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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (121)

  • 百目鬼恭三郎「乱読すれば良書に当たる」 - jun-jun1965の日記

    百目鬼恭三郎という人は、丸谷才一の新潟高校から東大英文科までの同級生で、朝日新聞の記者として、丸谷の『裏声で歌へ君が代』が出た時一面で宣伝したのを江藤淳に非難されたのと、その名前の恐ろしげなので有名だが、「風」という変名で書いた『風の書評』の正続を前に読んで、なかなか博識な人だと感心したことがある。 だが、生前最後の著書となった「乱読すれば良書に当たる」は、『旅』や『Voice』などに載せた古典紹介エッセイを集めたものだが、読んでいて、博識ぶりには驚くが、この人とは合わないなあ、とつくづく感じた。 たとえば、シェイクスピアが面白くない、面白かったのはソネッツだけだとか無茶なことを言うのである。百目鬼は『捜神記』とか『耳袋』に出てくる怪談・奇談が好きで、『奇談の時代』という著書でエッセイストクラブ賞をとっているのだが、私も怪談・奇談は嫌いではないが、シェイクスピアのほうが好きなので、こういう

    mshkh
    mshkh 2024/02/03
    こっそり言うと、実は私は百目鬼恭三郎の本は好きなんですよね(苦笑)。そういえば井上ひさしも百目鬼(というか「風」)を批判してたな
  • 「大江健三郎がいた日本」の私     小谷野敦(作家・比較文学者) - jun-jun1965の日記

    (時事通信配信) 大江健三郎氏が亡くなられた。かつて谷崎潤一郎が死んだ時、三島由紀夫は、「谷崎朝時代」が終わったと評したが、私には、その少し前から始まっていた「大江朝時代」が今終わったと言いたいところである。大江氏は、東大五月祭賞を受賞し、「東京大学新聞」に発表された「奇妙な仕事」を、文芸評論家の平野謙が文芸時評で取り上げることによって、一躍有望な新人としてデビューし、ほどなく「飼育」で芥川賞を受賞したが、私には「奇妙な仕事」こそが初期大江において最も斬新な作品だと感じられる。当時、東大仏文科に在学中で、卒業とともにいきなり多忙な人気作家生活に入った大江氏には、苦しい時期が断続的に襲ってきた。高校時代からの年長の親友だった伊丹十三の妹と結婚し、精神的な安定をみたのもつかの間、浅沼稲次郎暗殺を題材にした「政治少年死す」を発表して右翼の脅迫に遭い、さらに脳に障碍のある男児・光が生まれ、彼ととも

    「大江健三郎がいた日本」の私     小谷野敦(作家・比較文学者) - jun-jun1965の日記
    mshkh
    mshkh 2023/03/24
    「作家は、ある程度地位ができると、勉強しなくなる人が少なくないが、中年以降になっても勉強を続けたのは、谷崎潤一郎と大江健三郎氏である」私が大江健三郎(と谷崎潤一郎)を尊敬するのはこの点なんだよな
  • 音楽には物語がある(36)戸川純 「中央公論」12月号 - jun-jun1965の日記

    つらつら考えると、私の大学二、三年時分の生活というのは、実に情けない空虚なものだった。つきあっている女はいないし、大学の授業は面白くないし、歌舞伎を中心に演劇を観に行ったり、テレビで録画した映画を観たりはしていたがそれも孤独で、小説が書けなかったのも無理がないと思う。実際、若くして小説を書く人というのは、無頼でももっと充実した生活をしているものだ。 当時松田聖子や中森明菜がはやっていたが、私の音楽趣味はクラシックで、デヴィッド・ボウイとかにもさしたる興味はなく、同世代の人間からも浮いていて、最近同年代のおじさんはロックが、とか言われても、自分は違うなあと寂しく思うばかりである。 そんな大学時代、戸川純だけは、ちょっとした機縁から割と欠かさず聴いていたのだが、いま考えるとこの戸川純好きは、唐十郎が好きだったのと同じアングラ趣味だったらしい。 最近新装増補版が出た『戸川純全歌詞解説集』(pヴ

    音楽には物語がある(36)戸川純 「中央公論」12月号 - jun-jun1965の日記
    mshkh
    mshkh 2022/03/22
    久しぶりに、自分の学部時代のことを思い出した。我ながら、カッコ悪かったな(苦笑)
  • 演劇評論家は嫌われる? - jun-jun1965の日記

    歌舞伎評論家・研究者の渡辺保のウィキペディアには「「田舎の人は演劇より北島三郎のほうが好きなんですよ」と差別発言をしたことがある」と書いてあった。今では「差別」は削除されている。 大学で演劇を研究して、こんなものは売れないと覚悟している人はいいのだが、一般向けに演劇のを出したりして、その売れなさに愕然としたりすると、日人は演劇に足を運ばない、関心がないという怒りにとらえられ、みなもっと演劇に行け、と発言して、一般庶民から嫌われることがある。 映画ができ、さらにテレビができて、廉価に演劇の類似物は楽しめるようになったのだから、一般庶民が高い演劇なんか行くわけないし、そんな常設劇場があるのは東京や大阪などの都市部だけである。それを、大学の先生をしたり評論家をしたりして、時には招待券なんかもらって演劇に行っている者から「演劇に行け」と言われたらまあムッとするわな。 もちろん彼らは、生身の演劇

    演劇評論家は嫌われる? - jun-jun1965の日記
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    mshkh 2021/09/28
    関係ないけど、私も歌舞伎を見に行って「成田屋!」とか言ってみたい気はするけど、掛け声の細かい作法とかあるんだろうなと思うと、怖くて声を掛けられない(笑)。そもそも歌舞伎はよく知らないし
  • 休み時間に孤立する - jun-jun1965の日記

    パーティではっと気が付くと孤立しているというのは吾ひでおも書いていたが、私も割とそういうことはあって、学会の懇親会などでよくあったのだが、それより怖かったのは、学会で発表と発表の間の時間の孤立で、はっと気が付くと、みな誰かと立ち話をしているのだ。私だけそういう相手がいなくて、しかし彼らは無駄話をしているのではなくて何か用事で話しているように見えるので、なぜ私だけ用事がないのだろうと焦る。 今は学会とか行かなくなったからそういうことはなくなったが、人がしめきりに追われているのをツイッターで見たりすると、ああ大変だ自分はしめきりがない、と焦るから、基的に社会から必要とされない人材なんだろう。

    休み時間に孤立する - jun-jun1965の日記
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    mshkh 2021/07/14
  • 音楽には物語がある(27)ミュージカルの作曲家(2)「中央公論」2021年3月 - jun-jun1965の日記

    「オクラホマ!」や「ショウ・ボート」は、映画にもなっている。「オクラホマ!」は一九五五年、フレッド・ジンネマン監督、「ショウ・ボート」は一九三六年と一九五一年に二度映画化されており、私は二度目のジョージ・シドニー監督のほうを観た。しかし、ミュージカルの古典という歴史的な意義以上のものはなく、今観ても面白くはない。 「サウンド・オブ・ミュージック」や「マイ・フェア・レディ」となると、今観ても面白いミュージカルということになるだろう。日で独自にロングランしているものとして松幸四郎(現白鸚)の「ラ・マンチャの男」があるが、理解に苦しむのは「屋根の上のヴァイオリン弾き」である。これはショーレム・アレイヘムというユダヤ系作家の「牛乳屋テヴィエ」を原作として一九六四年にジョゼフ・シュタインの脚、ジェリー・ボックの音楽で初演され、七二年までロングラン公演した。七一年にはノーマン・ジュイソン監督で映

    音楽には物語がある(27)ミュージカルの作曲家(2)「中央公論」2021年3月 - jun-jun1965の日記
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    mshkh 2021/04/26
    「ミュージカルもいいが原作も読んでほしい、と思うのは『レ・ミゼラブル』に尽きる」心の底から賛成です
  • 音楽には物語がある(17)国民歌手・中島みゆき(3) 中央公論2020年4月 - jun-jun1965の日記

    「大器晩成」という言葉があるが、これは三十代、四十代になっても芽が出ないような人を慰めるための言葉のような気もする。たとえば古今亭志ん朝が真打に昇進した時の落語を聴いたことがあるが、最初から上手いのである。立川談志でも春風亭小朝でも、最初から上手かった。まあ三遊亭圓生などは、はじめは受けなかったと言っていたから晩成型かもしれないし、柳家小三治は最初はあまり上手くなかった。どちらもある、でいいのだが、中島みゆきは、今にして思うと最初から大器だったのだな、と思わせられる歌手である。 ところが、ほかにもそういう人はいるかもしれないが、幸福な恋愛とそのヴァリエーションを歌う松任谷由実に比べて、不幸な恋愛を歌う中島みゆきは、いつまでもマイナーな人間たちの側にいるはずだと何となく思っていて、今世紀に入ってからの、「国民歌手」への歩みを、裏切られたように感じる、そんな気持ちが私にもある。そして振り返って

    音楽には物語がある(17)国民歌手・中島みゆき(3) 中央公論2020年4月 - jun-jun1965の日記
    mshkh
    mshkh 2020/10/24
    大器晩成は…、たまにはあるだろうけど、普通は栴檀は双葉より芳しだよなあ。あと、中島みゆきは私も複雑な思いを持ってます
  • 「山崎正和オーラルヒストリー」書評(週刊朝日) - jun-jun1965の日記

    七十歳を過ぎたような学者の知り合いには、私はことあるごとに、自伝を書いてくださいと言うことにしている。学者の自伝は最近好きでだいぶ読んだが、何といっても学問的にも、時代の雰囲気を知る史料としても面白い。とはいえ、自伝であれ伝記であれ、「まんじゅう」はどうもかたわら痛い。つまりキレイゴトに満ちた、誰それ先生は偉かった式のものである。 山崎正和は、自分で書くのではなく、数人の信頼する後輩学者によるインタビュー形式で、自伝をものしたと言えるだろう。パッと見たところ、これもキレイゴトに見えるかもしれない。ところがどっこい、山崎はそんな人ではなかった。 十年くらい前に何回かに分けて採録され、内部ではすでに出ていたのが、やっと公刊されたらしいが、裏話が実に面白い。特に、山崎の論敵となった江藤淳が、大磯で開かれた吉田茂をめぐるシンポジウムに来た話はすごい。かねて加藤典洋が、この時の吉田茂批判以来、江

    「山崎正和オーラルヒストリー」書評(週刊朝日) - jun-jun1965の日記
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    mshkh 2020/08/24
    面白そう。Kindleでは出てないみたい
  • 凍雲篩雪 - jun-jun1965の日記

    凍雲篩雪(77)ムーミンの謎 一、室生犀星の『青い猿』という中編小説がある。昭和六年に「都新聞」に連載され、単行になったが、戦後の犀星全集には入っていない。国会図書館デジタルで読める。芥川龍之介を描いたもののようだが、読んでいくと芥川が二人いるようなのだ。はじめに登場する松平隼太という詩人は、ハル子というがありながら、篠崎礼子という人の愛人がいて、これに悩まされている。これは秀しげ子だろう。ところがあとになると、秋川龍之という作家も出て来て、これが最後に自殺する。するとこちらも芥川なのだ。二瓶浩明の「『青い猿』論 室生犀星と芥川龍之介」(『室生犀星研究』二〇〇六)という論文があり、これ以外にこの作品を扱った論文は見つからないのだが、二瓶は、松平は犀星自身であり、「室生犀星は秀しげ子を、秋川=芥川ではなく、松平=犀星と関係のあった女として、デタラメの物語を作り上げようとしている。おそら

    凍雲篩雪 - jun-jun1965の日記
  • 大江健三郎と蓮實重彦と金井美恵子 - jun-jun1965の日記

    講談社から刊行が始まる『大江健三郎全小説』を記念して、『群像』で蓮實重彦と筒井康隆が対談したようだが、大江は『大江健三郎論』以来蓮實を嫌っているようで、大江と柄谷は対談しているが蓮實とはしていないのだから妙なものだ。いっぽう蓮實を今なお崇敬しているように見える糸圭秀実は筒井の宿敵である。 『表層批評宣言』であったか、大江が雑誌を見ていて蓮實の名を見つけるとゴミ箱へ放り込むという文章を見た蓮實が、その放り込む動作が描く放物線の美しさをなどと人をった文章で書いていて、私は若いころどこかでこれのまねをしたことがあるような気がするのだが、それは提出したレポートだったかもしれない。 ところが金井美恵子の『カストロの尻』の最後のほうに、藤枝静男について書いた随筆があってその注(298p)に、藤枝が中村光夫に浜松で講演を頼んだら土地の文学青年が中村に愚劣な文学論を話しかけ続け、タクシーにまで乗り込み、

    大江健三郎と蓮實重彦と金井美恵子 - jun-jun1965の日記
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    mshkh 2018/06/02
    群像劇とでもいうべきか
  • 凍雲篩雪 - jun-jun1965の日記

    蓮實重彦と学問 『ユリイカ』の臨時増刊号は蓮實重彦特集だった。最近はサブカルチャー雑誌めいてきた同誌には珍しいことで、昔は『國文學 解釈と教材の研究』あたりが、江藤淳や吉隆明、柄谷行人や蓮實の特集を組んだものだが、今や文藝評論家的な人物で特集を組む雑誌もないし、この人たちより若い文藝評論家で組んでも原稿を依頼する相手がいないだろう。さて『ユリイカ』では大杉重男が、蓮實はなぜ博士論文にこだわるのか、というのを書いている。少し前に出た『文學界』での渡部直己によるインタビューで、日の大学の専任教員で博士号のない者がいることを痛罵していたからで、渡部が、自分も博士号はない、と言うと、だが『日小説技術史』というそれに匹敵する業績はあるとフォローしていた。大杉にもそれに匹敵する著作はありそうだが、やはり博士号がなくて大学教授であることにひっかかりを感じたのか、それなら夏目漱石だって博士号を辞退し

    凍雲篩雪 - jun-jun1965の日記
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    mshkh 2017/11/21
    「博士号があるのに大学の専任になれない者がおり、博士号もなければろくな業績もない文学研究者が東大教授などの地位にある」
  • 「健康ファシズム」の黒幕、日野原重明なにが偉いのか - jun-jun1965の日記

    小谷野敦 聖路加国際病院理事長・日野原重明は、二〇一一年には一〇〇歳になる。私はこの人物について、特に何とも思っていなかった。二〇〇五年には文化勲章を受章しているが、文化勲章というのは歳をとると貰いやすくなるので、高齢をめでて受章したのだろう、くらいに思っていた。しかし、考えてみると、ノーベル賞をとったわけでもないし、いったい医学上どういう貢献があってのことなのか。これまで、医者で文化勲章をとったのは、三浦謹之助、黒川利雄、沖中重雄などがいるが、三浦は、大正天皇の診察をしたことで貰ったらしく、黒川、沖中には、それなりの病理学上の業績があり、いずれも日学士院会員である。しかし日野原は学士院会員ではないし、これまた皇室の主治医だったために貰ったようである。 それだけでなく日野原は、一九八五年、つまり七十歳を過ぎてから出した『老いを創める』以下の、年々増え続ける一般向けの著作に人気がある、ない

    「健康ファシズム」の黒幕、日野原重明なにが偉いのか - jun-jun1965の日記
    mshkh
    mshkh 2017/07/19
    『新潮45』2011年2月の記事.猫猫先生によるぶった切り.個人的には,色々と同意するところも多い
  • 夜よゆるやかに歩め - jun-jun1965の日記

    政治少年死す」も入っている『大江健三郎全小説』が出るそうだが、どういうわけか、『青年の汚名』が入っていない。あと大江最大の封印作『夜よゆるやかに歩め』は当然のように入っていない。 これは1959年、デビューしたての大江が『婦人公論』に一年間連載した「通俗恋愛小説」で、中央公論社から出たあと、講談社ロマン・ブックスで1963年に出ているが、その後は封印された。 主人公の康男は大学の仏文科の学生で、新進音楽家の従兄がおり、そので女優の矢代節子というのがヒロインである。節子は30歳になる。従兄がパリへ行ってしまったあと、康男と節子は次第に親しくなって、とうとう関係を結んでしまい、節子は妊娠するのだが、パリの従兄とは離婚して節子と結婚し、子供を育てようと康男が明るく決意したあとで、節子が妊娠中絶してしまい、康男は怒って関係を断つ。 従兄にはSという愛人がいたが、節子のほうが先に浮気をした、と聞

    夜よゆるやかに歩め - jun-jun1965の日記
  • ここまでバカとは思わなかった - jun-jun1965の日記

    https://wan.or.jp/article/show/7237 先般来問題になっている城西大学前理事長・水田宗子の公金費消事件だが、こんな声明を出したバカどもがいる。中には私の知っている人も多く、特に信頼していた人というのはいないのだが、ここまでバカとは思わなかった、というのが正直なところである。 自民党の派閥領袖だった父の作った大学で、母を理事長に、自分が学長になり、その後母が名誉理事長、自分が理事長になるというような人間が、そんな清廉潔白であるはずがない、というのが世間的常識だろう。中には浮世の義理でこんなところへ名前を出した人もいるかもしれないが気の毒なことだ。 http://blog.goo.ne.jp/takane1939 もしやっぱり水田が悪かったとなった時、この声明を出した連中はなんか責任をとるのだろうか。 (小谷野敦)

    ここまでバカとは思わなかった - jun-jun1965の日記
  • 凍雲篩雪 - jun-jun1965の日記

    豊臣秀次と和泉式部 呉座勇一の『応仁の乱』(中公新書)が、堅実な歴史書にしては異例のベストセラーになっているという。かつて中公新書では、神坂次郎の『元禄御畳奉行の日記』(一九八四)が売れたし、磯田道史『武士の家計簿』(新潮新書、二〇〇三)も売れたが、これらが、武士の記録を現代のサラリーマンに重ね合わせるものだったのに対して、『応仁の乱』は異色だ。最近、歴史にひそかな人気があり、吉川弘文館や山川出版社で出すような歴史書も文学研究書よりは売れているようだ。 日史研究では、古代史に関する推理もの的なものが人気があったのだが、これらはそれとも違う。知識的読者の間には、「史料」への関心が高まっている。かつて歴史は、『太閤記』などの歴史記録を基礎にしていたが、今では、古文書、古記録(貴族の日記など)を一次史料として重んじる。一般読者はそういう一次史料の解読やアクセスがままならないため、歴史学者に対し

    凍雲篩雪 - jun-jun1965の日記
  • ■ - jun-jun1965の日記

    http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1262079657 太宰治の「緒方氏を殺した者」の「緒方氏」が誰だか分からなくて訊いたら答えるほうも分からなかったという「知恵遅れ」の領発揮である。 「僕は、はじめ尾形亀之助を考えました。しかし、そうなると、太宰の『もの思う葦』とは時間差が出てきます。」の『もの思う葦』との時間差って何のことだ。『もの思う葦』などという単行は太宰の生前には出ていない。もしかして1935年に『日浪曼派』に連載された時のことを言っているのか? この文章は、1938年8月『日浪曼派』に載った緒方隆士の追悼文の一つである。 https://kotobank.jp/word/%E7%B7%92%E6%96%B9+%E9%9A%86%E5%A3%AB-1641058 全集を見れば書いてあることだが

    ■ - jun-jun1965の日記
  • 文学的被害妄想 - jun-jun1965の日記

    川口則弘さんから新刊『ワタクシ、直木賞のオタクです。』(バジリコ)が届いた。 すでにブログに書いたもの、と聞いてはいたが、やはり読んでないものもあり、読んでいると、有馬頼義の、直木賞をとったあと一年近く注文がなくて苦しんだ、という述懐が間違い(嘘)であるという記述があり、おおっ、出ました文学的被害妄想、と思ったのである。 『川端康成伝』で紹介したが、林芙美子が死んだあとのしのぶ座談会で、林が、『放浪記』で世に出たあと、『新潮』に書かせて貰うまで二十年かかったと言っていた、という話が出ている。だが、実際にはほどなく書いていたし、誌名の間違いかと思ったが、林は最初から『中央公論』『改造』その他主要な雑誌には寄稿しているのである。 また『江藤淳と大江健三郎』に書いたが、江藤淳は『夏目漱石』を出したあと、中村光夫に会って、「注文はあるかい」と訊かれて、「いえ、全然ありません」と答え、中村が「そうだ

    文学的被害妄想 - jun-jun1965の日記
    mshkh
    mshkh 2016/02/19
    面白い.単に作家がぼけてるからってことでもなさそうで,こういう傾向はあるのかも
  • ■ - jun-jun1965の日記

    最近は、作家・文筆家の生計が話題になることも多く、研究書や論文もいくつか出ているが、児童文学作家のほうはよく分からない。 『日児童文学』1992年11月号が「児童文学の『経済学』」を特集しており、何点かはこの点に触れた原稿が載っている。 もうそれから23年もたっているから状況は変わっているだろうが、私の感触では、児童文学は絵などで百刷を越えるようなロングセラーがあり、那須正幹のような「売れる通俗児童文学」もある一方で、これでよく出してもらえるなというような、知られていない作家がいたりする。 偕成社、ポプラ社、あかね書房、岩崎書店、金の星社など児童書専門に近い出版社もあり、新書判のラノベ風、ないしヤングアダルトものも多いが、ここでも純文学的児童文学はもちろん売れてはいない。かつては児童文学純文学はおおむね左翼文学で、これは日教組が読書感想文指定図書として売るという伝家の宝刀を握っていたが

    ■ - jun-jun1965の日記
    mshkh
    mshkh 2015/12/09
    文中で言及があるけど,図書館の購入が大きいのかと思ってたけど,最近はそうでないのかな
  • 博士論文の文学者 - jun-jun1965の日記

    西晃二先生の『落語「死神」の世界』は東大唯一の落語に関する博士論文である。西先生はフランス文学の博士号はカナダのラヴァル大学でとっている。 それで、「落語」をキーワードにしてNDLで調べたら、博士論文は四つあった(全国で)。そこでほかの文学者はどの程度博士論文があるのか調べた。まあ留学生のものも多いのだが、以下の通りである。 源氏物語 215 漱石 80 平家物語 47 芥川龍之介 40 太宰治 33 谷崎潤一郎 31 鴎外 30 川端康成 24 宮澤賢治 23 西鶴 22 樋口一葉 21 三島由紀夫 20 上田秋成 18 島崎藤村 18 大江健三郎 18 芭蕉 17 透谷 15 鏡花 15 志賀直哉 15 横光利一 15 安部公房 12 村上春樹 12 太平記 11 子規 11 徒然草 10 遠藤周作 10 萩原朔太郎 9 中島敦 9 馬琴 9 佐藤春夫 8 有島武郎 8 蕪村 7

    博士論文の文学者 - jun-jun1965の日記
    mshkh
    mshkh 2015/11/30
    順当と思える結果と意外に思える結果があるなー.例えば,正宗白鳥と堀辰雄に関する博士論文がないのが意外
  • ■ - jun-jun1965の日記

    http://1000ya.isis.ne.jp/1236.html 志賀直哉である。長い。私は志賀直哉が何しろ嫌いなので、松岡の言うことの半分は分かるのだが、それは志賀が謎なんじゃなくて、志賀崇拝者が謎なのである。私は志賀直哉が好きだと言う人に、煙草を吸わせて貰いながらとっくりとどこがいいのか訊きたいと思っている。 それに最近は別の問題も出てきた。志賀を褒める人が、志賀は文章を作っていない、感じたまま書いているとか、こしらえていないとか言うのだが、じゃあ俺と同じじゃないかと思ってしまうという問題である。 さてしかし松岡の文はやはり間違いがあって、の勘解由小路康子をなぜか「かでゆこうじ」としているが「かでのこうじ」である。『暗夜行路』の最初は「時任謙作」ではなく「時任信行」で、志賀全集には一冊分、「暗夜行路」第一を三回くらい書き直したものが入っている。 「万暦赤絵」が教科書に載ったという

    ■ - jun-jun1965の日記
    mshkh
    mshkh 2015/11/01
    いろいろ味わい深い