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大学に関するTomosugiのブックマーク (49)

  • なんだこの大学

    京大の話。 僕は一浪して入った。が、京大をこの一年の目標としてきたことを早くも後悔し始めてきた。 リアルに中退の妄想をしている。まだ入学式にも行ってないのに。 新歓でガイダンスで、何人もの同級生や上回生に出会った、しかし話してるとみんなホントに何しに大学来たの?と聞きたくなる・・・ 何がパラダイスだよ、ふざけるなよ。 単位は適当に取得して、あとはサークルしてコンパやってバイトで社会経験して、一流企業へ? それとも途中からダブルスクールして会計士ですか。 ・・・大学行く意味を感じることができない。 別にそれが「悪い」と言うほどガチガチじゃないつもりだけどさ、当にこれでいいの? それともこんなこと書いてる俺にしたって前期終わるころにはそういうメンタルになってるのかな。 どうやら東京や一橋や大阪に行った所で解決する問題でもないようだ。友達の話聞いてると。 勉強するのにこれだけ恵まれた環境って、

    なんだこの大学
  • スポーツ推薦で入学したけど失敗したな、という人と、その親御さんへ

    【240407編集しました】 当初はベタ打ちの記事でしたが、あまりにも可読性が低いので見出しに記法を用いました。 今見返すと修正したいところは多々あるのですが、明らかな誤記(退学届→退部届)の修正、追記日付の補記を除き、情報が陳腐化している箇所なども含め、そのままにしています。 スポーツ推薦で高校に行く人がどれくらいいるか知らないが、行ったはいいけど馴染めない、中退して想定していたルートから脱落する、最悪の場合自ら命を絶ってしまうという人は(残念ながら)少なからずいる。 私もスポーツ推薦で高校に行った。 中学へスカウトにきた顧問は、週に1日は休み、練習も平日は2時間、勉学の時間も大事にする、著名な大学にも推薦で行けると熱弁した。 私は技量はあったが体力がなく、すぐ高熱をだすようなひ弱な中学生だった。スポーツ推薦なんか到底無理と思っていたが、休みがあるなら、その先があるなら、三年間だけ頑張っ

    スポーツ推薦で入学したけど失敗したな、という人と、その親御さんへ
  • 研究者を志して、諦めた俺と諦めなかった人の10年後の現在

    俺、地帝→東大院(生物学専攻) 10年前、研究者を志し研究に励んでいた。しかし当時たまたま知り合った先輩(玉木浩貴、自称:国立印刷局の研究職候補)が「博士課程にメリットはなく、正規の研究者(アカポス)になれない」などと博士課程を卑下した発言を何度も繰り返しており、だんだんと感化されるようになった。結局それなりの研究実績はあったものの、大学院を去り、就職した。 一方で、研究が楽しいとそのまま大学院で研究を続けた周囲の学生・ポスドクの人達がいた。 当時は自分の選択は最良と思っていた。周りのように、今が楽しいからと厳しい現実を逃避し、なれもしないアカポスに憧れるのは哀れだと思っていた。 そしてそれから10年が経過。現在の状況は次の通り。 <大学院で研究を続けた周囲の学生・ポスドクの今(大学・大学院の所属研究室で自分より±3学年)> ・東北大学 教授 ・東北大学 准教授 ・東北大学 講師 ・東北大

    研究者を志して、諦めた俺と諦めなかった人の10年後の現在
  • 膿がたまっていく

    甘ちゃんの高卒無職がゴミみたいな人生を振り返るだけのエントリなので、あんまり読まない方がいいです。 人生がよくわからなくなってしまった。 高校を出て、役者を目指して4年。 花は咲かなかった。 蕾すら無かったのかもしれないが。 同世代の奴らが大学生活を終えて社会に出る時までには夢を叶えようと思っていた。 今年だ。 22歳になってしまった自分には何もなかった。 そもそも役者を目指した理由すら思い出せない。 貧乏なのに兄妹が多い家で、大学は学費がかかるとか思い込んでたから金のかからない進路にしたいと思っていて、メンヘラ彼女と同じ大学に進むため勉強漬けで娯楽を禁じられていた自分は解放感から突飛な進路を選択したのかもしれない。 まあ、それでも学んだことは学んだ。 自主練はサボりまくったけど、結果として「演技は自分には難しい」ってハードルが建設された。 「もうこの道への気持ちは向かないんだろうな」と思

    膿がたまっていく
  • たぶん、あなたの8年ぐらい前に修士にいた人間からの助言ですが、

    たぶん、あなたの8年ぐらい前に修士にいた人間からの助言ですが、 はっきり言って、あなた、それ、何も心配しなくていいよ。超大丈夫。 一応、いろんな、修士の学生さんみてきたけれども、 特に文系は大概の人が、6月ごろにプチになるから。 だって、学部の頃とぜんぜん違う能力が求められるってことに気づくのが、 だいたいみんなそのぐらいのタイミングなんだよね。 学部の時はすごく優秀だったけれど、修士に行って憂になって、 でやめてしまう人、たくさんいます。 大学院の制度にも、あなたにも問題がないわけじゃないだろうけど それは、無能だった訳じゃなくて「相性が悪かった」んです。 学究の道、そのものと相性が悪かった可能性もあるけど、 単に、設定したテーマや、環境の掛け違いだった可能性も大きい。 大学院って、そういう場所なんです。 そうならない人のほうが珍しい。そう思って下さい。 そういう人、たくさん見てき

    たぶん、あなたの8年ぐらい前に修士にいた人間からの助言ですが、
  • 学振DC1を本気で狙うためにすべき4つのこと

    『学振は学生の優秀さとは無関係だから。全ては指導教官の政治力とかコネで決まるの。 』と誤解しているあなたへ、そして、博士課程進学と学振(特別研究員)DC1申請を気で考えているあなたへ贈ります。 1. あなたは、自分が我が国トップクラスの優れた若手研究者になるという気概を持つべきです。 特別研究員制度は、我が国トップクラスの優れた若手研究者に対して、自由な発想のもとに主体的に研究課題等を選びながら研究に専念する機会を与え、研究者の養成・確保を図る制度です。 (特別研究員−日学術振興会) 学振に落ちる人のほとんどは、トップを目指す覚悟が足りません。東大や京大に学振の採用者が多い理由の一つがここにあって、我が国トップクラスの大学にいるという自信が気概を生んでいるのではないでしょうか。『うちの大学からの採用者なんてほとんど居ない』と嘆くあなたは、東大の、MITの院生にも負けない自信を持っていま

    学振DC1を本気で狙うためにすべき4つのこと
  • 28歳大学院既卒博士童貞無職職歴ゼロ、地蔵になる。

    都内某社へプログラマの採用面接に赴く。就職斡旋屋から紹介された中小企業である。おれはプログラミングの経験が皆無だったから採用されることはまず無いだろうと考えていたが先ずは課題を解いてみろと斡旋屋は云う。事と睡眠時間とその他日常の雑事を犠牲にして一ヶ月ほどで解き終わる。完了した旨を斡旋屋に報告するとあれよという間に面談の日取りを決めてきた。当日、朝からぱらついていた雨は、正午前には止み、蒸し暑い晴天へと変わっていた。都内のオフィスを訪れたおれは、こじんまりとした会議室に通された。ひとりのおとこが入ってきて、ここで一番えらいエンジニアだと名乗った。面接開始である。こちらが名乗ったのだからお前も自己紹介しろとおとこが云うのでおれも名を名乗り、用意してきた志望動機やキャリアヴィジョンをよどみなく述べた。斡旋屋と打ち合わせした通りの模範的な回答である。しかし面接官氏はそれが気に入らないらしくおれ自

    28歳大学院既卒博士童貞無職職歴ゼロ、地蔵になる。
  • おっ、仲間だ! 俺はしばらく前に数年高専教員やって、脱出成功していま大..

    おっ、仲間だ! 俺はしばらく前に数年高専教員やって、脱出成功していま大学教員やってる 高専教員も2種類いて、当にバリバリやってた研究者先生と、地元国立大学位取得で高専教員なった先生といた 増田はどっちかわからないけど、旧帝大出のバリバリだったら苦しいと思う 心中お察しする 大学受験、大学生活、院生生活、ポスドク生活、歯をいしばって頑張ったのは、こんな縁もゆかりもないクソ田舎で(研究もろくすっぽできず)暮らすためなのか、と思うと涙が出た 1年目の冬くらいかな、そう思い出したの とにかく研究費がなくてつらい 周りの先生が学生をバカにし過ぎでつらい 学生は総じて、勉強しないだけで頭は良かった 高専生がダメだダメだという教員を見て、お前らの教育がダメだからダメになっとるんちゃうんかとしか思えなかった 中学時代にあんなに頭いいやつしか入れないのにね 高専の宝は高専生しかないのにね 悔しかったなー

    おっ、仲間だ! 俺はしばらく前に数年高専教員やって、脱出成功していま大..
  • メモ - 高卒が大卒の所得を上回る——文系大卒のレッドオーシャン化

    最近「下手な大卒より高卒のほうが雇用市場で人気がある」という記事が出ていた1。この現象について、ある𝕏erは「日は高卒で得られる程度の知識で足りるような産業しかなくなったということなんでしょうね。日、終わっている」と日特有の現象としている。 「大卒=負け組」の時代到来!? 超売り手市場で「高卒就職者」の需要が急増! https://t.co/qYzQoPqi5k 「下手に知恵を付けている大卒者より、高卒者の方が伸びしろが期待できる」もはや日は高卒で得られる程度の知識で足りるような産業しかなくなったということなんでしょうね。日、終わっている — 田口善弘 (@Yh_Taguchi) July 23, 2023 しかしながら、「下手な大卒より高卒のほうが所得が高くなる」という話は、実はアメリカでも同じような現象が見られ、日に限った話ではない。むしろ、アメリカでずっと言われていた現

    メモ - 高卒が大卒の所得を上回る——文系大卒のレッドオーシャン化
  • 博士号取得体験記(社会人早期修了) - 私と理論

    2023年3月24日,筑波大学で博士(工学)を取得しました. 社会人早期修了というシステムによって,会社で書いた論文を業績として使うことで1年で博士号を取ることができました. 少し珍しいパターンでの博士号取得だと思いますので,自分の備忘録も兼ねて体験記を書きます. なぜ修士卒業時に博士課程に行かなかったのか なぜ博士号を取るのか どこで博士号を取るか なぜ社会人早期修了プログラムを使うのか 具体的な経過 2021/8 2021/9 2021/10 2021/12 2022/1 2022/2 2022/3 2022/4 2022/5, 6 2022/7 2022/8 2022/9 2022/10 2022/11 2022/12 2023/1 2023/2 2023/3 終わっての感想 今後 なぜ修士卒業時に博士課程に行かなかったのか 理由は簡単で,博士課程でやっていくのはキツそうだな〜と思っ

    博士号取得体験記(社会人早期修了) - 私と理論
  • [サッカー]欧州にはいない「大卒のA代表」が日本でたくさん出てくる理由

    サッカーは三笘選手など「大卒後、トップクラスに上り詰める」選手が多い。よく「欧州と比べると珍しい」「欧州ではありえない、だから日サッカーのレベルは低い」という話に繋げる人が居るが、ではなぜこういう事象が起きるのか解説する。 理由1:日には欧州にはない「カレッジスポーツ」の仕組みがある何よりこれである。アメスポ文化の国ではカレッジスポーツは珍しくなく、例えば野球のMLBでは全体の4割が大卒だ。 日もその仕組みは当然あり、高卒後即プロになってもいいし、大学を経てプロになってもいい。どちらも選択できるのだ。 一方、欧州各国にはその仕組みはない。大学進学後にスポーツを行いたいのなら、その地域の小規模クラブで趣味レベルで嗜むことしかできないのだ。 だから欧州のプロサッカー、いやプロスポーツ選手はみな高卒だし、高卒後大学に進学してその後プロを目指すと言う選択肢自体が存在しないのだ。 理由2:

    [サッカー]欧州にはいない「大卒のA代表」が日本でたくさん出てくる理由
  • 大学ってもっとすごいところだと思ってた。

    自分は現役で合格したところの大学レベルじゃ満足できなくて 一浪してワンランク上の大学に入った。 そうした理由は学歴を良くしたかったっていうのもあるけど純粋に勉強がしたかった。 自分は天才。天才だからもっと伸ばさないともったいない。 大学って、もっとこう、門外不出の秘伝を教えるところだと思っていたよ。 あらゆることが系統的に、かつ大学に行かなきゃ絶対に学べないようなのがあるんだと。 でもテキストは市販のだしそんなことはない。 質問して教授の知を吸い取ろうとするけど専門外はただのオッサン、底が見える。 これならを乱読したほうがマシなんじゃないだろうか。 教授の質もバラバラだしこれなら「この人だ!」っていう人を探して それぞれの大学に潜り込んだ方がいい(実際に四月からそうしようと思う)。 なんかこう、毎日が発見に溢れていて大学じゃなきゃ知り得ないことがたくさんあって・・・ そんな素晴らしい世

    大学ってもっとすごいところだと思ってた。
  • 働きながら情報系の大学院を修了した|父

    2022年9月末で北陸先端科学技術大学院大学の博士前期課程を修了し、修士(情報科学)が授与された。働きながら通い始めて丸3年かかった。 学位記。大変だったので嬉しい…とても大変だったので学位記が届いたときは万感の思いだった。ただ、このエントリを書いたのは「すげえだろ」とかそういうのとはどちらかと言えば真逆の感情で、僕の修士課程がどのくらい低空飛行でどのくらい誰にでもできることなのかを詳らかにして同じような境遇の人を鼓舞することが目的だ。そのために敢えてみっともない、見栄を張りたいなら書く必要のない恥まで含めてある。学位というものに一抹の未練がある人は是非読んで欲しい。 筆者について進学時36歳、修了時39歳。 職業はソフトウェアエンジニア。2児の父。4流大の文学部卒。 暇な人は過去のエントリに詳しいが、別に読まなくても構わない。 入学まで僕が大学院進学を決意したのは元同僚で友人のさのたけと

    働きながら情報系の大学院を修了した|父
  • 国際教養大、実際に見にいったことあるんだよ。 とても雰囲気がいい大学。..

    国際教養大、実際に見にいったことあるんだよ。 とても雰囲気がいい大学。すれちがった学生が自然に挨拶してくるの。 少人数教育・全寮制だからね。コミュニティーがきちんと機能していて、 学生自身はどう思ってるかしらないが、企業には好印象だろう。 あの大学は、普通の日人学生を、卒業後に英語環境で仕事が出来るよう 四年で育て上げることを第一の目的としている。講義も生活も、百パー英語。 そうしたら、大体想像つくだろうけれど、そんなに難しいこと、できるわけない。 平たく言えば、教育内容は、海外の高校とか短大レベル。 世界地図みてディスカッションしましょうとか。 それだって、留学経験もない普通の高校生には大変キツい。 相当勉強しなくちゃ、ついていけない。そういう意味では、人間ができるかもしれない。 ぱっと見、男子学生はいまひとつだったけれど、 女の子達は真面目にがんばってるタイプが多い印象だった。 企業

    国際教養大、実際に見にいったことあるんだよ。 とても雰囲気がいい大学。..
  • http://web.thu.edu.tw/mike/www/class/Ekkyo/ekkyo2008/09-22-08.html

  • ■ - jun-jun1965の日記

    荒木優太氏から恵贈いただいた『これからのエリック・ホッファーのために』についてアマゾンレビューを書こうかと思ったのだがこっちに書く。 これは、物故者である16人の「在野研究者」の列伝体をとりながら、おもに大学院へは行ったけれど就職がおぼつかないという人を読者対象にして、在野で生きていく心得などがちりばめられている。 16人は、三浦つとむ、谷川健一、相沢忠洋、野村隈畔、原田大六、高群逸枝、吉野裕子、大槻憲二、森銑三、平岩米吉、赤松啓介、小阪修平、三沢勝衛、小室直樹、南方熊楠、橋梧郎である。 列伝としてはよく調べたなあと感心するのだが、どうも引っかかる点がいくつかある。一番は経済的な問題だが、高群や吉野は夫がいるし、熊楠は家の財産がある。小室はうっすいカッパブックスみたいな時にはスカスカのを出していた。大槻もかなり通俗書を出して生計のたしにしていた。また37歳で心中した野村はあまり参考にな

    ■ - jun-jun1965の日記
  •  多分、アカデミズム外の人には馴染みがない話なので誤解があると思うん..

    多分、アカデミズム外の人には馴染みがない話なので誤解があると思うんだけど、今話題になっているケースのポイントは「日学術振興会SPD」、「日学術振興会賞」、「日学士院学術奨励賞」という、全分野共通で若手研究者が獲得できる最高位の評価を三つも取っている研究者ということね。 そういう人でも(分野が悪いという面はあるわけだけど)職がなくて貧困に落ち込むということな訳です。 なので、大半の研究者は「そんなに優秀な人でもそうなるなら、それほどの評価を受けたこともない自分がいつそうなっても全然おかしくない」とブルってるわけ。 研究者なら誰でも職が保証されるべきだ、という話ではない。

     多分、アカデミズム外の人には馴染みがない話なので誤解があると思うん..
  • 夜間大学に行く

    4月から夜間大学に進学する。 今日は引越しのために荷物を整理している。 自分の気持ちも整理しておくと、夜間に通うのは、昼間には入れなかったからだ。その点はもう諦めている。 夜間大学は社会人の人や色々なバックグラウンドの人がいるところだ。 そういう意味では新しい出会いが楽しみだ。 しかし夜間に行った人の声を聞いていると、昼間の学生を見るとコンプレックスが湧いてくるらしい。 昼間の学生は眩しい、と。 社会的に夜間は評価されづらいという声もある。 しかし履歴書では夜間である事をあえて書く必要は無いそうだ。 4年間の学びを修めれば、同じ大学の同じ学部を卒業することに変わりはない。 学ぶ内容に差は無い。だから胸を張って通う。 なんとか4年間耐え忍ぶ。 私は新しいスタートラインに立つ。4年後、この日記を読み返して笑っている自分でありたい。 (追記) 年齢を書かなかったので誤解を招きましたが、10代です

    夜間大学に行く
  • 博士課程の失敗体験談 - わかばめにっき

    はじめに あまり格好のよいことではないのだけど、内省のために書いた文章がそこそこの分量に達したし、誰かにとって有益になるかもしれないと思ったので自分語りをしてみます。軽い話ではないので、そういうのが好みではない人は読み飛ばしてください。 元々は自分向けの文章なので、表現が雑な箇所もあります。また、敬体は文中では用いません。ご了承ください。 研究職を目指したがそれに資する能力と業績が得られなかった 成功・失敗の2つに物事を分けるのは難しいことだが、私の大学院生は総じて見ると失敗だったと思う。研究者として生きていこうとするキャリアの見直し・変更を余儀なくされているのだから、そう判断するのが妥当だろう。それはいくつかの理由に分けられる。正確には、いくつかの要素が影響を及ぼしあう悪循環に陥ってしまっていた。まずはそれらを大雑把にまとめてみる。 失敗要素 1. 業績がない 博士学生に限らず、研究者

    博士課程の失敗体験談 - わかばめにっき
  • 阪大を去るにあたって: 社会学の危機と希望 | Theoretical Sociology

    明日から京大に異動になります。阪大には6年間、助/准教授として働きましたが、当に楽しい6年間でした。 最後に日の社会学に対する危惧を一つ述べておきます。日の社会学の特徴は、アカデミズムの軽視だと思います。すなわち、学会報告や学会誌を軽視しているということです。学会発表もせず、学会誌に論文を投稿もせず、それでも社会学者づらしてを出版したり、さまざまなメディアで発言することができるのが、日社会学の実情です。このようなことが起きるのは、学会報告や学会誌が、新人の登竜門として位置づけられており、その評価が低いからだと思われます。エライ先生はしか書きません。エライので査読を受ける必要もありません。こっそり紀要などに考えを公開することはありますが、人から評価されるのは恐ろしいので、学会誌には絶対投稿しません。出版社もが売れさえすればいいので、研究の水準や主張の真偽は気にしません。エライ先

    阪大を去るにあたって: 社会学の危機と希望 | Theoretical Sociology
    Tomosugi
    Tomosugi 2018/10/09
    あずまんが流れ弾受けかけるがageられるの巻