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中世に関するkash06のブックマーク (8)

  • 日本の歴史上、最も有名な武家法「御成敗式目」はなにが画期的だったのか? 気鋭の歴史学者・佐藤雄基に訊く

    1232年、鎌倉幕府三代執権の北条泰時により制定された初の武家法「御成敗式目」は、日歴史上「最も有名な武家法」とも称され、今なお広くその名が知られている。しかし、その内容が詳らかに知られてはいないだろう。 中公新書より刊行された『御成敗式目 鎌倉武士の法と生活』は、同法の主要な条文を詳しく解説、実態や後世への影響を明らかにした一冊だ。著者の佐藤雄基氏に、同書の狙いと「御成敗式目」の先進性について話を聞いた。(編集部) 佐藤雄基氏 ――「御成敗式目」と言えば、昨年(2022年)放送されたNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では坂口健太郎さんが演じていた北条泰時が制定した日初の「武家法」として有名ですが、今回それをメインに扱った新書を執筆しようと思った、そもそもの動機やきっかけは何だったのでしょう? 佐藤雄基(以下、佐藤):私はもともと日の中世の法を研究しています。平安時代の終わりから鎌

    日本の歴史上、最も有名な武家法「御成敗式目」はなにが画期的だったのか? 気鋭の歴史学者・佐藤雄基に訊く
    kash06
    kash06 2023/09/01
    日本中世史の法制史と言えば佐藤進一、佐藤和彦そして佐藤雄基(すごいビッグネームと佐藤だけで繋げる)。(和彦繋がりで佐藤和彦と上杉和彦とかも好き(関係ない
  • 無秩序な日本中世を振り返り、現代の当たり前を見直すエンタメ歴史ノンフィクション──『室町は今日もハードボイルド―日本中世のアナーキーな世界―』 - 基本読書

    室町は今日もハードボイルド―日中世のアナーキーな世界― 作者:清水克行新潮社Amazon最近日に住んでいるフランス人や中国人YouTuberだったり海外YouTuberの動画をだらだらと見ていることが多いのだが、同時代を生きていたとしても国ごと、コミュニティごとで常識は異なっていて、なんで日の店はきんきんに冷えた水が出てくるの?? とか、そうした違和感を聞くのがおもしろい。どちらが良い/悪いという話ではなく、どちらにもその土地の歴史や風習と絡み合ったものであって、「は〜そういう考え方があるんだなあ」と当たり前だと思ってきたものを見直すことができる。 で、そうした違和感や驚きを得られるのは、時代が離れた同じ国の中でも同じことである。書『室町は今日もハードボイルド』は、日の中世史を専門として『耳鼻削ぎの日史』や高野秀行との共著『世界の辺境とハードボイルド室町時代』で知られる学者の清

    無秩序な日本中世を振り返り、現代の当たり前を見直すエンタメ歴史ノンフィクション──『室町は今日もハードボイルド―日本中世のアナーキーな世界―』 - 基本読書
    kash06
    kash06 2021/08/01
    ハードボイルド室町時代の続編、やはり強烈だ。道徳や献身が無いのではなく、現代ではズレているというのが肩透かし的なのと、やはり価値交換に平気で命も換算して特別枠がないのが強烈なんだと思った。
  • 日本史かわら版 第4号

    「寄進地系荘園」 をどうとらえるか 京都市立日吉ヶ丘高等学校 新出高久 〈 『図説日史通覧』 特集ページを活用して〉 新たな切り口で整理する日史! 日史かわら版 第4号 (2017年11月発行) はじめに 2009年に鎌倉佐保氏が,雑誌 『歴史評論』 の特 集 「歴史を学びなおす―教科書記述と歴史研究⑴」 掲載の論文で鹿子木荘事書が 「寄進地系荘園」 成 立の典型例として掲載されていることについて問 題点を指摘してから久しい。 『図説日史通覧』 「特 集 荘園の登場から荘園公領制の確立」 (→p.93) では 「寄進地系荘園」 概念のとらえ直しをはかっ ている。 近年出版された 『荘園史研究ハンドブック』 (以 下, 『ハンドブック』 ) は現時点での最新の荘園史 研究がまとめられている。稿では,これを導き の糸としながら,荘園史や中世社会の成立を授業 でどのように整理すればよい

  • 鎌倉、室町の一大集落か 磐田の「長江崎遺跡」調査終了(中日新聞Web) - goo ニュース

    kash06
    kash06 2020/06/06
    “中世の天目茶碗(ちゃわん)の破片や雨水をためた穴、多数の遺構が出土しており、市教委は「中世の一大集落で、位の高い人が暮らしていた可能性が高い」と説明している。” なお35次調査は茶間亭跡地な模様。
  • 「寺社本所vs武家」という単純な構図では説明しきれない中世荘園制

    鈴木和裕【受験屋日史.com】 @kazu_mha 「寺社所領とは、北朝方の寺社・所が保有する一般に領家職以上の荘園・公領の権益であり、武家領とは、北朝方の武士が保有する現地管理権を中心とした荘園・公領の権益である」って??「領家職以上の権益」と「現地管理権」はどう違うのか?対比になっていない感じが…。 2013-12-29 12:41:41 うさたろう @usataro1999 @kazu_mha 武士による荘園侵略という従来の理解を否定し、荘園制存続という理解の下で在地を掌握しているか否かという点で両者を区分しようとしているのではないでしょうか。記述としては正確だと思うのですが、そのためにわかり易さが犠牲になっている観が。 2013-12-29 13:42:20 鈴木和裕【受験屋日史.com】 @kazu_mha @usataro1999 「武士の荘園侵略」を否定するのはわかる

    「寺社本所vs武家」という単純な構図では説明しきれない中世荘園制
  • 「海の武士団 水軍と海賊のあいだ」黒嶋 敏 著

    中世日、荘園公領制の成立によって地方の富が中央へと輸送・集約される必要性から、海上輸送において武力による保護・管理が求められると、武士たちは各地の湊や沿岸地域に勢力を持ち、海上交通に知悉した『海の民を編成し、海上の武力として組織化』しようと試みる。そのような『沿岸地域に所領を持つ武士が中核となって形成された社会集団』(P16)は「海の武士団」という言葉でまとめられることが多い。 書はそのような意味の「海の武士団」というタイトルがつけられているが、著者はむしろその「海の武士団」ということばの曖昧さに疑問を呈し質的な問題があるとしている。 『海の民が武士に編成されるのは戦争時に限定される。かといってそれを「海の武士団」としてしまうと、職業的な武士が彼らの大多数だったかのような印象を与えることになる。彼らのなかには、名字を持ち、侍身分を獲得していたものもいたことは確かだが、かといってその集

    「海の武士団 水軍と海賊のあいだ」黒嶋 敏 著
  • 「幕府」の「差分」−源頼朝 - 我が九条

    平清盛の樹立した政権を「六波羅幕府」あるいは「福原幕府」と呼ぶべき、という見解は実はなかなかハードルが高い。なぜならば、そもそも「幕府」という概念は、源頼朝にあって平清盛にないものを表象するために作られた概念だからである。 鎌倉幕府成立年代論争とは、鎌倉幕府とは何か、という問題である。一応述べておく。 1180年、頼朝が鎌倉に邸を構えた。これは鎌倉幕府が南関東の軍事政権であることに着目する見解。 1183年、頼朝が寿永2年の宣旨を受けた。これは鎌倉幕府は、その実力支配を朝廷から公認されることに着目する見解。 1184年、頼朝は公文所と問注所を設置した。これは鎌倉幕府が行政機関として機能し始めたことに着目する見解。 1185年、頼朝が守護・地頭設置を認められた。これは頼朝の主従制が朝廷に公認されたことに着目する見解。 1189年、頼朝が奥州征伐を行なう。これは頼朝が全国的な軍事動員権を掌握し

    「幕府」の「差分」−源頼朝 - 我が九条
  • asahi.com(朝日新聞社):鶴岡八幡宮の大イチョウ倒れる 「実朝暗殺の舞台」 - 社会

    根元から倒れた大イチョウとおはらいをするために大石段を下りる神職=10日午前8時2分、神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目の鶴岡八幡宮、山元一郎撮影倒れた大イチョウの根元の直径を測る消防署員=10日午前7時49分、神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目の鶴岡八幡宮、山元一郎撮影  神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮で10日未明、境内にある大イチョウが倒れた。同市が原因を調べているが、同八幡宮によると、強風で倒れたとみられるという。  大イチョウは樹齢1千年余りとされ、高さ約30メートル、周囲6.8メートル。鎌倉幕府三代将軍の源実朝を暗殺した公暁(くぎょう)が、この木の陰に隠れたという伝説から「隠れ銀杏(いちょう)」とも呼ばれ、大仏と並ぶ同市のシンボルだった。1955年に県の天然記念物に指定されている。  同八幡宮によると、10日午前4時15分ごろ、5分おきに「ドンドン」という音が鳴り、同40分に雷が落ちるような音がして

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