むったー @AkagoDeutsch 私の周りのドイツ人ママ友、子供に向かって声を荒げることがほぼ皆無で。 すごいなぁ、と思ってたんですけど。 最近、気づきました。 代わりにめっちゃ舌打ちしてる… 2024-03-28 18:51:54
日本では、なぜ「ナチスのモノマネを気軽にしてしまう人」が後を絶たないのでしょうか。 デリカシーのない日本人の発言の数々 筆者はドイツ人の父親と日本人の母親の間に生まれ、ミュンヘンで育ちました。日本に来てから約20年。思い返してみると、来たばかりの頃、「日本とドイツのハーフ」であることを伝えると、よくこうリアクションされたものです。 「日独ですか。日独といえば、日独伊三国同盟ですね!」と。その後、発言者の多くが決まって「わっはっは」と大爆笑するのでした。 「日独伊三国同盟」は筆者ももちろん知っています。しかしなぜ自己紹介の際、それを持ち出すのか不思議でなりませんでした。というのも、ドイツでは「ナチス政権時代に日本・ドイツ・イタリアが同盟を結んでいたことを喜ばしく思うような発言」はタブーだからです。 この発言者の多くは高齢者でした。現在では戦争や同盟のことをあまり知らない人が増えたせいか、同じ
偶然 ドイツ滞在中に「女子のサッカーワールドカップ」がスタートした。 結果は「日本のなでしこジャパンの優勝」で終わった。日本人に勇気と元気を与えてくれた。 ドイツ人が「親日的」であるかは分からないが、アメリカとの対戦は、日本を応援してくれていた印象はある。 「ドイツ人は親米的」では決してないと私は思う。ドイツに進出した、アメリカのウォルマートは結局ドイツから撤退を迫られた。その理由をいくつか「seisenkobo」のHPのレポートを引用させていただき、現地を視察して確かめてみた。 ウォルマートはなぜドイツから撤退したのか ウォルマートのドイツ撤退が示したヨーロッパ企業の底力 http://www.seisenkobo.co.jp/doc/walmart-germany2006.htm より引用 2006年夏、ドイツからの撤退を決めたウォルマート、アジアや中南米よりも民族的にも歴史的にも繋が
エレン・フォン・アンワース(Ellen Von Unwerth)は、1954年、ドイツのフランクフルト生まれのフォトグラファー。20歳のときにモデルとなり、パリのエリート・モデル・マネジメントに所属し10年に渡って活躍。1984年に雑誌の撮影でケニアを訪れた際、自身で撮影した写真がジル誌に6ページにわたって掲載されたことが転機となりフォトグラファーを目指す。その作品を気に入ったキャサリン・ハムネットがアンワースにキャンペーンビジュアルを依頼したことでファッション・フォトグラファーとしてのキャリアが始まった。クラウディア・シファーを起用したゲスのキャンペーンなどが話題となり、一躍トップフォトグラファーに仲間入り。コケティッシュな女性像を明るくナチュラルに切り取るスナップショットはそれまでの女性像を大きく変えた。1991年にインターナショナル・フェスティバル・オブ・ファッションフォトグラフィー
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く