前田家二代と神に仕えて 謎めいた26年間の金沢時代 キリシタン大名として知られる高山右近が、前田家の客将として加賀國(かがのくに)に二十六年間も住んでいたことはあまり知られていない。幕府禁制のキリシタンであったため、痕跡が消されてしまったのであろうか。今のところ、金沢時代の右近についての確かな史料は一枚の紙に収まってしまうほど乏しく、一片の肖像画すら残っていない。 秀吉によって畿内を追放され、前田利家に拾われるまで、右近の動向は特に外国人宣教師の注目の的であった。ささいな言動さえも逐一、本国やバチカンに報告されていた往時に比べると、情報量において天と地ほどの開きがある。 二十六年間といえば十二歳で洗礼を受けてから、異郷の地マニラで客死するまでの右近の生涯のおよそ半分を占める。その間、キリシタン信仰を貫きながら、一方では加賀藩の重臣でもあった右近は何を考え、何をしていたのか。 大河ドラマ「利
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