唯一神がいるという主張はまあわかる。 でも聖書の内容まではあんまし信用してない。ノアの法とかは割と信用するけど。 信用していないのは主に 産めよ栄えよ 怠けるなの2つの主張。働くことが人類にとって悪く機能する可能性があるし、人口増加もそう。
PCゲーム配信プラットフォームSteamにて、『The Bible』なるタイトルが突如登場した。同作はその名の通り、聖書(The Bible)をデジタル化した内容となっているようだ。トレイラーによれば現地時間11月14日発売とされている。 『The Bible』は、デジタル聖書だ。キリスト教の聖典として、旧約/新約聖書あわせて66冊が収録されているという。物語としては、まず旧約聖書にて神が天地などを創造する「創世記」から開始。最初の人間として知られるアダムとエバの顛末や、カイン・アベル・ノア・アブラハムといった人々の波乱の経験が語られる。そして、新約聖書では、世界的におなじみの人物イエス・キリストの生涯などが綴られる。そうした重厚かつ長大な歴史を、Steam上で読むことが可能となるわけだ。 本作では、聖書を好きな順番で読むことが可能。気になった節を保存しておき、そこをいつでも閲覧できる機能
受験世界史の企画をお読みの方はご存じの通り,上智大は2020年を最後に一般入試の大部分で地歴公民科目の入試をやめて,共通テストと学部・学科別の独自試験で合否を決める制度となった。とはいえ上智大は学部・学科が非常に多いので本気でこれを実施するのかと半信半疑でいたのだが,2021年の赤本を見るに,本当に実施したので驚いた。しかも1つ1つがけっこう作り込まれていて,なかなか面白かった。たとえば文学部ドイツ文学科であれば,高校世界史の範囲のドイツ史とドイツ文化について論じた現代文の問題が組み合わされたようなもので,これなら確かに意欲と適性をちゃんと測れると思われた。やればできるのになぜ去年までやってなかったのか。 となるとやはり気になるのは神学部である。神学部で学ぶ意欲と適性を測る独自試験ってどうなるのか。募集要項には「キリスト教と聖書の基礎に関する理解力と思考力を問う試験」としか説明が無かった。
昨年に問題が独特すぎて物議を醸した上智大・神学部の入試問題であるが,今年の問題も赤本に掲載されていたので早速解いてみた。結果から言えば,方向性は維持されていたが,随分と簡単になっていた。何よりも大きな違いは問題数である。2021年度には試験時間75分で,記号選択・語句記述問題が60問ほどに加えて,600字の論述問題が2問という分量であったが,2022年は試験時間75分は変わらず,記号選択が6問+語句記述が8問に,論述が40字が1問と200字が1問の計2問だけであった。記号選択・語句記述問題が約1/4に,論述問題が20%に減ったということになる。これだとかえって時間が余るのではないか。 それでも赤本は昨年同様に解答例を省略していた。通常の科目に当てはまらないものは解答を載せないという方針があるらしいことに加えて,解答者が確保できないために省略していると思われる。とはいえ赤本が載せていないとい
目次 はじめに 自分をつまらない人間だと思っている人へ おびえている人へ 変わることなく永遠に続くものってあるの? 愛って何ですか? 自分にしてもらいたいことがある人へ 疲れてしまった人へ 男と女、結婚って何だろうか? 永遠のいのちを得たい人へ 罪と死、神といのち 罪をおかしてしまった人へ 私のために死んだ人って誰? どんな風に愛したらいいですか? 神さまは願いを聞いてくださる 霊 私なんかどうせ…と思う人へ 富を得たいと思う人へ 人の先に立ちたいと思う人へ 神さまには何ができるのでしょうか? 時について なんて、あいつは馬鹿なんだろう… はじめに このページに書かれた言葉は、 日本聖書刊行会の新改訳『聖書』からの抜粋です。 『聖書』は、普通の本屋さんで買うことができます。 ぜひ、あなたも聖書をお読み下さい。 各言葉の最後に書いてある「イザヤ書43章4節」とか 「マルコによる福音書 2章1
パブリッシャーのPlayWayおよびデベロッパーのSimulaMは3月8日、キリストシミュレーションゲーム『I Am Jesus Christ』のベータテスト参加者の募集を開始した。Steamのストアページより、「I Am Jesus Christ Playtestに参加」の「アクセスをリクエスト」ボタンを押すことで応募できる。ベータテストの参加はもちろん無料である。 『I Am Jesus Christ』は、新約聖書からインスピレーションを受けたオープンワールドゲームだ。誕生から洗礼、磔刑、そして復活に至るまで、イエス・キリストの生涯を体験することができる。舞台としては、著名な聖地が多数登場。エルサレムやガリラヤなど、聖書にも登場するさまざまなロケーションを訪ねることになる。さらに、砂漠や水辺、山々など、多彩な環境が用意されているようだ。 キリストは、30種類の奇跡を使用することができる
思い込みを取り除く そのとき、イエスは弟子たちにたとえを話された。「盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。弟子は師にまさるものではない。しかし、だれでも、十分に修行を積めば、その師のようになれる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。茨からいちじくは採れないし、野ばらからぶどうは集められない。善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入
Was ist die Muttersprache Jesu? イエスの母語は何か?—紀元1世紀ローマ帝国のポリグロシアについて 2021.12.24 Was ist die Muttersprache Jesu? イエスの母語は何か?—紀元1世紀ローマ帝国のポリグロシアについて 「言語学な人々」アドベントカレンダー12月25日 本記事は、北星学園大学の松浦年男先生がご企画なされた「言語学な人々」というアドベントカレンダーの企画のために書かれました。本記事はこのアドベントカレンダーの最終日のためのものです。「言語学な人々」のアドベントカレンダーの最終日の執筆を承りまして、言語学と聖書学・初期キリスト教文献学・コプト学・エジプト学 と 人文情報学 を学んできたので、これらの知識から何かできないのか考えました。いろいろ面白いアイデアがたくさん思い浮かんできたのですが、どれにしようか迷って、ツイ
聖書検索Webアプリケーション eBible+ パソコンでもスマートフォンでも、 新共同訳、口語訳、新改訳、ESV、KJV、WEBの同時検索、並行表示ができます。 原語辞書表示、原語検索も可能! ウエブバイブル(協会共同訳)、聴くドラマ聖書(新改訳2017)との連携を実現 詳細はこちら
イエスの声に耳を澄ます イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ
レクチオ・ディヴィナ 近頃、教会の中で「レクチオ・ディヴィナ」という言葉をよく聞くようになりました。「レクチオ・ディヴィナ」とは一体、なんのことでしょう。「余談(11)」で御紹介した本などに基づいて簡単にまとめてみましたので、どうぞ参考になさってください。 1.レクチオ・ディヴィナとは何か? レクチオ・ディヴィナとは、教会で伝統的に行われている霊的読書のこと。対象は聖書である場合も、聖人の書き物等である場合もある。単に頭で理解するだけでなく、ゆっくり時間をかけながらテキストを味わっていく。テキストを、歴史的な言葉であると同時に、今ここで自分に語りかけられている言葉として読む。さらに、その語りかけに対して応答していく。 『霊操』で言えば、「思い巡らす祈り」の方法に近い。「観想の祈り」の方法とともに、場合に応じて活用としていくとよい。 2.四段階 「ある日のこと、手作業をしながら霊的修練につい
『レクチオ・ディヴィナ〜神に近づく四段のはしご』 神学生時代に上智大学で一緒に勉強していた柳沼千賀子さんが、本を翻訳したからと言って送ってくれた。『レクチオ・ディビィナ〜神に近づく四段のはしご』という本だ。 「レクチオ・ディヴィナ」という言葉は最近、教会の中でよく耳にする。ラテン語を直訳すれば「神的読書」ということだが、広く霊的読書のことを指して使われることが多い。読むための特定の方法論はないが、なにしろ聖書を読んで祈り、分かち合いをするグループのことを「レクチオ・ディヴィナ」のグループと呼ぶこともある。霊的読書の中で起こってくる心の動きを4段階で説明する伝統もよく知られている。 4段階というのは、「読む」(レクチオ)、「黙想する」(メディタチオ)、「祈る」(オラチオ)、「観想する」(コンテンプラチオ)の4つのことだ。まずテキストを読んでその意味を理解し(レクチオ)、そのテキストを通して神
レクツィオ・ディビナとは、「聖なる読書」という意味で、聖ベネディクトが砂漠の教父の影響を受けて始めたと言われる、古代から用いられていた、祈りをもって御言葉を読む方法です。(または、御言葉を読みながら祈ると言ってもいいかもしれません。)御言葉を章単位で読むのでなく、数節から10数節くらいを選び、ゆっくりと、じっくりと味わいながら読みます。情報を得るために読むのではなく、また注解書をひもときながらテキストを理解することを目的とするものでもありません。生きた神のことばである御言葉から、神さまに語っていただき、それによって私たちの霊を形づくっていただくための聖書の読書であり、みことばを読むこと、そして御言葉に聴くことが、そのまま祈りでもあります。 レクツィオ・ディビナには4つのステップがあります。まず、1~2分沈黙の時間をとって、心を静めてから始めましょう。 Lectio レクツィオ (読む):言
鏡を通して ―Through a Glass― For now we see through a glass, darkly; but then face to face. . . (1 Cor 13:12) 先ごろ出版された、新改訳聖書の改訂版「新改訳2017」を入手しました。予約注文の機会を逸してしまいましたので、もう少し後になるかと思っていましたが、ある方のご厚意で手に入れることができました。心から感謝します。 もちろん、まだ全巻をじっくりと通読したわけではありませんが、特に新約聖書を中心にざっと目を通して受けた印象(厳密な学問的コメントではなく)を記したいと思います。ちなみに、私は今回の改訂事業には一切関わっていませんので、あくまでも一読者としての感想であることをお断りしておきます。 私がまず読んだのはルカ文書(ルカ福音書と使徒行伝)です。自分の専門分野でもあり、また近々これについ
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