作家が、温泉地へ行ったり、ホテルに缶詰めになったりしてものを書くなどと聞くと、ふーん資料なしで書ける職業はいいなあ、などと思う。作家でもそういう人はいるが、資料に基づいて書く学者とか評論家というのは、基本的に家に張りついていなければならない。さらに厄介なのは、使い終わった資料で、若いうちはいいけれど年を重ねてくると、これを全部とっておくほどの邸宅に住んでいるのでなければ、捨てるしかない。大笹吉雄さんに昔質問した時、資料は終ったら捨ててしまうと言っていたが、そりゃああの浩瀚な『現代日本演劇史』の資料を全部とっておくほど、大笹さんが裕福であったはずがないから仕方がなく、読者から質問されても答えられない。書いたものについて答えられないなんて無責任だと言われたって、資料をとっておくほど裕福ではないのだからしょうがない。「整理法」などというのは、邸宅を持っている人にしか意味のないもので、その整理した