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哲学に関するkash06のブックマーク (7)

  • 黄金頭さんへ / ものわかりとは何か - illegal function call in 1980s

    黄金頭さんが「自分がもっとものわかりの人間だったら」という趣旨のことを呟いていらした。このことについて少々。 ものわかり=もの+わかり。「わかり」は古語「わ(分。別)く」に由来する自動詞。「わく」の有名な例としては紫式部(百人一首57)「めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな」。せっかく久しぶりにお会いしたのに、お会いしたのがあなたであったのかどうかわからないままに。文法的な話を続けるなら「わく」は自動詞で自ずからAとBが区別される、「ものわかり」の「わかり」も自動詞で、終止形は「わかる」(自動詞)。「わける」(他動詞=主体の能動的作用)ではない。 以上から、「ものわかり」とは、《複数のものA, B, C,...それぞれが自然と「分かつ」》作用が、認識者に働くこと。あるいは認識者においては、そのような(受け身の=自然体の)認識能力のこと。 現代は「こと」(理。ことはり)

    黄金頭さんへ / ものわかりとは何か - illegal function call in 1980s
  • “感染”した時間|斎藤環(精神科医)

    花々を見て、煙のまとわりつく木々を見て、のぼっては下るカラスの群れを見て立ちつくすわたしに、ピーターが何か言った。「野菜に囲まれて物思いかい」だったかしら。「おれはカリフラワーより人間がいいぞ」だったかしら。ある朝、朝どき、テラスでのことだった。ピーター・ウォルシュ……もうすぐインドから戻る。六月?七月?どちらだか忘れた。だって、あの人の手紙は恐ろしく退屈なんですもの。覚えているのは語られた言葉、あの眼差し、ポケットナイフ、笑い顔、不機嫌。何百万の物事が何もかも消え失せて、残ったのがカリフラワーについての二言三言だなんて、とても不思議。 (バージニア・ウルフ著、土屋政雄訳『ダロウェイ夫人』光文社) 被災した時間 大規模な災厄は、人間の時間意識を変える。 そのことを最初に意識したのは9年前、東日大震災の直後だった。震災は時間の流れを分断し複線化した。列島は複数の時制へと引き裂かれた。目前

    “感染”した時間|斎藤環(精神科医)
    kash06
    kash06 2020/05/17
    過去の仕事を思い出す時、工程表の時間と記憶の強弱に差異がある、あの「強」が抜け落ちて工程表を生きているという事なのか。そういえば、3月14日の雪を強く覚えているのに、4月を測り損ねている。
  • 資本主義的、革命的(後編)—外山恒一の運動する運動 - 批評集団「大失敗」

    ※前編 daisippai.hatenablog.com 前編では、東浩紀について論じた。後編では外山恒一について扱う。 批評≠思想 「資」主義に対抗して、それ以上に自らの批評の普遍性を打ち出すことのできる「革命家」。〔…〕革命家は、観客を育てるのではなくオルグする。言い換えれば、観客を無理やり当事者に変えてしまう。観客の育成は、当事者=優秀な党員を確保するためである。こちらは、むしろ、セクトを作ること、党派を作ること、タコツボを増殖させつつ拡大することが重要である。(『資主義的、革命的』前編より) 私は前編で、批評家のあり方として一方の「資家」の極に東浩紀を置き、もう一方すなわち「革命家」の極に外山恒一を置いた。しかし、これは実は恣意的な操作である。外山恒一は批評家ではないからだ。だからこれは正確には「思想のあり方」と言い直さなければならないのかもしれない。 けれども、実際のところ

    資本主義的、革命的(後編)—外山恒一の運動する運動 - 批評集団「大失敗」
  • 資本主義的、革命的(前編)—東浩紀の広告戦略について - 批評集団「大失敗」

    新しい情報の提供があるわけでもなく、新しい価値判断があるわけでもない、ましてや学問的研究の積み重ねがあるわけでもない、なにか特定の題材を設定しては、それについてただひたすらに思考を展開し、そしてこれいった結論もなく終わる、奇妙に思弁的な散文(『ゲンロン4』33頁) 東浩紀によって、「批評」とはこのように要約され、定義されている。東によれば批評とは日における特異な現象であり、批評それ自体が考えるに値する。東の思索は、その批評の内容や対象というよりは、その批評という営為が生まれてくる現象そのものに向いている。 東は「批評」という語自体を批評という営為の「可能性の中心」に据えるのだ。 ▲広告の例 歴史修正的 批評という病は、言い換えれば言葉と現実の乖離は、ねじれそのものが解消されなければ癒えることがない。そしてそのねじれはいまも変わらずに存在している(『ゲンロン4』33頁、強調引用者) こうい

    資本主義的、革命的(前編)—東浩紀の広告戦略について - 批評集団「大失敗」
  • 【3868】コンサータによって自己の連続性を失いつつある | Dr林のこころと脳の相談室

    Q: 私は某大学の法学部に通う21歳の男子学生です。(質問とは、直接、関係はありませんが、触法精神障害者に興味があり、それについて卒業論文を書くため、日々、資料を集めております。) 質問に入る前に、長文になりますが、質問に関わってくることなので、少し、コンサータ の服用とそれによる私自身の感じたことを書かせていただきます。 私は、精神科にてADHDと診断され、コンサータ を服用して数年になります。コンサータ 服用当初は、コンサータ によって、感覚過敏から解放され、初めて、ゆっくりとを読むことができるようになり、感動のあまり泣いてしまいました。この感動はあまりにも激しく、「私は、もう完全に『脳』を支配した」という優越感(あるいは、副作用としての多幸感に過ぎないのかもしれませんが)を得ました。ところが、数ヶ月たち、このコンサータ 服用後の精神の変調が、私の悩みの種になってしまいました。 私は

  • 今までの人生で、仕事でも生活でも、役立った本の圧倒的No.1は哲学の本だった - ふろむだ@分裂勘違い君劇場

    哲学は、「役に立つこと」を目的としない学問だ。 「世の中を良くするかどうか?」「人を幸せにするかどうか?」「文化を豊かにするか?」「仕事に役立つかどうか?」「生活に役立つかどうか?」と、哲学的な価値は、一切関係がない。 たとえ世の中を悪くするような哲学であっても、人を不幸にする哲学であっても、社会的に有害であっても、哲学的に優れていることは、いくらでもありうる。 ましてや、人格的に優れていることが哲学者の条件であるかのように言うのは、噴飯物だ。哲学者とは、世間的な意味で尊敬できる人間のことでは、決してない。 にもかかわらず、実際問題として、仕事においても、生活においても、人生のあらゆる場面を総合して、役に立ったの圧倒的No.1は、哲学のだった。 (1)哲学は金儲けにものすごく役立つ。 金儲けをするには、自分一人であくせく働くのは効率が悪い。金儲けには、チームプレーが欠かせない。 ただし

    今までの人生で、仕事でも生活でも、役立った本の圧倒的No.1は哲学の本だった - ふろむだ@分裂勘違い君劇場
    kash06
    kash06 2016/07/10
    このエントリだけでの「役立つ」に全力で食い付いてしまったら、その時点で自分の中の価値ではなくフロムダ氏の価値観に巻き込まれただけだ…という、氏特有の裏返しも用意されてそう。判断を急くべきではない。
  • 人間にとって「宗教」とは何か? 絶望からの救いを求め続けたある偉大な哲学者の思索と苦闘(鈴木 祐丞) @gendai_biz

    文/鈴木祐丞(秋田県立大学助教) 不可解な一節 19世紀デンマークの宗教哲学者セーレン・キェルケゴール。『死に至る病』など哲学史上に名を刻む不朽の名作の著者である。いわく、「死に至る病とは絶望のことである」、などなど。 セーレン・キェルケゴール 1813-1855 デンマークの哲学者。実存主義哲学の祖とされる。『あれかこれか』『不安の概念』『死に至る病』など、数々の著作を残した。19世紀を代表する哲学者の一人。 さてそのキェルケゴール、じつはあるところでこんなことを述べている。 仮名の著作のなかには、私自身の言葉というべきものは、一語もない。……したがって私の希望、私の願いは、もしだれかがこれらの書物のたったひとつの言葉だけでも引用しようと思いついたなら、当該の仮名の著者の名前で引用して、私の名をあげたりしないでいただきたいということである。(杉山好・小川圭治訳『非学問的あとがき』(下)、

    人間にとって「宗教」とは何か? 絶望からの救いを求め続けたある偉大な哲学者の思索と苦闘(鈴木 祐丞) @gendai_biz
    kash06
    kash06 2016/06/05
    なるほど、彼の仮定する著者の言葉である事も、一つの装置だったのか。/ 私にとってkash06とか、ジュストとかいう名前も、若干そういう意味合いがある。等身大の私より少しばかり内省的な大人を想定している。
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