離婚後に父母の一方しか子の親権を持てない「単独親権」の見直しを求める声が強まっている。親権を持たないため子どもに自由に会えなくなったという父母らが22日、現行制度は違憲として集団提訴した。単独親権を採用する国は先進国では珍しく、離婚後も子育てに関わり続けたいという人は増えるなか、共同親権導入の是非を巡る議論も進んでいる。「離婚や別居をすると、なぜ愛する子どもと会えないのか」。離婚などで子の養育
あまり良くない内容なのだけど、このブログは僕のその時の考え方や感じ方、悩んだ感情をそのまま残しておく役割を持っている。 平たく言うと自分の感情の捌け口にブログを利用させてもらってきた。 加えて、ブログに取り組む者は身の回りのことはなんでもネタにすべき、との好きなブロガーさん達の言葉と姿勢を尊敬もしている。 だからこの主題の通り、会いに行く直前の、いまこのタイミングで覚悟を決めて文にしてみようと思う。 どこにいて、今なにをして暮らしているのかわからない父に会いに行かなければならない大きな理由は、先月僕の祖父、父の父親が亡くなってしまったことと、その際の遺産相続に関連するもろもろの手続きの書類関係を、父の親戚と父の姉に託されてしまったためだ。 長いので例によって内容の合わない方は読まなくても大丈夫です。 僕には残念な父がいる。 父にどれぐらいろくでもないことをされてきたのか詳しく説明するのはち
米国ワシントン州に住む男性が、生まれた我が子の遺伝子検査をしたところ、生物学的には本人の子供ではなく、兄弟の子供であることが分かったという。 精子は確かに本人のもの この34才の男性は、妻とともに不妊治療を受けており、生まれた子供は人工授精によるもの。 担当医は人工授精に使用した精子が夫本人のものであることを確認している。それにもかかわらず、生まれた子供の血液型が両親のどちらとも一致しなかったため、夫妻は遺伝子検査を依頼した。 遺伝子は兄弟のもの 医師が夫の唾液から採取した遺伝子を調べると、子供のものとまったく違っていた。つまり、100%夫の子供ではない。 ところが、夫の精子を調べると、10%という半端な割合が子供の遺伝子と一致した。これは、遺伝学的には、夫の兄弟が本当の父親であると考えられる。 だが、さらに不可解なことに、当の夫に兄弟はいないのだ。 兄弟は夫の体内に吸収された双子の一方
ファッション雑誌『VERY』(光文社)が4年前に子育て中の母親が名刺を愛用する動きを取り上げ、販売サイトを立ち上げたことが、近年のブームの一因となっている「ママ名刺」。自分の名前と子供の名前、電話番号やメールアドレスなどの連絡先、ちょっとした趣味などを入れるのが一般的だったが、最近ではSNSの連絡先を載せる人も増加しているという。 そうした話を聞くと非常に便利なツールに思えるが、そこには思いがけないトラブルも潜んでいる。愛知県に住む主婦のAさん(42才)は名刺交換を巡って、子供の習い事先から注意を受けた。 「小学生の娘がバレエを習い始めたので、教室のママたちに名刺を配ったんです。そのなかにお迎えのタイミングが合わなくて渡せないママがいました。なかなか私たちともおしゃべりする機会もなかったので仲よくならなかったし、そのまま渡していなかったんです。そしたら誰かがその家のお嬢さんに名刺を見せたら
今回は逆ナンとかではなく、月島でもんじゃ焼きを食べた話です。 姉「ねえ、今度お父さんとあたしたちと3人で箱根に旅行に行かない?ほら、紅葉とか綺麗だろうし・・・」 暇「いいよもうそういうの」 姉「・・・え?」 私には母親がいなかったので学校から帰って話す相手も用事を頼む相手も父だけだった。 父の関心を引きたくて勉強も絵も作文も頑張った。とりたてて喜んでくれることも褒めてくれることもなかったが、それ以外にどうすれば振り向いてもらえるのか分からなかった。 私にとって父は絶対的な存在だったので反抗なんてする気も起きなかった。父の言うことはすべて正しいし私の考えることの方が間違っている。色々なことがうまくいかないのもきっと全部自分が悪い。 「大人しい子どもだねえ」等とイヤなことを言われたり、食べられない量のご飯を無理やり食べさせられるからお婆ちゃんの家には行きたくなかったけど、そんなことを言えばお父
7月26日に長崎県佐世保市のマンションに一人住む15歳の女子高校生が友人で同じく15歳で高校一年生の女子高生を殺害した事件は、日本全体に衝撃を与えた。大事件であったと言っていい。日本のブログとして少し雑感を留めておきたい。 私は基本的に、こうした非組織的な殺人事件については関心をもたないようにしている。今回も、NHK7時のニュースで初報道があったときも、概要を聞いてから、さっと飛ばした。私は基本的に国内ニュースはNHK7時のニュースしか見ないし、また見るときはいったん録画して見るので、関心のないニュースは飛ばしている。 この事件に関心がないわけではない。関心をもたないようにしているというだけである。当然だが、15歳の少女が15歳の少女を殺害したというニュース自体には、ある種、衝撃を受けた。 そして場所が佐世保であることから、2004年6月に同市で発生した長崎県佐世保市女子児童殺害事件のこと
「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧
全共闘世代の父とその息子さんとの対話。その書籍化に触れた先日のエントリー「[書評]お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!(加納明弘、加納建太)」(参照)で私は、全共闘世代の父の側に共感をもった。私のメンタリティーがどちらかといえば全共闘世代に近いからである。しかし書籍の帯は、父と子が対話することに力点が置かれていた。書籍として狙ったものはそこだったのだろうし、全共闘世代の父と子の対話というのは現実には少ないからなのだろう。後書きにも、父と子が対話できるなんてうらやましいと寄せられた言葉の紹介もあった。 現在老人となる全共闘世代、広義には団塊世代が、父として子に語ってきたかと問うなら、おそらくあまりそういうことはなかったのではないか。そして日本のいわゆる失われた10年に三十代半ばとなる子からも、父に青春の時代を問うということはあまりなかったのではないか。 親子だから語れない。そもそも親
「タエ子ちゃんといっしょ おもひでぽろぽろ読本(岡本螢)」(参照)は1991年の作品で、何か雑誌に連載されたエッセイをまとめたものではなく、徳間書店からの書き下ろしのようだ。手元のものは7月31日付けの初版だが版を重ねたふうもくなく、現在では絶版に至っているのかもしれない。おそらく、1991年の映画「おもひでぽろぽろ」に合わせた企画として出版された本だろう。帯にも「7月20日、全国東宝洋画系公開映画『おもひでぼろぽろ』の原作者がつづる、永遠のコドモ時代」とあり、それを意図したものであることをうかがわせる。 内容もさらっと読むと、昨日のエントリ「[書評]おもひでぽろぽろ(岡本螢・刀根夕子): 極東ブログ」(参照)で触れた原作、ないしジブリ映画の、著者からの補足と受け取れないこともない。あるいは原作で書き忘れていた、もう少しの裏話といった風に読まれもするだろう。 だが本書は、筆者も出版社も想定
今、家庭教師で医者の子を面倒みている。 小学校高学年だが、口だけは一丁前のくせに勉強もスポーツも苦手。 趣味は特にない模様で、友達とゲームしたりして遊んでる普通の子。 特に障害らしいものも無い。 が、大問題があって、 親はやはり開業医なだけあって、子どもも医者にしたいらしい。 しかし、私の小学校時代から見ても、お世辞にも「できる子」とは言えない。 むしろ分数の四則計算や割合の文章題がとんでもなく苦手で、 国語の文章をとおして読むのが苦手。拾い読みばかりする。 教え始めたころは小数の割り算が出来ないくらいだった。 「どうしてここまで放置したんですか?」と親に聞いたくらい。 しかし、それでも某有名学習塾に突っ込んでたらしい。 ついていけなくてドロップアウトしたとのこと。 通っている小学校もレベルが高い。 なんだかんだと世話を焼き、ようやっと普通に算国は取り組めるようになってきた。 このまましっ
昨日、子供が生まれた。 妻の妊娠をはじめて聞いたときには、正直「あと1年くらい(子供ができるのが)遅かったらよかったのに……」と思ったのだ。 たぶん、子供ができなかったら、ずっと同じことを思い続けていたのだろうけど。 初産で予定日まであと1か月近くあったので、そろそろ名前の候補でも挙げておかなくっちゃな、と考えていたところに、いきなり「破水した」との連絡があり、仕事を終えて産科の病院に着いたときには、もう子供は生まれていた。 保育器に入っているのを外から覗くだけ、というのを予想していたのだが、小さな小さな赤ちゃんは、母親の横で寝るでも起きるでもなく、右手で何かを握ろうとしたり、半分泣きかけたところで考え直したかのように泣くのをやめて半分だけ目を開けたりしていた。 正直、僕は自分に子供ができるのが怖かった。 このエントリで以前書いたように、僕は自分の親、とくに父親の愛情をうまく受け止め、解釈
⇒愛がなくてもできること - 北沢かえるの働けば自由になる日記 いろいろ思うことはあるけど。 ちょっと話がずっこけて、文脈ハズして。 愛がなくては子どもは育たない、か。 私は、親がなくても子は育つ、親がなければよく育つ、とか言ってきたものだった。 「愛」に「親」がどう関わるかが微妙。 日本的な風土だと(血統を重視しない歴史文化)、実の親より育ての親、とかいうことで、まあ、愛情があれば、それで親、みたいな解答になっている。が。 岸田秀みたいに、育ての親の愛、こそ、っていうか、愛こそ怖いものもはないというのもあり、云々。 そして、そこから、真の愛はなんたらとか不毛な議論に落ち込んで云々。 この手の話は不毛な回路に陥るのだけど。 50年生きてみて、なんとなく信仰観みたいなものだけど、生きているということはどっかに愛があるということなんだよと思う。 先日、ぼうっと、自分は愛情とかに恵まれない子供で
Savannah Pence and her father, John, at home in Portland, Ore. Savannah likes to send text messages. Mr. Pence is trying to catch up with the technology.Credit...Andrew M. Daddio for The New York Times AS president of the Walt Disney Company’s children’s book and magazine publishing unit, Russell Hampton knows a thing or two about teenagers. Or he thought as much until he was driving his 14-year-o
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
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