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三島由紀夫に関するmshkhのブックマーク (17)

  • 「美しい星」 (三島由紀夫) に見る金沢の風景

    先日,三島由紀夫の「美しい星」について書いた.そのエントリでは触れられなかったのだが,重要なサイドストーリーとして,大杉家の美しい一人娘,暁子の話がある.暁子は,大杉家の他の人間と同様に,宇宙人(暁子は金星人)として覚醒している.詳しい話は省略するが,暁子は,金星人と自称する竹宮という男に会いに金沢(石川県)を訪れる.金沢は,前田家加賀百万石の城下町として栄えた町で,処々に昔の風情を偲ばせる,私の好きな町の一つである.この金沢の描写が「美しい星」にあり,当時の金沢の情景をよく伝えていると思うので,ここに引用しておきたい. 金沢藩における謡曲の民衆への浸透は,藩主が工人の呼吸と芸能の呼吸との霊妙な一致に注目して,御作事方に謡の稽古をさせたことにはじまっている.・・・参勤交代の御国入りの折には,藩主は京都から一流の能役者を招き,数日にわたって興行し,町人にもお能拝見がゆるされ,時には藩主自らが

  • イカロス (三島由紀夫)

    ある晴れた夏の日,山に車で行った.休憩のとき,車から降りると,空の青と入道雲の白が眩しかった.そこから見える平野部の町並みの景色が素晴らしい.なんとはなく,感傷的な気分になった.そして,ふとイカロスの神話について思った. この時代,アテナイ人は,クレタの王ミノスに納めるべき生贄のことで悩まされていた.生贄は7人の少年と7人の少女であり,人身牛頭の怪物ミノタウルスの餌となるのである.ミノタウルスは,名工ダイダロスがクレタ島に作った迷宮(ラビュリントス)に飼われていた.この迷宮は大変巧みに出来ており,いったん迷い込んだが最後,その出口を見つけることは不可能であったという. この怪物ミノタウロスを退治するために,アテナイの王子テーセウスがやってくる.テーセウスと,ミノス王の娘アリアドネは恋に落ちる.アリアドネは,ミノタウルスを倒すための剣と,一つの糸鞠をテーセウスに与える.この糸鞠は,迷宮を脱

  • 美しい星 (三島由紀夫)

    人から音楽を薦められて,それがその人の意気込みほどには面白くなく,困惑することがある.先日も,ある(現代の)人気作家の作品を薦められて読んでみたのだが,とても面白いとは思えないということがあった.最初の何章かで展開が読めてしまい,結末まで予想どおりだったのである.Amazon のレビューなどでも評価は二分しているようだ.その後,感想を聞かれたときも,退屈だったと答えるわけにもいかず,お茶を濁さざるを得なかった.こういうときは,自分が悪いわけではないと思いつつも,やはり自己嫌悪を感じる.感動したと答えられたら,一緒になってそののことを楽しく話せたら,どんなにいいだろうと思ってしまう. そこで,他人からすすめられて面白かったをいくつか紹介したい.最初に,三島由紀夫「美しい星」(新潮文庫)について書いてみることにする.今年最後のエントリである. 「美しい星」は,三島由紀夫文学の中でもひと

  • cakes(ケイクス)

    cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日

    cakes(ケイクス)
    mshkh
    mshkh 2016/07/22
    「『葉隠』から読み出した死に対して、三島由紀夫は予定調和と美を付け加えた。隆慶一郎は、それを笑いとロマンに引き戻したのである」
  • 荒地派と三島由紀夫: 極東ブログ

    戦後詩を形成した荒地派の生年をスペクトラムとして見ると、おおよそではあるが、大正8年の黒田三郎から大正13年の吉隆明くらいの、5年くらいの幅がある。彼らが戦後を迎え、「荒地」を形成するころの20代以降では、彼らのなかではそれほど大きな年齢差としては意識されなかったのではないか。が、実際のところ、そのスペクトラムに出征の有無がある。 今、たまたまではあるが、世界大百科事典を覗いたら、「荒地」について「鮎川、加島祥造、北村太郎、木原孝一、黒田三郎、田村隆一、中桐雅夫、三好豊一郎ら戦争体験を経たモダニズムの詩人たちがこの雑誌に結集し」とあり、そこでは「戦争体験」として一括されていた。間違いだとは言えないし、そこで出征経験の有無が差異として強く問われたこともなかっただろう。またおそらく、彼らの多くが戦後、海外文学の翻訳者として関わっているように、西洋的なモダニズムの基礎があり、それにがドメスティ

    荒地派と三島由紀夫: 極東ブログ
  • 三島由紀夫のSF小説『美しい星』、55年を経て映画化 リリー・フランキー&亀梨和也出演で現代設定に大胆脚色

    そんな原作の映画化にあたって吉田監督は、50年以上前に書かれた物語の舞台を現代の改めて大胆に脚色。ミシマが2010年代に生きていたらどんなふうにこの星を描くだろうという仮定から脚はスタートした。 原作で「ごく短期間教鞭をとった以外は大学卒業以来働いたことのない資産家の高等遊民」だった主人公・重一郎は、映画ではヘラヘラといい加減に生きている「当たらない」ので有名なテレビのお天気キャスター(リリー・フランキー)という設定になり、情熱と使命感に燃える火星人に覚醒する。「モラトリアムを生きるシニカルな学生」だった長男・一雄は、暗い野心をたぎらせるフリーター(亀梨和也)になり、知性を司る水星人に覚醒する。 「純潔に固執する潔癖症の女学生」だった長女・暁子は、自分の美しさが最大のコンプレックスという女子大生(橋愛)になり、美を象徴する金星人に覚醒。「大人しい献身的な専業主婦で木星人」だった母・伊余

    三島由紀夫のSF小説『美しい星』、55年を経て映画化 リリー・フランキー&亀梨和也出演で現代設定に大胆脚色
    mshkh
    mshkh 2016/03/01
    マジですか,なぜ今さら….この小説は好きなだけに,微妙な気分だわ.というか,ヒットする気がしない
  • 三島由紀夫、ノーベル文学賞候補だった 1963年推薦:朝日新聞デジタル

    作家の三島由紀夫(1925~70年)が、1963年にノーベル文学賞候補としてスウェーデン・アカデミーに初推薦され、最終選考リスト一歩手前の候補6人の中に入っていたことがわかった。ノーベル財団が2日、公式サイトで発表した。ノーベル賞の候補者や選考過程は50年間非公開。その期間が過ぎたことから公開された。 財団によると、三島は63年、アイルランド出身でフランス在住の劇作家サミュエル・ベケット(69年受賞者)らと並び、6人まで絞り込まれたリストの中に入った。だが、「ほかの日人候補と比べて優先されるほどの作家性がまだない」と判断され、3人の最終選考候補からは漏れたという。63年の文学賞は結局、ギリシャの詩人イオルゴス・セフェリスが受賞している。 63年に推薦された候補は80人。この中には4人の日人がいた。三島以外の3人は、61年から推薦されていた川端康成(68年受賞者)と、58年から候補リスト

    三島由紀夫、ノーベル文学賞候補だった 1963年推薦:朝日新聞デジタル
    mshkh
    mshkh 2014/01/03
    三島由紀夫はノーベル文学賞を受賞する資格が十分あると思うけど,文学的な到達点からすれば,まずは谷崎潤一郎が受賞すべきではないかと思うけどなあ.海外では三島の方が評価されてるんだろうか?
  • ■ - jun-jun1965の日記

    1956年3月17日、奥野健男『太宰治論』の出版記念会に出席した三島由紀夫(31)は、初めて北杜夫(29)に会う。北は「三島さんは『てふど』と書くが、『ちやうど』とすべきだ。ちゃんと辞書くらい引いてください」と言う。怒った三島は夜中の二時に奥野に電話をかけ、「『幽霊』とかを書いた天才とかいうが、あんな無礼な文学青年を二度と紹介しないでくれ。何が「ちやうど」だ」と言う。間違いを素直に認められない三島であった。(奥野『三島由紀夫伝説』) - 『現代思想』が届いたので(これは「週刊読書人」の時評のためである)見たら、阪大時代の同僚だった大村敬一君が出ていた。大村は文化人類学専門で、私より後から来た人だが、はじめよくカナダへエスキモーの調査に行っていた。なんか小林秀雄的な物言いをする人で、面白そうなのだが時々何を言っているのか分からず難儀した。ここでも、まあ分からないことを言っている(座談会)が、

    ■ - jun-jun1965の日記
    mshkh
    mshkh 2011/10/29
    ちょっと興味深いエピソード
  • 江藤淳の痛みというか - finalventの日記

    このところ、江藤淳の痛みのようなことをぼんやりと考える。彼も自決だった。そして、その自決は三島由紀夫と同質でもあったかもしれない。 江藤は32年生まれ。昭和7年だ。三島は1925年(大正14年)。私の父が26年生まれ。 父は大病で結果的に戦死を免れ、私がこの世にいる。彼の兄、つまり私の伯父はインパールで戦死した。つまり、殺された。父は私をその兄に似ていると見ていたふしがある。私は伯父の転生かもしれない(冗談ですよもちろん)。 三島も実質戦争を免れた。そのことを内心、忸怩たる思いがあっただろう。彼は団塊世代の上にあたり、GHQの所作も見てきたし、戦後日の欺瞞も見ていた。耐えられなかったというのはわからないでもないが、それより、自身の確立がGHQなるものとそれに結託する日的なるものに耐え難かったのだろう、というのはわからないでもない。天皇崇拝みたいなものは、偽悪的に言えば、そうした仮託の偽

    江藤淳の痛みというか - finalventの日記
  • YouTube - 川端康成氏を囲んで (三島由紀夫 伊藤整)1/3

    1968年10月18日 日人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成と三島由紀夫、伊藤整との対談です。場所は鎌倉にある川端邸で、ノーベル文学賞を受賞した翌日に特別番組として放送されたものです。

    mshkh
    mshkh 2008/12/23
    初めて見た.これはすごい.
  • 今日の1冊 「金閣寺」三島由紀夫 - finalventの日記

    木村政雄さんの私の1冊「金閣寺」三島由紀夫 | NHK 私の1冊 日の100冊 木村政雄については名前くらいしかしらない。 ⇒木村政雄 - Wikipedia 今回は、ようするに、100冊のうち1冊は三島を出さなくてならないだろうということで、どう直球的にクセ弾を出すかという揚げ句の出来だったのでないだろうか。辛うじて合格ラインというか、三島の問題を際どく逃げたという印象だった。 木村政雄が三島を読めているかについては言うに野暮に思えるし、実際語るところを聞けば、あの時代の、つまり団塊世代の述懐という以上はない。 三島由紀夫については、私はまだ大きな課題を果たしていない部分があるが、ざっくりいうと、昭和という時代の特殊な心の傷ではあってもそれほどたいした文学者ではないなと思うようになった。こういうと、変な弾が飛んでくるかもしれないが、文章がうまくない。一種の美文というか、表面的にはきれい

  • YouTube - 三島由紀夫 二つの仮面 その1

    伝説の作家三島由紀夫の祖父からの軌跡を辿りながら切腹に至る謎に迫る。三島ファンならずとも日の近・現代史を知る貴重なフィルムは必見である。

  • My Life Between Silicon Valley and Japan - 「「兵士」になれなかった三島由紀夫」(杉山隆男著)

    中を震撼させた衝撃の自決から37年―初めて明かされる「兵士」三島由紀夫の素顔 とオビにある。面白いノンフィクションで一気に最後まで読んでしまった。 1970年11月25日の事件の衝撃は小学校時代の鮮烈な記憶のひとコマではあるが、その背景についての知識が断片的だったこともあり、書で語られる三島と自衛隊との関係の深さ、三島の肉体の鍛錬の具体的レベル、自衛隊で受けた訓練の詳細、訓練を受ける過程で心を通わせた自衛隊員と三島の間での問答、当時の自衛隊将校の心にいまも残る三島の意味、三島夫人の雰囲気、自決当日の檄文の先見性・・・どれもが興味深かった。 書は1960年代後半に三島と深い交流のあった自衛隊員の徹底的な取材によって書かれたもの。「ボディビルで上半身だけは鍛えた」と言われていた三島の肉体が実際にはどのくらい強靭なものだったのか(腕立て伏せなら普通の自衛隊員以上にできたとか)、三島の剣道

    My Life Between Silicon Valley and Japan - 「「兵士」になれなかった三島由紀夫」(杉山隆男著)
  • YouTube - 三島 vs 東大全共闘

    '69.5.13 於:「東大【焚】祭」

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    第1回全日剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を 第1回全日剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を超える 観衆が集まった。 大会は、戦前の剣道界の慣習であった専門家、非専門家の区別を廃し、選手の資格は年齢、段位、称号などに一切の制限を設けず、 各府県の予選を経て代表者を出し、剣道日一を決するという画期的な構想によるものだった。 優勝の榊原正は大正9年愛知県蒲郡市生まれの33歳、名古屋矯正管区法務教官(剣道師範)、のちに剣道範士八段。戦前は名門東邦 商業で活躍した剣士。準優勝の阿部三郎は大正8年福島県相馬生まれの34歳、警視庁の剣道選手でのちの

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