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小説に関するmshkhのブックマーク (190)

  • 酒虫 (芥川龍之介)

    この季節はとにかく暑くて湿度が高く,一年を通じて最も嫌な時期である.外出すると,息をするのも苦しいような暑さと湿度のため耐えられないような気分になり,さらに,汗でシャツがじっとりとしてくると,それがまた不快さを増大させていく. こういった暑い日によく思い出す小説が芥川龍之介の「酒虫(しゅちゅう)」という短編小説であり,今回のエントリでは,それについて書いてみたい. この小説は,もともと,聊斎志異の中にあるエピソードに基づいているという.芥川の酒虫では,昔の中国の或る地方の素封家である,劉が主人公となっている.劉は,人並みはずれた酒豪でもあった.あるとき,この劉の元に,西域から来た一人の僧が訪れる.その僧は,劉がいくら酒を飲んでも酔わないのは,病のせいであるという.そして,その病は,劉の腹中に住んでいる,「酒虫」を取り除かないと治らないというのであった. 劉は,その僧に,酒虫を取り除くよう依

  • MENSURA ZOILI (芥川龍之介)

    POP*POPというブログを楽しみに読んでいるのだが,そのブログに以下のような記事があった: 芸術の価値を算出する?!MITの発明、『ART-O-METER』 ART-O-METER は,MITで発明されたガジェットで,芸術作品の評価をしてくれるという.ただ,その原理は簡単なもので,芸術作品の前で人々が立ち止まった時間を測定し,それが長いほどよい作品と判断するということだ.どこまで気なのか分からないが,大変興味深く感じた. そして,この記事を読んで,芥川龍之介のMENSURA ZOILI という短編小説を思い出した. この小説では,芥川は,ZOILIA (ゾイリア) という架空の国へ向かう船の上の人である.このとき,その船の乗客の一人が,芥川に,ゾイリアで発明された「価値測定器」について話を始めるのである. 「価値測定器というのはなんです」 「文字通り,価値を測定する器械です.もっとも主

  • 母の眼 (川端康成,「掌の小説」所収)

    はじめまして、 あの、、、『掌の小説』の中で母の眼という作品について聞きたいことがありまして、 何の意味かなかなか分かりませんね。ですので、あなたの考えがほしいんです。 たとえば、このタイトルはなぜ母の眼なのか。 最後の部分に書いてる「子守女の顔に何と明るい喜びだ。」ここの意味は何だと思ってますか。 https://dayinthelife-web.blogspot.com/2005/08/blog-post_7.html 私は特に教養があるわけでもなく,書評のようなものをこのブログに書いてはいますが,その解釈についても浅かったり間違ってたりするところが多々あるのではないかと思っています.しかし,せっかくのお尋ねでもありますし,自分の考えを書いてみることにしました.少し長くなってしまったので,コメント欄に書くのではなく,独立したエントリにしてみます. この小説のキーとなるのは,「美しい子守

  • アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス)

    私が書「アルジャーノンに花束を」を初めて読んだのは、随分前になる。書は何年か前に新版となったのだが、しばらく前に、改めて読みなおしてみた。そしてそのとき、以前読んだとは違う思いをしみじみ感じた。 今から思えば、前回この小説を読んだときは、人生の喜びも悲しみも分かっていなかった。もちろんそれは、今でも分かっていないのかもしれないし、それどころか一生分からないかもしれない。いずれにせよ、その思いをエントリにしてみたい。 「アルジャーノンに花束を」の主人公は、チャーリイという知的障害を持った青年である。この物語で描かれるチャーリイの姿は、その知的障害の故に、世界にある苦しみと悲しみとを意図せずに浮き彫りにする。 チャーリイは、ストラウス博士の手術を受ける前は、社会が自分に向けてくる嘲笑や侮蔑に対して、気づくことができなかった。また、自分のせいで、両親が罪悪感や苦悩・恥辱を感じ、互いにいがみ合

  • クリスマス・キャロル (チャールズ・ディケンズ)

    いよいよ明日、元号が平成から令和に変わる。元号に意味はないと考えることもできるが、それでも一つの時代の区切りを表すものなのではないか。するとその移り変わりは、いわば生まれ変わりを連想させずにはおかない。そう考えるといろいろな物語のことが思い浮かぶが、このエントリでは、ディケンズによるクリスマス・キャロルについて書いてみたい。 と言っても、クリスマス・キャロルはあまりにも有名な小説で、今さら私などがブログに書くのも躊躇してしまう。私自身何度も読んだし、映画化も何度もされている。主人公のスクルージは、守銭奴の代名詞として英単語になっているほどだ (https://en.wiktionary.org/wiki/scrooge)。しかし、屋上屋を架すのもブログの醍醐味であり、臆面もなくエントリにしたいと思う。 クリスマス・キャロルは、スクルージという老いた商人の改心の物語である。スクルージは、単純

  • 暖簾 (山崎豊子)

    小説家の処女作にはその作家のすべてが含まれるといったことは,よく言われることだ.もちろんすべての小説家にあてはまることではないけれども,そのように考えてみると,何人かの小説家のことが思い浮かんでくる.ここでは,そうした小説家であろうと私が考える,山崎豊子と,その処女作「暖簾」(のれん)について書いてみたい. 私が初めて山崎豊子の小説を読んだきっかけは,詳しい状況は忘れたが,大学のころ,友人が白い巨塔をすすめてきたことであった.それから山崎の長編はいろいろ読んだが,内容はすっかり忘れてしまった.ちなみに,私には,フジテレビで放映されたドラマの白い巨塔 (Wikipediaの記事) が印象に残っている.最初から最後まで見たテレビドラマはこれが最後で,今後もう二度とないかもしれない.恥ずかしながら,年甲斐もなくぼろぼろ泣いてしまう回もあった.特に,唐沢寿明はいい役者だと思った. 話をもとに戻すと

  • 生涯に一度の夜(レイ・ブラッドベリ)

    1, 2週間ほど前,HTTPのステータスコード451が話題になった. 政府の検閲で消されたページを表わす「451エラー」がスタート - GIGAZINE http://gigazine.net/news/20151222-http-status-code-451/ このステイタスコードは,レイ・ブラッドベリの「華氏451度」に因んでいるという.それで,ブラッドベリの作品について書いてみたくなった.内容的に,クリスマス前にエントリにしたかったのだが,この時期になったのは残念だ(いつものことであるけれども). ブラッドベリは,一言で言えば,SF作家,小説家ということになるだろうか (Wikipedia の記事).普段私があまり読まないジャンルの作家で,私も数冊くらいしか読んだことがないのだが,今回のエントリで対象とする短編集「二人がここにいる不思議」は,ブラッドベリの最高傑作の一つではないかと

  • 二,三羽 ―― 十二,三羽 (泉鏡花)

    昨日,以下のエントリが話題となっていた: スズメたちの会話が聞こえてきそう!スイスの郵便配達員のおじさんが庭で撮影した対話するスズメたち http://karapaia.livedoor.biz/archives/52075488.html このエントリを読んで,泉鏡花の短編「二,三羽 ―― 十二,三羽 」を思い出した.例によって,上記エントリと全く関係ない内容になるのだが,ご容赦されたい. 泉鏡花といえば,「高野聖」「婦系図」「歌行燈」などの作品が有名で,その幻想的な作風で知られている.私はその時代の作家の小説が好きで,泉鏡花についても,有名なものは一度は読んだと思う.残念ながら,私は泉鏡花の熱心な読者ではないけれども,鏡花は好きな作家の一人である.その中でも「二,三羽 ―― 十二,三羽」という小品は好きで,スズメを見たときや,春にツバメが飛んでいるときなど,ふとしたはずみでこの作品のこ

  • 坊っちゃん (夏目漱石)

    先日のエントリ(仰臥漫録 (その2))で夏目漱石の「坊っちゃん」に少しだけふれたこともあり,あらためて読み返してみた.この小説は何度か読んだが,最後に読んでから,かれこれ20年ほどにもなるのではないか.読了後,いろいろと思うことがあったので,ブログの記事にしてみたい. 「坊っちゃん」のストーリーは,単純明快である.「親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている」性格の坊っちゃんは,東京の物理学校卒業後,四国の田舎の(旧制)中学に教師として赴任する.その直情径行な性格ゆえに坊っちゃんは周囲と様々なあつれきを起こすが,同じような性格の山嵐とは意気投合する.ところが山嵐は,教頭である赤シャツにとって目の上のこぶのような存在であり,ついには辞職させられる.赤シャツは帝大卒の文学士でありながら,陋劣で権謀術数を用いるタイプとして描かれており,英語教師であるうらなりの婚約者であるマドンナを我がものとす

  • 手鎖心中 (井上ひさし)

    井上ひさしの作品は,特に大学生のころ熱心に読んだ.井上ひさしについてはいろいろと言われることはあるが,その作品はやはり一流のものであると思う.その作品世界には強くひかれるものがあり,私にとって,単に好きという以上に思い入れのある作家の一人である.今でも屋に行くと,必ずその作品を探すのだけれども,最近は屋の棚に並んでいることが少なく,残念に思っていた.ところが,この手鎖心中は2009年に新装版の文庫となっていたようで,見つけるとすぐに買い,再読してみた.それからまた随分時間がたったのだけれども,ここにエントリを書いてみたいと思う. 手鎖心中は1972年,井上ひさしが38歳のときの作品で,直木賞受賞作でもある.井上ひさしの初期の代表作の一つと言っていいのではないだろうか.今まで何度か読み直したが,その度にいつも感じるのは,ある種はらはらさせられるような,まっすぐさのようなものである.さらに

  • 正義と微笑 (太宰治)

    はてなブックマーク経由で,学問はなんの役に立つのか,ということについて議論が盛り上がっていたのを知った.こういう話題は多くの人の興味をかき立てるようで,多数のブックマークがつけられている.こういった,学問は何の役に立つか,なぜ勉強しなければならないか,ということについては,太宰治の「正義と微笑」という小説を思い出す.やや散漫な内容になってしまうが,今回思ったことを書いてみたい. 正義と微笑は,16歳の少年が日記を付けているというような体裁をとった小説である.この小説の中で,何のために学問・勉強しなければならないかという問いについて,以下のような一節がある.主人公の「僕」たちのクラスに英語を教えている黒田先生が,退職に当たって,生徒らに以下のように話すのである. もう君たちとは逢えねえかも知れないけど,お互いに,これからうんと勉強しよう.勉強というものは,いいものだ.代数や幾何の勉強が,学校

  • キリマンジャロの雪 (ヘミングウェイ)

    翻訳調がどうも好きではないので,私はあまり外国文学を読まない.それでも何人かの外国人作家の作品についてはよく読んだ.ヘミングウェイはその一人である.ただ,今となってはその内容もあまり覚えてはおらず,長編以外で記憶に残っているのは,「インディアンの村」,「フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯」,そして今日エントリにする,「キリマンジャロの雪」くらいである. ヘミングウェイは,おそらくはほとんどの方が,少なくとも名前くらいは聞いたことのある作家だろう.ノーベル文学賞を受賞した,アメリカの代表的な作家であり,「老人と海」などは国語教科書にも採録されている.その作品は何度か映画化され,たとえば「誰が為に鐘は鳴る」のイングリッド・バーグマンは,奇跡のような美しさであった.

  • 山月記 (中島敦)

    屋やネットなどで,泣ける話の特集といったものを定期的に見かける.それなりに需要があるのだろう.そこで,私にとって泣ける話や小説はなんだろうかと考えているうちに,ある小説書評を書いてみたくなった.泣ける話とは趣旨がずれるのだけれども,私には,読む度にいつも一滴(ひとしずく)の大きな涙を感じる小説がある.それが,中島敦の山月記なのである. 山月記は高校の国語教科書などに採録され,多くの方が一度は読んだことがあるのではないだろうか.特に,冒頭の格調高い一文は,人口に膾炙している名文の一つとして数えられるだろう. 隴西(ろうさい)の李徴は博学才穎(さいえい),天宝の末年,若くして名を虎榜(こぼう)に連ね,ついで江南尉に補せられたが,性,狷介,自ら恃むところ頗(すこぶ)る厚く,賤吏に甘んずるを潔しとしなかった. 簡にして要を得た硬質な文体で,山月記は綴られる.だが,その物語は,このような格調高い

  • 桜の樹の下には (梶井基次郎)

    ここ数年ほどは,新しい小説を読んでも感動することがほとんどなくなった.むしろ,専門書を読むほうがはるかに面白く感じるようになっている.自分が感受性の衰えた無機質な人間になっていくようで,さびしいような思いがある. こうしたとき,よく読み返すのが,梶井基次郎と中島敦の作品である.このエントリでは,梶井基次郎の「桜の樹の下には」について書いてみたい. この,わずか3, 4 ページにすぎない小説が,読む者を惹きつけてやまないのは何故だろうか.この作品の冒頭の一文はあまりにも有名である. 桜の樹の下には屍体が埋まっている! この一文を読んだ読者は,すぐに日常的な空間から引き剥がされてしまうことだろう.そして,読者は,桜が「灼熱した生殖の幻覚させる後光」のようなものを撒き散らしながら美しく咲き誇る理由を,直ちに理解することになるのである. お前,この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ,一つ一つ屍体が埋

  • 孤独地獄 (芥川龍之介)

    今日は別のエントリを書こうと思ったのだが,ちょっと気が変わったので. 某ブログのエントリで,「人生は楽しんだ者が勝ち」といった内容を読んだ.確かにその通りであろう.そのことについて反論するつもりはないが,こういったエントリを読むと,芥川龍之介の短編「孤独地獄」のことをときどき思い出す. 「孤独地獄」の主要な登場人物は,津藤と,禅寺の住職禅超の二人である.いずれも幕末の大変な通人で,特に禅超は,出家にもかかわらず酒色をほしいままにしてきたらしい.二人は,吉原の玉屋でひょんなきっかけで知り合ったのだった. ある日,津藤は,禅超の様子がおかしいことに気づく.そのこともあって二人はいつになくしんみりとした話をするのだが,その際禅超は以下のような話をするのである. 仏説によると,地獄にもさまざまあるが,およそまず,根地獄,近辺地獄,孤独地獄の三つに分かつことができるらしい.それも南瞻部洲下過五百踰

  • こころ (夏目漱石)

    今回,別の書評をしようと思ったのだが,つい手に取った夏目漱石の「こころ」を読んでしまい,どうしてもそれについて書きたくなった. この小説は,(今はどうか知らないが) 教科書にも採録され,読書感想文のために読んだ方も多いだろう.漱石の作品の中でも,「坊ちゃん」や「吾輩はである」と並んで,最もよく読まれているものではなかろうか.あまりに有名でありすぎて,いまさら私などがこの小説について書くのもはばかられるほどであるが,やはり一度はこのブログで触れてみたい. 「こころ」は,次の一文で始まる. 私はその人を常に先生と呼んでいた. 私はこの小説を読むたび,まずこの冒頭の一文で,胸が熱くなるような思いがする.この思いは,「先生」を始めとするこの小説の登場人物に対するものに他ならない.最初の部分を読むだけで胸が熱くなるような小説は,あまりないのではないだろうか(他には,宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」も

  • 飢餓海峡 (水上勉) - その2

    (その1からの続き) それから10年の月日がたった.犬飼は,樽見京一郎と名を変え,強盗殺人で得た大金を元手にして,事業家として成功していく.そんなある日,八重は新聞で樽見の記事を見かけた.名前こそ樽見であるが,写真の面影は,どうしても犬飼多吉にしか見えない.八重は,胸を躍らせ,今までの礼を述べるため,樽見に会いに赴く.だが,樽見は,犯罪の露見を恐れ,自らが犬飼であることを認めようとしない.八重は歯をいしばる.このときの八重の心情があまりにも切ない. 「…樽見さん,あたしはあなたにお礼をいいたかっただけなんです.あなたの下さったお金で,畑の在所の父の病気もすっかりなおりましたし,弟たちも一人前になって働けるようになりました.それに,あの『花家』の借金も払って,あたし東京へ出ることもあの時出来たんです.あたしが,いま,こうして,ここへこられたのもみんなあなたの親切からなんです.あたしはひと目

  • 飢餓海峡 (水上勉) - その1

    今まで,自分の好きな作家の作品について,いろいろ書評を書いてきた.しばらくは,これまで取り上げていなかった作家の作品を優先して,書評を書いていきたいと考えている.思ったほどのペースでは書けていないため,いつまでたっても終わらないような気もしてきたのだが,マイペースで続けていきたい.今回は,私の好きな作家である水上勉の代表作,「飢餓海峡」(新潮文庫)について書くことにする. 水上勉は,福井県の若狭湾の奥,郷村岡田に生まれた.10代に京都の禅寺で修行した後還俗し,職業を転々としたが,42歳のとき「雁の寺」で直木賞を受賞,作家としての地位を確立する.その生い立ちから,水上勉の作品は,僻地や寒村,寺などを背景に,人間の宿業やその哀しみを描くものが多い.だが,水上作品には独特の抒情が流れており,それが読む人をひきつけてやまないのではないだろうか. 「飢餓海峡」は,水上勉渾身の大作である.あえて分類

  • 駈込み訴え (太宰治)

    先日,ダ・ヴィンチ・コードに関するエントリを書いた.ダ・ヴィンチ・コードでは,イエス・キリストとマグダラのマリアに対するある説をベースに,物語が展開していく.それで,太宰治の小説「駈込み訴え」を思い出したので,今回はそれについて書いてみたい(ちなみに,「駆込み訴え」ではなく「駈込み訴え」が正しい作品名のようだ(「駈」は常用外漢字).恥ずかしいことに,今までずっと勘違いしていた). この小説は,ある男の堰を切ったような独白から始まる. 申し上げます.申し上げます.旦那さま.あの人は,酷い.酷い.はい.厭な奴です.悪い人です.ああ.我慢ならない.生かして置けねえ. はい,はい.落ちついて申し上げます.あの人を,生かして置いてはなりません.世の中の仇です.はい,何もかも,すっかり,全部,申し上げます.私は,あの人の居所を知っています.すぐに御案内申します.ずたずたに切りさいなんで,殺して下さい.

  • 塔 (福永武彦)

    人からすすめられて面白かった(参照: 美しい星)についていくつか書いてきた(といっても三作品だけだが…).しかし,次に書いてみたいがいま手元にないので,今回は別の(福永武彦「塔」)について書くことにしたい. 「塔」は,福永武彦の初期短編集である.私が持っているものは河出文庫であるが,いま調べてみるとやはり品切・重版未定となっているようだ.非常に残念に思うとともに,入手しにくい書評ばかり書くことに恐縮している. 書には,「塔」「雨」「めたもるふぉおず」「河」「遠方のパトス」「時計」「水中花」の計7作品が収められている.最初の短編「塔」が発表されたのは,終戦直後の1946年,福永が28歳のころであり,戦争の影を残す作品が多い.書は,初期の短編集ではあるものの,後期のあの精緻につむぎ上げられた,完成度の高い福永武彦の世界を十分に窺い知ることができる.いずれの作品にも思い入れがあり,