■試行錯誤繰り返し、時代刻む 学生運動やベトナム反戦運動が高揚しつつあった1967年10月から68年9月にかけて、毎週日曜日に49回放送された子供向けのテレビ番組があった。「ウルトラセブン」である。 いまなお熱狂的なファンが多く、語り尽くされてきた感のあるこの番組を、著者は監修者の円谷英二の日…
■試行錯誤繰り返し、時代刻む 学生運動やベトナム反戦運動が高揚しつつあった1967年10月から68年9月にかけて、毎週日曜日に49回放送された子供向けのテレビ番組があった。「ウルトラセブン」である。 いまなお熱狂的なファンが多く、語り尽くされてきた感のあるこの番組を、著者は監修者の円谷英二の日…
最近気づいたことなのだけど、「悲しみマンガ」が好きなのです。 「悲しみマンガ」? 「悲しいマンガ」じゃなくて? 「悲しみマンガ」というのは、なにかドラマティックな悲劇が起こるとか、そういう類のマンガじゃなく、どっちかというとその真逆で。悲しみがしっかりと描かれているマンガ、とでも言いますか。 私たちは自分の抱える悲しみについて、自分が思っているほどクレバーに接しているわけではない。 本当は悲しいのに、その感情を押さえ込んで悲しくないフリをして生きていたり、 その習慣が固定化されてしまっているせいか、冷静に見てとてもとても悲しい状況なのに、涙がうまいこと出てこなかったり、 あるいはとにかくやたらと悲しい気持ちになっているのだけど、その悲しみはいったいどこから来ているものなのか、自分でもよくわからなかったりする。 そういうときに、悲しみと向き合って描かれたマンガを読むと、自分の抱えている悲しみ
何年も連載しているのに1巻が出なかったマンガ いきなり回り道してもいいですか。 マンバ通信のスタッフに、「マンガ読みマン」と呼ばれている男がいるんですけども。 文字通り、とにかくめちゃくちゃマンガを読む。雑誌、新刊、古本、電子書籍、とにかくありとあらゆる手段を使ってマンガを読む。自分が今まで会った人間の中で、間違いなく一番マンガを読んでいる。おそらくほとんどのマンガライターよりもマンガを読んでいる。 自宅はもちろんマンガで溢れているらしいのだけど、職場のデスクにもマンガは当然置いてあって、今はこんな感じ。こないだ崩壊したみたいですが。 編集やライターではなくエンジニアなので、残念ながらここでコラムを書いたりすることはないのですが、会議でマンガのことを話し合うと、だいたい毎回驚くような発言が飛び出します。先日はもうじき最終回を迎える「浮浪雲」の話をしてたら、30代のはずなのに「リアルタイムで
話題の「うつヌケ」はお下劣サイテーパロディ漫画より危険だ。 理由はこれを読んだ患者が治療を拒否する可能性が高いからだ。 うつになった原因は「自分をキライになったこと」 うつを克服できたきっかけは「自分を好きになったこと」 科学的根拠が全く見えない言葉とともに、通院や投薬の無意味さを主張する。これがこの漫画の正体といっても過言ではない。 私から見ればあの近藤誠医師の書籍と同じである。 第2話において、うつ病の治療を始めたが効果が見えず、薬が増えていくことに恐怖を覚えたこと、そしてドクターショッピングに至ったことが描かれている。 精神医療に失望し始めたころに「薬では『うつ』は治らない。なぜなら…」という本に出会い、そこから「アファメーション」に傾倒する。 まず「アファメーション」が何なのかをググってみるといい。大半の人が目を覚ますだろう。 このアファメーションは一部で有名な苫米地英人が日本に持
岩波青版のかなり古い本「写真の読みかた」。書かれたのは1963年、著者は名取洋之助という報道写真家、編集者。ドイツで報道写真家としてキャリアをスタートし、報道写真という概念を日本に持ち込んだような人。 この本は「写真の読みかた」というタイトルだが、書かれているのはどちらかというと「写真の見せかた」だった。しかも最初は写真の歴史からはじまり、全体の半分ぐらいは著者の自伝に割かれている。見せ方にしても、著者はアート写真に批判的な人で、主に新聞や雑誌に掲載する報道写真について書かれている。 よい写真とは、写真の最大の機能であるコミュニケーションの手段として、最もわかりやすく、面白く、かつ感動させるものであるべきだった。作者が自分と、ごく少数の仲間だけで楽しむ写真などは、最大の機能を忘れたものとして、否定すべきであったのです。 p89 写真だけを見ない 誰が撮ったかは重要ではない 感想 写真だけを
2010年11月に刊行された『我が一家全員死刑』(コアマガジン、後にコア新書で再刊)は衝撃的な一冊であった。「人は見た目が9割」ならば確実にお近づきになったらヤバそうな4人の家族の顔写真が表紙にならんでおり、実際、見た目通りヤバかった北村実雄、真美、孝、孝紘の4人は強盗殺人の罪などに問われ、全員死刑が確定している。 本書は、次男の孝紘の獄中手記を中心に構成された『我が一家全員死刑』に加筆修正し、映画化にあわせて文庫化したものである。表紙に顔写真こそ並んでいないが、読み直しても彼らの行き当たりばったりで自己中心的な犯行には怖さしか感じない。 彼らがどのような犯行に及んだのか。大牟田4人殺害事件と聞けば思い出す人もいるだろう。2004年9月18日に家族四人で共謀し、知人の高見小夜子さんを絞殺。その後に帰宅した高見さんの長男とたまたま居合わせただけのその友人を拳銃で撃つなどして殺し、3人の遺体を
水・金・地・火・木・土・天・海・冥。かつてそう教えられた太陽系惑星のなかから、2006年に冥王星が除外されたことは記憶に新しい。だがじつは、19世紀後半にはそれら惑星候補のなかにもうひとつ別の名前が挙げられていた。本書の主役は、その幻の惑星たる「ヴァルカン」である。 ヴァルカンはその生い立ちからして冥王星とは異なっている。というのも、そもそもそんな星は存在すらしていなかったからだ。では、存在しないものがいかにして「発見」され、そして最終的に葬り去られることになったのか。本書は、その誕生前夜から臨終までを、関係する天文学者や物理学者にスポットを当てながら、ドラマ仕立てに描いていく。 ストーリーは、17世紀後半、ニュートン力学の登場から始まる。周知のように、その偉大なる体系は、惑星の運動を含む広範な現象の統一的説明を可能にした。いや、説明だけではない。驚くべきことに、その体系は未知の現象に対す
うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち 作者: 田中圭一 出版社/メーカー: KADOKAWA 発売日: 2017/01/19 メディア: 単行本 この商品を含むブログ (15件) を見る おれは田中圭一のファンである。『神罰』だって最初に単行本で出たときに買った。ネット上で公開されている漫画(『ペンと箸』)だって面白いし、本人がたまにTwitterに投下するネタだって好きだ。 が、この『うつヌケ』は、世間の評判とは裏腹に、どうも読んでいて胸糞悪くなった。だって、紹介されている人間が、人類の上位2%、多く見積もっても5%くらいに入るような人ばかりなのだもの。 ともかく、仕事ができる、特別な才能がある、成功を収められる、それだけのスペックがある人間ばかりだ。「無理をしなくて休んでいいんだ」で休む金銭的な余裕がある、あるいはよりどころになる親だの配偶者だの、家族がいる。そんな上流の人間が大うつ病
毎月何十冊と刊行される「1巻」の中から、「とにかくこれを読んでくれ! 絶対損はさせない」というおすすめをピックアップするこのシリーズ。 今回紹介するのは、押見修造「血の轍」。 最初に言いますけど、このマンガ、説明するのが非常に難しい。というのも、1巻の前半部分では事件らしい事件が起きないのです。後半では動きがあるのですが、さすがにそこまでまるっと説明するのは興を削ぐことになってしまう。 しかし事件らしい事件が起きないパートが退屈なのかというと、まったくそんなことはなく、「事件が起きてないのになぜか目が離せない」という独特の様相を呈しているのです。 ちょっと見ていきましょうか。冒頭、こんなシーンから始まります。 母親と子供が二人で歩いていると、道端に猫を見つける。近づいてさわってみると、その猫は死んでいる。そして子供の質問を受けての、母親のこの表情。 この見開き、とてもおだやかな表情をしてい
常日頃から、私はブツブツ言っている。女といっても今時嫁入り修行だけをしていては尊敬されないし、かといって職場に残れば今でもお局負け犬売れ残りのレッテルを免れないし、そもそも女性で順調に出世というのもやや非現実的なままである。 米心理学者による本書は、そんな私の文句に対して、男の方がさらに深刻な状況にあると示唆する。性から、あるいはもっと広く社会から自分を遠ざけ、ゲームやポルノにへばりついたまま社会生活を循環させてしまう。そもそもなぜ男が情けなく劣化の途を辿っているのか。その原因について、米の臨床現場における薬物療法の現状やポルノによる生殖機能が鈍る作用などトリビアルな研究結果を網羅的に紹介し、解決策を提案するまでが本書の主題である。 ユニークなのはゲーム、学校、ポルノ、ネット、などの劣化加速装置の列挙に続いて「女性の隆盛?」という章が設けられていることだ。確かにかつての男らしさは女に代替可
『子育ての大誤解 重要なのは親じゃない 』「言ってはいけない」真実が示す、親と子の幸福なあり方文庫解説 by 橘 玲 『子育ての大誤解』は掛け値なしに、これまででわたしがもっとも大きな影響を受けた本のひとつだ。なぜなら長年の疑問を、快刀乱麻を断つように解き明かしてくれたのだから。 いまでいう「デキ婚」で24歳のときに長男が生まれたのだが、その子が中学に入るくらいからずっと不思議に思っていたことがあった。親のいうことをきかないのだ、ぜんぜん。13、4歳のガキと30代後半の大人では、経験も知識の量も圧倒的にちがう。どちらが正しいかは一目瞭然なのに、それを理解できないなんてバカなんじゃないのか、と思った。 しかしよく考えてみると、自分も親のいうことをまったくきかなかった。だとすればこれは因果応報なのだとあきらめたのだが、それでも謎
(文春新書・799円) 身体のことは身体に じつは書評するかどうか、かなり迷った。そもそも書評するまでもない。なぜならだれが読んでも、よく理解できるに違いないからである。文章は平易で、論理の筋は通っている。ゆえに余計な説明はいらない。ただ最近ある雑誌でこの本の内容にちょっと触れた。そうしたら編集者から訂正を求められた。私が「著者の主張に賛成だと思われると困る」という意見が付いてきた。もちろん雑誌にはそれを出版している側の都合や思いがあるから、素直に訂正に応じた。私は自分の意見を修正するのに、ほとんど抵抗がない。 ではなぜ書評か。知る人は多いと思うが、著者は「ガンと闘うな」というお医者さんである。乱暴にまとめれば、その著者がさらに健康診断は有害無益だと主張したのが本書である。著者の主張はすでに学問の域を超えて、いわば政治化している。本書にちょっと触れただけで、訂正を求められたという事実は、私
本日はぜひ読んでおいて損はない本を紹介しておこう。野村證券の内情を暴露したに近しい、「野村證券第2事業法人部」だ。証券会社の内情をここまで細かく書き、どういう人が出世するかを描いた本はない。 野村證券第2事業法人部 衝撃すぎる野村證券の実状 新人証券マンが、20年間野村證券で活躍し、支店長までつとめます。その後、自身で会社を設立し、オリンパス事件に巻き込まれ逮捕されるまでを描いている。何より衝撃的なのが、野村証券時代の生活だ。最初に述べると、後半はトーンダウンしてしまうのだが、全体の6~7割にあたる野村證券時代の話だけでも十分にお金を出す価値があった。 野村証券出身者がブログや本を書いているが、大抵がすぐ辞めたドロップアウト組だ。本書は取締役クラスではないのものの、20年間素晴らしい成績で活躍した本物の野村マンが書いている。古き良き日本の姿もあった。自慢風の内容や主観ももちろんはいっている
高山裕太くん、自殺事件の経緯 2005年12月6日に、長野県立丸子実業高校の一年生で、バレー部員だった高山裕太くんが自宅で自殺する。 裕太くんの母親のさおりは、自殺の原因はバレー部内でのいじめと校長、担任の発言、監督責任にあるとして、長野県、高校、いじめの加害者とされた生徒とその両親を相手どって訴訟を起こす。 また校長個人を、名誉棄損と殺人の罪で刑事告訴する。 ここまでの事実を聞くと、また強豪運動部内でのいじめとそれを隠蔽する学校によって、犠牲者が出たのかと思う事件だが、実はこの事件には驚くべき経緯があった。 裕太くんは学校内のいじめではなく、母親の長年にわたる虐待、「母親からのいじめ」とも言えるものが原因で自殺したのではないかという疑いが出てくる。 本書では、裕太くんが自殺する前から周囲を驚かせ悩ませていた、母さおりの姿が描かれている。 裁判の結果は、学校側のほぼ全面勝訴 この事件は民事
谷口ジローが亡くなった。 特に感慨はない、と思っていたが、自分がこの14年間のブログ人生(?)で書いたものを振り返って、結構とりあげていることに気づいた。 『神々の山嶺』 「山の量感」と「登山という近代個人の登場」を描き切った『神々の山嶺』は中でもすごい作品であった。 谷口ジロー・夢枕獏『神々の山嶺』 - 紙屋研究所 『孤独のグルメ』 ぼくの本(『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』)の中でも紹介させてもらった『孤独のグルメ』は、今でもなんども読む。 「関係を食べている」と指摘した関川夏央の反『美味しんぼ』レビューを紹介しながら、『孤独のグルメ』こそアンチグルメであると書いた、ぼくの『孤独のグルメ』評。 本を読みながら食事をするという「悪風」は、娘に文化的に遺伝してしまった。 『孤独のグルメ』 - 紙屋研究所 『犬を飼う』 動物を飼うことについてほとんど思い入れのないぼくであるが、飼っていた
一次予選から三次予選、そして本選。4度の戦いが、演奏シーンが、ひたすらストイックに描かれる。物語のほとんどは、コンサートホールの舞台の上で進む。なのに、次々と新しい景色が見える。ずいぶん遠くまで歩いてきたと感じる。 バッハ、モーツァルト、ブラームス、ラフマニノフ、シベリウス、バルトーク、プロコフィエフ……コンクールなので、もちろん弾かれるのはクラシックの曲ばかりだ。 巨匠と呼ばれる作曲家たちの名前、音楽の教科書で見たことはあっても、曲名を聞いても少しも連想できない。これまで縁のなかった世界。 それでも音楽が鳴り響く。知らない曲のはずなのに、彼らが演奏しているその曲のイメージが目の前で広がる。そんなことあるのか? と思うでしょう、でもそうとしか説明できないのです。 小説家数人によるトーク番組「ご本、出しときますね?」の新春特番で、朝井リョウさんが「悔しいけど面白かった1冊」にあげていたけど、
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