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批評に関するTomosugiのブックマーク (89)

  • 批評飽きた。

    高校生のとき、『動ポモ』とか『アニメ批評家宣言』とか読んでから、小難しいことをちゃんと考えて、作品を観たら面白い意見を言わなければ、とか思って来たんだけど、もう飽きた。書いても書いても虚しい。ブクマで誉められてもトラバで貶されても面白くない。俺如きの言葉で世の中なんて動かないんだもん。まだVIPで祭りをやっている方がマシじゃないのか。祭りで注目されるとコンテンツに落ちる金増えるんだから。ネットで批評やっても誰の得にもなってない。もうやだ。辞める。辞めて沈黙した消費者になる。大学三年からちゃんと就活する。そんでフツーの社会人になってDVDとかグッズをモリモリ買うオタリーマンになる。もうしらん。もういやだ。溜め込んだ小難しいアニメ研究書も全部処分する。資料と思ってとってあるアニメ誌のバックナンバーもおさらばしてやる。やだやだ。

    批評飽きた。
  • 千葉雅也『エレクトリック』|9で

    千葉雅也の小説作品はそのすべてが同一性と差異をめぐる書くことの試行におもえる。いや、それをいうならむしろ小説というものじたいがそもそも同一性と差異の奇怪なキメラだというべきなのかもしれない。ひとりの書き手により「ただ書かれ」、リニアにつむがれているはずの文章が、気づけばいつのまにか「べつのもの」をふくみこんでいる。小説を書き、あるいは読む体験の神髄とはこの差異を同一性のうちに、あるいは差異のうちに同一性を書き/読みこんでいくことなのではないか。そういえば町屋良平が千葉の第一作『デッドライン』に寄せた名文中の名文「ズラされつづける身体性 千葉雅也『デッドライン』論」(のち文庫版の解説として収録)でも、まさにこのことが取り沙汰されていたようにおもう。 映画と同様にライブシステムの欠如は宿命を帯びたかたちで小説に配置されている。[…]小説を書くということはどれだけ即興性や偶発性に身を委ねていても

    千葉雅也『エレクトリック』|9で
  • 吉本ばななが考える「もっと海外の人に読んでほしい日本の作家」 | 作家の本棚をのぞいてみたら

    作家たちは日々、どんな作品を、どんなふうに読んでいるのだろうか? ベストセラー『哀しい予感』の英訳版が10月に出版されるなど、海外にも多くのファンをもつ作家・吉ばななに、米紙「ニューヨーク・タイムズ」がインタビュー。彼女の濃密な読書体験について聞いた。 最近やっと読み終えた「名作」 ──ベットスタンドにはどんながありますか? ほとんどのKindleで読んでいます。紙のでいうと、管啓次郎の『エレメンタル 批評文集』(2009)や、柴田元幸が編集長を務める文学雑誌「MONKEY」、それから稲田俊輔の『いしん坊のお悩み相談』(2023)が置いてあります。どれも読み応えがあり、何度も読んでいます。 ──最近読んだなかで、いちばん良かったはなんですか? 管啓次郎の『エレメンタル 批評文集』でしょうか。まるで美しい小説のように読めます。前書きは若い人に向けて書かれていますが、それもまた見

    吉本ばななが考える「もっと海外の人に読んでほしい日本の作家」 | 作家の本棚をのぞいてみたら
  • ツッコミスキルの鍛え方

    「ツッコミスキルを鍛えたい!」と世の中のみんながそう思ってる。何故だ?何故なんだ?ツッコミなんてお笑い芸人だけのものだろう?それともあれか、合コントークに使うのか? いやいや。ツッコミというのは「人心掌握術」なのだよ。人を感動させ賛同させるためのな。生きていく上で必要不可欠な存在、それがツッコミスキルなのだよ。 え?「なんでや!ツッコミはそんな大層なもんじゃないやろ!」って?ノンノン、ツッコミは凄いんだ。大層なものなんだ。なのに「ただの間違いの訂正と誤解されている」んだ。 例えば。「なんでや!阪神関係ないやろ!」っていう間違いの訂正。違和感の訴えとも言えるが。まあ、芸のあるツッコミとは言えません。 この場合は相手がツッコミ待ちだからマシだけど、そうじゃない場合には?ツッコミって体(てい)で間違いを訂正したら嫌な顔されたなんてオチが見えますねえw だから間違いの訂正に間違いの訂正をしたい。そ

    ツッコミスキルの鍛え方
  • 【批評の座標 第2回】青春と悪罵――吉本隆明入門(小峰ひずみ)|人文書院

    『共同幻想論』『言語にとって美とはなにか』等で知られ、戦後最大の思想家と呼ばれる吉隆明。日の大衆社会を思考した吉の著作は、いまどう読むことができるのか。政治を語る言葉に切り込んだ著書『平成転向論』をはじめ、ポレミックな批評で話題の小峰ひずみが、その意義をあらためて問います。 批評の座標 ――批評の地勢図を引き直す 青春と悪罵――吉隆明入門小峰ひずみ ある世代の青春そのものであった人間がいる[1]。吉隆明(1924-2012)だ。ある詩人は吉を論じるにあたって、次のように述べている。 「吉、すなわち私たちの世代の青春」 吉に凝縮された青春とは、誰の青春なのか。戦中派だ。戦中派? いつの人? と思われる方も多いだろう。ちょうどいいアニメ映画がある。大ヒットアニメ映画・『この世界の片隅に』だ。この映画の主人公・すずさんこそ、戦中派を生きた人間だ。設定的には、ちょうど吉隆明と一歳

    【批評の座標 第2回】青春と悪罵――吉本隆明入門(小峰ひずみ)|人文書院
  • ゲームに「批評」は存在しないし、これからも存在しないだろう。

    バカが考えもせずに「ゲームに批評なんて必要ない!」ってキレてる姿がよくネットで散見される。 録画してカウチポテトで爆笑しながら鑑賞したいくらいおもしろいバカなんだけど、バカが心配せずとも、批評はどんな分野にも必要で、にもかかわらずゲームに批評は今も昔もこれからも存在しないので大丈夫です。 ゲームで批評が成立しない理由はとてもカンタン。 「あらゆるゲームを網羅しているフリができる人がいないから」。 批評っていうのはつきつめればおもしろいつまらない価値があるこれはゴミだみたいな判断を下すことなんだけど、 じゃあなんのために価値をつけるのか、っていえば、歴史にその作品を位置づけるためです。ここでいう歴史っていうのは何年にスーパーファミコンが発売されて何年にファイナルファンタジー6が出ました、とかそういうカタログの話ではありません。いやまあ、カタログの話と関係ないわけではないんだけど。 で、その歴

    ゲームに「批評」は存在しないし、これからも存在しないだろう。
  • 正直、すごい煽り気味のタイトルではあるが、しかし、それに見合うだけの面白さと説得力がある -春日太一『なぜ時代劇は滅びるのか』を読む- - もちつけblog・はてなブログ版(仮)

    春日太一『なぜ時代劇は滅びるのか』を再読。 なぜ時代劇は滅びるのか (新潮新書) 作者:春日太一 発売日: 2014/09/16 メディア: 新書 内容は紹介文の通り、 かつて映画テレビドラマで多くの人々を魅了した時代劇も、2011年には『水戸黄門』が終了し、民放のレギュラー枠が消滅。もはや瀕死の状態にある。その理由はひとこと。「つまらなくなったから」に他ならない。/「高齢者向けで古臭い」という固定観念、「自然体」しか演じられない役者、「火野正平(=いい脇役・悪役)」の不在、マンネリ演出を打破できない監督、何もかも説明してしまう饒舌な脚、朝ドラ化するNHKの大河ドラマ・・・・・・。 (引用者後略) という内容。 正直、すごい煽り気味のタイトルではあるが、しかし、それに見合うだけの面白さと説得力がある。*1 以下、特に面白かったところだけ。 時代劇はマンネリと言われてしまうの背景 その結

  • 蓮實重彦『見るレッスン』 - やしお

    https://bookmeter.com/reviews/98946402 蓮實重彦が『シン・ゴジラ』をバッサリ否定しているのを見て、その立場だと当然そうなるよね、という気持ち。みんなが面白いと肯定した「官僚のやり取り」も「あんなのない方がいい」と切り捨てている。映画という形態が「画面が時間軸に沿って連なる」もので、そこに対して「どう物体と光とカメラの位置を設定して空間を組み立てるのか」「どこで時間を切ってショットを組み立てていくのか」を考えることが質的に要求されているのだとすると、『シン・ゴジラ』等は全く退屈、という評価になってしまう。 様々な映画で「このショットが素晴らしい」といった指摘はされても、それを一般化して「このようなものは素晴らしい」という言い方は全くされないので、蓮實重彦の価値判断を「学習する」というのは難しい。指摘された「素晴らしいもの」と「そうでないもの」を実際に見

    蓮實重彦『見るレッスン』 - やしお
  • 『ドライブ・マイ・カー』感想〜赦すための怒りをやり過ごしてしまった絶望と悲しみを乗り越えずに受け入れる - 太陽がまぶしかったから

    『ドライブ・マイ・カー』感想 舞台俳優であり演出家の家福(かふく)は、愛するの音(おと)と満ち足りた日々を送っていた。しかし、音は秘密を残して突然この世からいなくなってしまう。 2年後、広島での演劇祭に愛車で向かった家福は、ある過去を抱える寡黙な専属ドライバーのみさきと出会う。 悲しみと“打ち明けられることのなかった秘密"に苛まれてきた家福は、みさきと過ごすなかであることに気づかされていく――。 ドライブ・マイ・カー インターナショナル版 [Blu-ray] 西島秀俊Amazon 『ドライブ・マイ・カー』を配信で観た。村上春樹の『女のいない男たち』内の短編を原作にしているし、周りの評判も良かったので観たかったのだけど、上映時間3時間に日和って配信になるまで待った。正直なところで導入部分は話が見えず、退屈に感じてしまったところもあるのだけど、アバンタイトル以降から流れる瀬戸大橋や広島の街並

    『ドライブ・マイ・カー』感想〜赦すための怒りをやり過ごしてしまった絶望と悲しみを乗り越えずに受け入れる - 太陽がまぶしかったから
  • けもフレの民は響鬼路線変更問題の真相を教訓とすべき

    もはやけもフレオタ達はけもフレ2に関わる人間すべてを狩猟対象としているが、 ここで古のオタクが思い出すのは仮面ライダー響鬼路線問題である。 響鬼は平成ライダー第一作である仮面ライダークウガの生みの親、高寺プロデューサーが指揮を取り 斬新かつ人の温かみを感じる作風から支持されていたシリーズだったが、 それが放送途中で高寺Pが急遽降板。 白倉プロデューサーと脚井上敏樹といういつもの座組に変更され、 作風も大きく変わり、自然を主な舞台としていたのが街中に変わり、 ドラマより戦闘シーンが増え、嫌味な新キャラが投入された。 この路線変更に前期の作風に惹かれていたオタは激昂。 公式ブログにスタッフやキャストへの誹謗中傷が書き込まれけ、各所掲示板は荒れに荒れた。 その中でも白倉Pと井上敏樹は最大の戦犯とされ、これ以降長い間アンチのやり玉に挙げられ続けるのだった。 しかし、この騒動には一つのオチがある。

    けもフレの民は響鬼路線変更問題の真相を教訓とすべき
  • 大学ってもっとすごいところだと思ってた。

    自分は現役で合格したところの大学レベルじゃ満足できなくて 一浪してワンランク上の大学に入った。 そうした理由は学歴を良くしたかったっていうのもあるけど純粋に勉強がしたかった。 自分は天才。天才だからもっと伸ばさないともったいない。 大学って、もっとこう、門外不出の秘伝を教えるところだと思っていたよ。 あらゆることが系統的に、かつ大学に行かなきゃ絶対に学べないようなのがあるんだと。 でもテキストは市販のだしそんなことはない。 質問して教授の知を吸い取ろうとするけど専門外はただのオッサン、底が見える。 これならを乱読したほうがマシなんじゃないだろうか。 教授の質もバラバラだしこれなら「この人だ!」っていう人を探して それぞれの大学に潜り込んだ方がいい(実際に四月からそうしようと思う)。 なんかこう、毎日が発見に溢れていて大学じゃなきゃ知り得ないことがたくさんあって・・・ そんな素晴らしい世

    大学ってもっとすごいところだと思ってた。
  • 宮崎駿のマンスプレイニング、底の浅い女性観

    旧TVアニメ版『うる星やつら』が終了した後、水曜日19時30分の放映枠では、同じく高橋留美子作品である『めぞん一刻』が放映された。 この時、雑誌『アニメージュ』では、何人かのクリエイターたちに「『めぞん一刻』のアニメ化についてどう思うか?」というインタビューを行い、それを記事として掲載した。 『アニメージュ』は、風の谷のナウシカの原作を連載していた雑誌なので、当然のように宮崎駿にも意見を聞いたのだが、宮崎の語った内容が、実に気持ち悪かった。 宮崎駿曰く「『めぞん一刻』なんて、五代くんが管理人さんを押し倒しちゃえば、それで終わる話なんですよ」という、正確な文面ではないかもしれないが、大体そういう言葉だった。語尾には「(笑)」も付記されていたように記憶している。 宮崎駿に限らず、昭和時代の男性クリエイターたちは、こういった「無理やり手籠めにしてしまいさえすれば、最終的に女性は男になびくもの」と

    宮崎駿のマンスプレイニング、底の浅い女性観
    Tomosugi
    Tomosugi 2022/10/16
    宮崎駿が24歳で結婚した昭和40年は見合い結婚と恋愛結婚の比率がちょうど半々。ここに書かれているような前時代的にあ男女観、人間観の持ち主でも不思議ではない
  • アカデミー賞という田舎者たちの年中行事につき合うことは、いい加減にやめようではないか|些事にこだわり|蓮實 重彦|webちくま

    蓮實重彥さんの短期集中連載時評「些事にこだわり」第7回を「ちくま」5月号より転載します。2022年3月、北米の一角のお祭り騒ぎと無縁に起こってしまった真の映画史的損失について――。 一応は大スターと呼んでおこうウィル・スミスさん――新聞の表記に従う――によるさるコメディアンの顔面平手打ち事件で記憶されることになりそうな今年のアカデミー賞授賞式だが、それ以前から令和日のマスメディアはかなりの盛りあがりを見せていた。それは濱口竜介監督の名前が複数の部門に候補として挙げられていたからにほかなるまいが、いったんノミネートされたからには貰っちゃうにこしたことはないのだから、『ドライブ・マイ・カー』(二〇二一)で「国際長編映画賞」を手にして、お前さんがオスカーかよとつぶやいた濱口監督にとって、それはひとまず目出度いことだったといってよかろうと思う。 おかげで、日国の某官房長官までがしゃしゃり出て、

    アカデミー賞という田舎者たちの年中行事につき合うことは、いい加減にやめようではないか|些事にこだわり|蓮實 重彦|webちくま
  • 「公式が勝手に言ってるだけ」からはじめる文学理論半世紀

    最近、二次元に魂を奪われ二次創作に萌える二次豚とでも呼ぶべき存在どもが、「公式が勝手に言ってるだけ」「原作とアニメで言ってないだけ」という種類の鳴き声を発明した。 歴史学などの一部学問においてはこうした態度が倫理的に要請されてきた、ということはニコニコ大百科でも指摘されているが、そもそもこうした態度はここ半世紀ほど「文学」「テキスト」「作品」といった物事を専門家が語るために用いられてきたものがほぼ起源であろうと思う。「テクスト論」と呼ばれるものがそれである(構造主義の話はしません)。 すなわち「勝手に言ってるだけ」「言ってないけど言ってる」は、文学者がこの半世紀格闘し続けてきたテーマなのである。ちなみに稿は、加藤典洋『テクストから遠く離れて』をなんとなく参考にして書かれたので、興味のある方はそちらも読まれるとより楽しいかと思う。 さて、半世紀ほど前まで、たとえば夏目漱石の作品を批評する、

    「公式が勝手に言ってるだけ」からはじめる文学理論半世紀
  • 新人賞で落選しちゃった、という読切マンガをネットで見た。これで落選するの?と驚いたー「何をするお話なのか」が分かるログラインの重要性

    Rootport🍽 @rootport Q.「ログライン」って何? A. ストーリーを1~2行でまとめたもの。たとえば友達に好きな映画やマンガを勧めるときに、長々とあらすじを解説しても飽きられちゃうでしょう?一発で友達に「見たい!読みたい!」と感じさせるような一言の紹介。「何をするお話なのか」が分かるもの。それがログライン。 2022-02-05 20:36:53 Rootport🍽 @rootport たとえば『鬼滅の刃』なら「心優しい少年が、家族を鬼に皆殺しにされてしまうが、鬼化した妹を人間に戻すために親の親分を倒しに行くお話」だ。『ヒロアカ』なら「誰もが超能力を持ちヒーローが当たり前に存在している時代に、何一つ能力を持たない男の子がスーパーヒーローを目指すお話」だ。 2022-02-05 20:40:22

    新人賞で落選しちゃった、という読切マンガをネットで見た。これで落選するの?と驚いたー「何をするお話なのか」が分かるログラインの重要性
  • 紅白に対して止まない非難に対する私見、および演歌歌謡曲の冷遇に対する改善案も提示する - イマオト - 今の音楽を追うブログ -

    昨年の『NHK紅白歌合戦』(NHK総合ほか)に対し、あたかも"くさす"メディアが少なくありません。また先日、『NHK紅白歌合戦』の過去の司会担当者が同種の発言をラジオで行っていたようです。しかしそのような論調には主にふたつのポイントがあり、そのどちらにも異を唱えないといけないと感じています。 (個人的な違和感を記すならば、主に前半に登場した歌手の歌唱時間の短さの一方でSDGs紹介等に長尺が割かれたことがひとつ。そして司会の方によるパフォーマンス後の歌手への賛辞において語彙が多くないことや、その司会の方がいじられることを面白がる風潮にも。いじる/いじられに関しては、その演出手法が司会を著名にしたきっかけであれ、そういう笑いが今も日の風潮だと世界に示した点に引っ掛かりを覚えます。) 一部メディアが紅白を非難する要因として掲げているのが視聴率、そして演歌歌謡曲の少なさでした。視聴率においては、

    紅白に対して止まない非難に対する私見、および演歌歌謡曲の冷遇に対する改善案も提示する - イマオト - 今の音楽を追うブログ -
    Tomosugi
    Tomosugi 2022/01/18
    もうちょっと身の丈にあった言葉づかいで書いたものを読みたい。最初の文章からもう。。
  • 2021:再起動の前に——リベラル、シラス、文学(7000字)|あいけ

    これを読んでいるということは、とりあえず今年も生き延びましたね。みなさんお疲れ様でした。 ほとんど文章を書いたりせずインプットに集中できた1年でした。2022年もまだまだお勉強に充てるぞ~とは思いつつ、いろんな人からいろんな知識やノウハウを授かっているので、さすがにそろそろ再起動して成果物を発生させていくべきか。まあぼちぼちやります。もし「こういうやつ読みたいからおまえ書け」みたいなのあれば教えてください。 以下、2021年の個人的総括をつらつら書いていきます。 SNS:ポストモダンもどきの中道旋回?今年もTwitterという暗黒世界は大変でした。僕はそういうのをわりと覚えている気持ち悪い炎上ウォッチャーなので、話題になったトピックを順不同で列挙してみましょう(「炎上」以外の案件も入ってますが)。 ●北村・呉座オープンレター騒動(+與那覇・辻田) ●DaiGoの差別炎上からの東大教授田由

    2021:再起動の前に——リベラル、シラス、文学(7000字)|あいけ
  • ブライアン・イーノ エリック・タム その2 - 本と奇妙な煙

    アート・スクールでの教育 垂直の構造 「非ミュージシャン」であること アンビエント音楽 シンセサイザー、ギター インスピレーション 音声詩 自由な個人 「アート・ディケイド」「センス・オブ・ダウト」 前回の続き。 ブライアン・イーノ 作者:エリック タム 水声社 Amazon アート・スクールでの教育 イーノは、アート・スクールでの教育が「制作のプロセス」に重きを置いて行われていたことを強調している。芸術的行為の残留物である作品よりも、芸術のプロセスに宿るコンセプトのほうがより重要であるというのが、一九六〇年代の前衛の哲学の主要な提言であった。このような状況の中でイーノは、時代の風潮にぴったり合った研究作品を制作した。イプスウィッチの録音機器を用いて、彼は最初の音楽的作品を作った。それは大きな金的属性のランプシェードを叩く音を録音し、そのテープの再生速度を変化させたものだった。その結果とし

    ブライアン・イーノ エリック・タム その2 - 本と奇妙な煙
  • 日常のコギト:命がけの飛躍

    February 07, 2007 命がけの飛躍 柄谷行人の「論座」でのインタビューを読了。 なにせインタビューだから非常に短い。だから、「読了」なんて偉そうなことを言うほどのことではない。 しかも、いくら柄谷ファンを自認しているとは言え、インタビューが載っている程度でを買ってしまうことは非常に稀である。 まして、「論座」。 僕にとっては「週刊少年ジャンプ」と同一直線上にある雑誌だ。 もちろん、難易度の話ではない。 玉石混淆の度合いである。 例えば、 「僕は「こち亀」が読みたい。できるだけ早く読みたいから、単行になる前の「ジャンプ」の連載を読む。けれど、ジャンプには、僕の苦手な「ONE PIECE」などが載っている。特に読みたくないしな...。うーん、ジャンプを買おうか、買うまいか...。買わない!」 という思考である(実際、週刊少年ジャンプは20年近く読んでない。すみません)。 「現

  • 純文学論争再論 - 感情レヴュー

    批評という営為は―私に限っては今はクレーマーに甘んじているわけだが―場を作ることだと思っている。 最近、Twitterで「ジャンル間の階級制の問題」(小谷真理)が話題になった。事の発端は、村田沙耶香や川上弘美、笙野頼子ら純文学に属するとされる作家のことを、フェミニズムSFとみなしてもよいのではないかといった議論にある。 純文学と、SF等のエンターテインメント文学の関係。両ジャンルは、これまで様々議論されてきたが、2000年前後の純文学論争(平成純文学論争とする)の頃に斎藤美奈子が放った発言―「かつての文学なり純文学が持っていた地位の高さはもうない。ディレクトリが一個下になった。ミステリー、ホラー、あるいはSFがあるように純文学がある」(『群像』2001・3)―に象徴されるように、「ジャンル間の階級制の問題」は解決されたはずだったが、必ずしもそうとはいえないという見方もあるようだ。 平成純文

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