2戦に初先発して56年ぶりとなる新人の開幕カード完封勝利を記録した。 さらに4年春と秋のリーグ戦では、5試合連続完封、53イニング連続無失点記録も樹立している。4年間で31勝、防御率1.82という成績を残したクレバーなサウスポーは、当然のようにプロ入りを期待されたが、その道を選ぶことはなかった。 志村が東京六大学リーグでプレーしていた1980年代後半、各大学にはのちにプロ野球で活躍する選手がたくさんいた。しかし1988年は、即戦力

    9球団の誘いもあっさり拒否。慶応大左腕は1億よりスーツを選んだ|プロ野球|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva
  • 鹿島TD就任のジーコから熱いメッセージ。「第ニの故郷へ帰る理由」

    今、私は非常にあわただしい日を過ごしている。しかし、それはうれしい忙しさだ。なぜなら私は再び日に行くからだ。この8月から、私は愛する鹿島アントラーズのテクニカルディレクターに就任する。 鹿島に帰ることを決断した理由は、ごくシンプルなものだ。今が、第二の故郷へ帰るその"時"だと感じたからだ。 W杯が終わり、多くの国やクラブチームから、さまざまなオファーが寄せられたが、そのどれにも私はあまり興味がわかなかった。スポーツチャンネルで解説を務め、自分の番組を発信し、さまざまな講演会やイベント出演のリクエストも多い。ブラジルでの落ち着いた生活に、私は十分満足をしていた。 しかし、そこに鹿島からのサプライズともいえるオファーが届いた。この知らせを聞いたとき、正直、私の心臓は高鳴った。それまで何者も動かせなかった私の気持ちが、大きく動いた瞬間だった。 16年ぶりに鹿島アントラーズに復帰するジーコ ph

    鹿島TD就任のジーコから熱いメッセージ。「第ニの故郷へ帰る理由」
  • イニエスタとプレーすると選手は思う「自分は何もわかっていなかった」

    小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki 西村尚己/アフロスポーツ●写真 photo by AFLO SPORTS 「イニエスタがいたら、もっと点、入ってた?」 8月1日、大阪。キンチョウスタジアムでは試合後、子供が父親らしき男性を見上げながら聞いていた。父は苦笑するしかない様子だった。親子はきっと、アンドレス・イニエスタ目当てに試合に訪れたのだろう。 この夜、セレッソ大阪対ヴィッセル神戸の試合チケットは完売。世界最高の選手、神戸のMFイニエスタを見ようと、チケットはプラチナ化していたという。ところが、肝心のイニエスタは、柏レイソル戦後に「家族を連れて戻ってくる」と、一時帰国した。 試合は、酷暑だったこともあってペースが上がり切らず、それぞれオウンゴールで1-1の痛み分けという結果に終わっている。 Jリーグ第19節、セレッソ大阪と引き分けたヴィッセル神戸「肩すかし」

    イニエスタとプレーすると選手は思う「自分は何もわかっていなかった」
  • 日本サッカーの未来は明るくない。悪しき「8年サイクル」から脱出へ

    ロシアW杯でベルギーに敗れた後、もっとも気になっていたのは、サッカーを取り巻く日国内のムードだった。ロシアで取材を続けている時はインターネットが主な情報源になるわけだが、日本代表が帰国した後は歓迎ムード一色に染まっていたようで、どこかのスポーツ新聞には「西野ジャパン、凱旋帰国」という見出しが躍っていたと記憶する。 ベルギーに逆転負けし、試合後の選手の表情は冴えなかった いつから「凱旋」という言葉が負けて帰った時に使われるようになったのかはわからないが、とにかく佳境にさしかかる大会を現地で取材し続けていた身からすると、インターネット経由で伝わるその歓迎ムードは、まるで別世界の出来事のように見えた。 また、その後しばらくは日本代表の中心選手たちが引っ張りだこの状態でさまざまなメディアに登場し、大会前の沈滞ムードを一気に吹き飛ばすような勢いで日本代表人気が急上昇しているという話も伝わって

    日本サッカーの未来は明るくない。悪しき「8年サイクル」から脱出へ
  • W杯のVARや日本について外国人記者が放談!「日本は経験不足」

    フランスの5大会ぶり2度目の優勝で幕を閉じたロシアW杯。モスクワのルジニキ・スタジアムで行なわれたフランス対クロアチアとの決勝には、世界中のメディアが集まった。はたして各国のジャーナリストの目に、今大会はどう映ったのか。 イタリアの日刊紙『La Repubblica』のエンリコ・クーロ記者。国内では大会前、イタリアが予選敗退したこともあって、ロシアW杯への関心は著しく低かったというが、終わってみれば、有料テレビが記録的な視聴者数を獲得するなど、おおいに盛り上がったという。 「ピッチ内で目新しい戦術の進化が見られたかといえば、そうではなかった。目立っていたのは、FKやPKによるセットプレーからの得点。それに大会序盤からサプライズ含みのアップセットが多く、小国といわれるチームが守備を固めて、そこで奪ったボールを素早いカウンターにつなげて得点するといったシーンも多かった。その戦い方がいいか悪いか

    W杯のVARや日本について外国人記者が放談!「日本は経験不足」
  • 誤った4年間。西野Jの健闘を「結果オーライ」で片付けてはいけない

    日本代表ロシアワールドカップで2大会ぶりにグループリーグを突破した。決勝トーナメント1回戦のベルギー戦でも、敗れはしたが、非常に充実した内容の試合を繰り広げた。 ロシアW杯で日本代表は素晴らしい戦いを見せたが... とはいえ、「終わりよければすべてよし」で片づけてしまうことは、今後の強化のためにもいいこととは思えない。 日本代表ワールドカップ大会の2カ月前にヴァイッド・ハリルホジッチ監督を電撃解任し、西野朗監督を後任に据えた。 新指揮官のもと、活動できた期間は大会期間中を含めても1カ月程度。それを考えれば、来ありえないほどの大きな成功を成し遂げたと言ってもいい(西野監督は「成功」という言葉を受け入れなかったが)。 だが、なぜ大会直前に監督を代えなければいけなかったのか。なぜ1カ月程度の突貫工事で、4年に一度の大舞台に臨むことになってしまったのか。その問題をうやむやにしてはいけない

    誤った4年間。西野Jの健闘を「結果オーライ」で片付けてはいけない
  • スペインの知将が西野采配に苦言。「3人の選手は効果的でなかった」

    「試合前に先発メンバーを確認したとき、私は思わず固まってしまった。もちろん、連戦が続き、選手の疲労などの理由はあったのだろう。決勝トーナメントを見据えた采配だったのかもしれない。それにしても、6人もの先発変更は危険すぎた」 日のポーランド戦後、ジョゼップ・グアルディオラも信頼を寄せるスペインの"慧眼(けいがん)"、ミケル・エチャリはそう言って、プランニングの問題を指摘している。 エチャリは大会前から、ロシアW杯での日の「サプライズ」を論理的に予想していた。結果はまさにそのとおりになっている。しかし、第3戦目に関しては「命拾い」と厳しく表現した。 大胆というよりは無謀な選手交代で挑んだ西野ジャパンを、エチャリはどのようにスカウティングしたのだろうか? ポーランド戦で長谷部誠に代わり先発した山口蛍。日の中盤は安定を欠いた「正直、選手のコンディションがわからないので、迂闊(うかつ)なことは

    スペインの知将が西野采配に苦言。「3人の選手は効果的でなかった」
  • オシムが語るコロンビア戦。「日本は相手の退場で勝ったのではない」

    W杯が始まった。各国の戦いを興味深く見ているが、なかでも特別な思いで追っているのは、かつてユーゴスラビアという名の同じ国であったクロアチアとセルビア、そして私が率いたことのある日だ。 その日が初戦でコロンビアに勝利した。W杯でアジアのチームが南米のチームを破ったのは史上初だ。まさに快挙という言葉がふさわしい。 コロンビア戦で決勝ゴールを決めた大迫勇也 photo by Sano Miki 正直、大会が始まるまで、日がコロンビア相手に勝ち点3を挙げられるとは思っていなかった。日が勇猛なチームであることは知っていたが、W杯前のデリケートな時期の監督交代は、あまりにもリスクが高かった。 おそらく西野朗氏が新監督に就任したことが、日を救ったのだと思う。西野氏はもともとチームの中にいた人間で、詳細なチーム内の状況を熟知していた。新監督に与えられた時間は少なかったが、それがあまり足かせになら

    オシムが語るコロンビア戦。「日本は相手の退場で勝ったのではない」
    candidus
    candidus 2018/06/21
    オシムの具合が心配だ