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猫猫先生に関するmshkhのブックマーク (14)

  • 芥川賞卒業宣言をした小谷野敦を、芥川賞の選考委員にすればいいのに - エキサイトニュース

    小谷野敦さんが「の雑誌」2015年5月号に『芥川賞卒業宣言』を寄稿しました。『もてない男』(ちくま文庫、1999年)がヒットして批評家として一躍有名になり、のちに小説家として芥川賞に二度もノミネートされた(2011年「母子寮前」、2014年「ヌエのいた家」)、あの小谷野敦さんが、です。敦は「あつし」と読みます。「とん」と読ませていた時期もありますが、今はまた「あつし」です。 近年、批評家を兼ねた小説家として、これほど精力的に活動している書き手を私はほかに知りません。東浩紀さんが批評家でありながら三島由紀夫賞を受賞しているけれども、小谷野さんはもともと専門分野が比較文学。『久米正雄伝』『川端康成伝』『江藤淳と大江健三郎』(いずれも中央公論新社)といった、作家の評伝も続々と刊行している「文学研究のプロ」です。 ネット炎上も執筆活動の肥やし 「小谷野敦ってネットでよく揉めてる人?」程度の認識し

    芥川賞卒業宣言をした小谷野敦を、芥川賞の選考委員にすればいいのに - エキサイトニュース
    mshkh
    mshkh 2015/06/18
    うひー,これは熱い.
  • 具体的に言え - jun-jun1965の日記

    私の『日文化論のインチキ』を池田信夫は「最もインチキな日文化論」と言ったのであるが、私が「どこがインチキなのか」と訊いたら、「インチキでないところがない」と言ったまま逃げた。 だいたい、「このはつくり話のオンパレード」とか、「事実誤認が多い」とか言って、どこがそうなのか具体的にあげないやつというのは、人間が不真面目であり不誠実であり、自分はいい加減なことを言っていますと自白しているようなものである。 矢崎泰久が『口きかん』で、川端康成の『東京の人』は佐藤碧子が代作した、と書いているが、矢崎の著作に対して「つくり話のオンパレード」と言ったのが佐藤碧子で、しかしどこがそうなのか具体的には書かれていないし、しかもこれは佐藤の文章ですらなく、猪瀬直樹が「佐藤がこう言っている」と書いているだけである。佐藤はもう故人だが、その話を聞いた猪瀬は、矢崎に対して、どこが具体的につくり話なのか明らかにす

    具体的に言え - jun-jun1965の日記
  • 2015-01-16 引退の辯 - 猫を償うに猫をもってせよ

    芥川賞の選考が済んだ。私はその結果に不満であるのみか、小川洋子の談話によって報道された講評がまったく的外れであることに失望した。もともと、そんな賞ではないか、東浩紀とお前は同じか、と言われれば一言もない。 選考委員のそれぞれがどうであったかは知らない。だがその全員を私が批判したことがある、というのは、やはり大きかったのだろう。にしても、純文学の賞であるはずなのに、なぜ通俗作家ばかりが選考委員をしているのだろう。黒井千次や島田雅彦など、受賞してなくても選考委員になれるなら、なぜ純文学一筋で来た津島佑子や金井美恵子がいないのか。 この結果を見る時、個別にはどうかは知らないが、総体としてこれら選考委員は、文学が分かっていない連中だと判断せざるをえないし、私の候補作のほうが、これら選考委員の書く小説よりも優れた純文学だと信じている。 三島由紀夫が芥川賞の選考委員になった時、議論が公正なのに驚いた、

    2015-01-16 引退の辯 - 猫を償うに猫をもってせよ
  • ■ - jun-jun1965の日記

    http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20140521 これを書いたあと、李建志君からメールが来た。全文引用しろ、とあるので全文引用する。 小谷野さんへ 今日、ブログを読ませていただきました。 一つだけ訂正させて下さい。 「日文化はみんな朝鮮から来た」ということをいった、というのは、 明らかに小谷野さんの記憶違いです。 大学院に入った時には、様々な政治運動を経て、 朝鮮民族主義と完全に縁を切ったあとでした。 僕が言ったとしたら、「韓国人はみんな、日文化は朝鮮半島から来たといっているんです」(ここから先は言葉にはしないでしょうが、それっておかしいですよね、というニュアンスでしゃべることはあります)だけです。 私は20歳の頃までは激しいナショナリストでした、もちろん朝鮮の。 それから、北朝鮮組織での粛正、さらに韓国からの排除を経験し、 民族とは闘うことに決めた

    ■ - jun-jun1965の日記
    mshkh
    mshkh 2014/05/28
    いちおうブクマ
  • ■ - jun-jun1965の日記

    あれはいつのことでどこのことだったか、二十代のことではないかと思うが、知らない同年輩の人が大勢いるところであった。ふと私を認めた知らない男が、ぱっと顔を輝かせたのである。ん? と思ったが、知らない人なのでそのまま通り過ぎた。人違いだったのではないかと思うが、ぱっと顔を輝かせるほど親しい人を見間違えたりするだろうか。 だが、あとで思ったのだが、私が、私であることを認めて、私の知っている人が、あそこまで顔を輝かせるのは、見たことがない。世の中には、人からああいう風に顔を輝かせられて生きている人も大勢いるのだろうなと思って寂しくなった。 また、大学院生の時のことである。院生室にいたら、先輩の男性某氏という、あまり姿を見せない人がふと入ってきた。すると、座っていた私の一つ下の女子院生が、ぱっと顔を輝かせて、「あっ、××さん!」と言ったのだが、それは某氏とこの女子が興味関心を同じくしていたということ

    ■ - jun-jun1965の日記
    mshkh
    mshkh 2013/03/10
    猫猫先生のこういうエントリはいいと思う
  • http://twitter.com/tonton1965/status/24368637093

    mshkh
    mshkh 2010/09/13
    RTするか迷ったが,ブクマネタかな・・・/訂正あり.500冊じゃなくて230冊くらいとか.→ http://bit.ly/b1qBya
  • 借金をする奴  - jun-jun1965の日記

    俺は借金はしない主義だ。だから家でもマンションでもローンなんか組まない。毎月借家の家賃を払うのと同じですよ、などと言うが、同じじゃねえよ。途中で払えなくなったら元と同じ値段で売れるのかよ、嘘つくなよ。 どうやら世の中には、借金込みで資産を考える奴がいるらしく、借金があって当然だと思っていたりするが、冗談じゃねえ。借金なんかする奴は俺からしたら、返せなくなったら死にゃあいいんだよ、ってな人種でしかない。なに、事業をやるには借入金なしではできない? ああ、だからそういう事業をやる奴は、いつでも自殺する覚悟してやってるんだろう。 おっと、せっせせっせと働いているのに金がない、誰かが病気になってカネがいる、ってな借金はそりゃあ別だ。 なんでこんなことを書いているかというと、ドラマ「ハゲタカ」の第一回を観たからだ。なんだこりゃ? 銀行から融資を断られて自殺しただ? 別に貧乏だったわけじゃないよな、立

    借金をする奴  - jun-jun1965の日記
    mshkh
    mshkh 2010/02/24
    今日はいい文章によく出会うな(「借金をする奴」のところじゃなくて)
  • 蓮實先生について - jun-jun1965の日記

    『私小説のすすめ』のアマゾンのレビューでモワノンプリュ君が、私が蓮實重彦を快く思っているはずはないが、と書いている。いえ、快く思っていますよ。だって煙草の吸殻をわざわざ千代田区まで捨てに行く人ですから。 だいたい蓮實先生には『私小説を読む』って著書もある。マクシム=デュ=カンの伝記だってある。テマティック批評といったって、蓮實先生の『大江健三郎論』とか、ものすごく面白いのであって、小森陽一のような政治活動をしたあげくバカの一つ覚えみたいに漱石論を書くわけじゃないし、石原千秋のように、気でテクスト論を擁護したあげくにつまらないことをぐじゃぐじゃ言うわけでもない。村上春樹だって褒めていない。いったいどうして、蓮實先生を快く思わない必要があるのだろう。 テクスト論だろうが何だろうが、面白ければよいわけで、仮に間違っていたらまずいが、特段蓮實先生が何かを間違えたわけではない。何かこう図式的に当て

    蓮實先生について - jun-jun1965の日記
    mshkh
    mshkh 2009/10/25
    蓮實先生はすごい
  • 死の絶対性 - jun-jun1965の日記

    (下書きにはタイトルの欄があるのだが、アップした時にタイトルにならないから、書いておいても無駄だと気づいた) http://blog.goo.ne.jp/ayakashi1154/e/195334f067cded01ed5ca970d9cce58b 田中貴子が切れているからご注意、と稲賀さんから葉書をもらったところだった。たぶん私のことだろう。(××さんだそうだが、まあそれはいい) 面識もない人にいちいち「亡くなった」などと書く偽善が、私は嫌いである。むろん、その作家が好きだったとかいうならいいけれど、どうせその人のことを碌に知らないニュースキャスターあたりが「ご冥福をお祈りします」などと言うのを聞くとムカムカする(まあ最近はニュース番組など見ないけれど)。 私が、他人の死をめぐる偽善ときっぱり手を切ったある事件については、「ミゼラブル・ハイスクール1978」に書いてある(なお、これは単行

    死の絶対性 - jun-jun1965の日記
    mshkh
    mshkh 2009/06/28
    母親のくだりが泣ける
  • 連合赤軍事件はひたすら愚劣である - jun-jun1965の日記

    私は、連合赤軍あさま山荘事件について、オウム真理教の地下鉄サリン事件と同様の、あるいは三島由紀夫の自衛隊乱入割腹事件と同様の、愚劣な、無意味な事件だとしか思っていない。ただし、フランス革命についてはそう思っていない。これらが愚劣なのは、結局は社会全体や国家の変革などまったく成し遂げられず、単に人が集団を作って何かを信奉して蹉跌した際の、行き場を失った精神エネルギーが起こした病的な事件だからである。のみならず私はドストエフスキーの『悪霊』についても、何の関心もない。 連合赤軍事件については、高橋和巳の「内ゲバの論理」を一読すれば用は足りる。人間はどうやら、集団を作ると狂気に陥るものらしい。むろん、孤独であることによって陥る狂気もあるが、私は中庸を尊ぶから、いずれもよしとしない。集団がもたらす狂気は、単に狂気なのであって、私はあさま山荘事件の連中に何一つ共感するところはない。人殺しども、と思う

    連合赤軍事件はひたすら愚劣である - jun-jun1965の日記
  • 読んだけどつまらなかったよ - jun-jun1965の日記

    ちょいと前の日経新聞で佐々木敦とかいう人が、今の小説はダメだと言う人がいるが、読まずに言うのはおかしい、と言っていたのだが(ただし取材記事)、うーん具体的にどこのどなたさんが、読まずにそういうことを言っているのか、ちと教えて欲しいのであるが、別に私は今の小説がダメだとは言っていないし読んでもいるのだが、これは佐々木なるお方が推奨する古川日出男とかを読まねばならんのだろうと思って読み始めたが、三島賞受賞作は実につまらなかった。この人は通俗作家らしいので、そっちの代表作らしいアラビアなんとかの「大仰文体」に、またかとうんざりさせられた。 「大仰文体」は擬古典的なところもあるので、起源を探れば、中世の軍記物語や浄瑠璃にまで遡るし、歴史小説や大河ドラマ、ファンタジーやSFにも淵源するだろうが、私がはっきり最近の大仰文体の始祖と思えるのは、富野喜幸(由悠季)で、1979年のノベライゼーション『機動戦

    読んだけどつまらなかったよ - jun-jun1965の日記
    mshkh
    mshkh 2008/09/05
    「大仰文体」最近の小説の傾向にはついていけないものを感じますね...まあ,頭が固いせいかもしれんけど
  • ■ - jun-jun1965の日記

    「マックス・ヴェーバー論争」について以前ここに書いた文章を、まとめを行っている北大の橋努氏に送ったところ、掲載されました。 http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Japanese%20Index%20Max%20Weber%20Debate.htm さて、久しぶりに新潟大学の三浦淳(あつし)(三浦あつしって人は多いね)のサイトを見たら、「一限の授業を持たない専任教員は給料を一割減らすべし」と書いてあった。そういう発想にはまったく賛成である。まあ私が専任だったら(永遠の反実仮想)、一限などやるのは嫌だから一割削減してもらう。ところが世間というのは、こういう取引をものすごく嫌がるのだが、これは日だけの現象だろうか。 たとえば教授でも、研究がしたい人、研究はもう能力がないから事務がしたい人、政治がしたい人などいるから、「研究教授」と「事務教授」に分け

    ■ - jun-jun1965の日記
    mshkh
    mshkh 2008/08/09
    「研究教授」と「事務教授」←私も似たようなこと考えてて,大賛成です.研究やる教授,教育だけやる教授に分ければいいと思う.学生も,修士までは,研究者コースと技術者コースみたいに分けた方がいいと思う.
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    仲春はゆっくりと通り過ぎる 寝て起きたら3月である。今日の東京の最高気温は20度を超えている。正月のインフルエンザが完治して、これでやっと健康で文化的な年度を始められるぞ、と意気込んだのも束の間、今度は原因不明の高熱を出して1週間寝込んだ。 脳がグツグツ煮える音が聴こえそうなほど…

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  • 会いたがる人 - jun-jun1965の日記

    どうも世の中には「会って話したい」と言う人がいる。これが、美女が「プライベートでお話したいわ」とかいうのであれば、あるいは親しい編集者が、今度事でも、とかいうのであればいいが、仕事その他の話で、それも、単行を書くので初対面で相談するとか、連載をするのでとか、それならいいのだが、そうではなくて、電話で済むところを、「会って話したい」と言い募る人がいて、これはだいたい「脅す」か「泣き落とす」か「情に流す」のどれかが目的である。実際、電話で話して埒の明かないものが、会って解決したためしなどなくて、単にごまかされて禍根を残すだけである。 それでひとつ、まだ前の結婚していて、大学に再就職するつもりであちこち公募に出していた頃、某大学教授が、人を介して、会いたいと言ってきた。私は、別にその人のことをよくは知らなかったが、あわよくば就職の話でもと思って、某所居酒屋へ出かけたが、別段そういう話でも

    会いたがる人 - jun-jun1965の日記
    mshkh
    mshkh 2007/10/16
    これは何か心にしみるエントリ
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