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哲学に関するTomosugiのブックマーク (59)

  • 冷凍食品を「手抜き」と感じてしまう人こそ読んでほしい、哲学者・三浦哲哉と國分功一郎が語る「自炊」の奥深さ

    おくだ・ゆい/1975年生まれ。東京大学卒業。ダイヤモンド社入社後、ウェブ担当、週刊ダイヤモンド記者、ザイ編集部を経て独立。同社刊行物、人材開発教材、同社オンライン、ハーバード・ビジネス・レビュー・ネットの記事作成や編集、プレジデント社での記事作成、誠文堂新光社「アイデア」での翻訳をはじめ、経営・経済・ビジネス関連書、教育、芸術書のライティングや編集を行っている。 ネクストリーダーの道標 偉大なイノベーターに共通する要素は、「新しい組み合わせを発想する能力」と「その発想に価値があるかどうかを洞察する能力」である。この2つの能力は1人の人間が兼ね揃える必要はない。アップルにはジョブズ氏とウォズニアック氏がいて、ソニーには井深大氏と盛田昭夫氏がいた。しかし両者共に必要な素質はある。それは「知的好奇心」である。作家のダニエル・ピンク氏は名著と名高い『ハイ・コンセプト』において、新しい時代の思考法

    冷凍食品を「手抜き」と感じてしまう人こそ読んでほしい、哲学者・三浦哲哉と國分功一郎が語る「自炊」の奥深さ
  • 数学の定義は本当に厳密で一意なものと言えるのか気になりました

    たとえばユークリッド幾何学での直線は「幅をもたず、両側に方向に無限にのびたまっすぐな線」だそうですが、これも「幅」とは?「(幅を)持つ」とは?両側とは?「方向」の定義は?「無限(限りが無く)」とは?そもそも「限り」って何?「のびる」とは?「まっすぐ」とは?「線」と結論づけるのは循環論法じゃないの? と突っ込む人にとっては厳密ではなくなっていませんか? ここで、これらの言葉の意味は、国語辞典に載っている意味と同じものだよなどといおうものなら、それこそ数学の厳密性を否定したようなものになってしまっていると思います。 たとえば「方向」を調べたら「向くこと」とでます。これを調べると「物がある方向を指す」というふうに出ます。これは循環論法に陥ってますし、「物の正面があるものに面する位置にある」という別の語釈もありますが、物とは?正面とは?面するとは?位置とは?となります。これを繰り返せば結局どこかで

    数学の定義は本当に厳密で一意なものと言えるのか気になりました
  • なぜ柄谷行人は賞金1億円超の哲学賞を受賞したのか─哲学誌「ノエマ・マガジン」編集長に聞いた | 「柄谷は、さまざまな境界を越える独創的な思想家」

    ──バーグルエン賞では、選考委員はどんな議論をして受賞者を決めるのですか。 選考委員はバーグルエン研究所から独立して受賞者の選考をしているので、選考委員ではない私は、今回の賞の選考の際にどんな議論があったのかは知りません。毎年、代わり番で6人の有識者に選考委員を務めてもらっています。2022年度の選考委員長は神経学者のアントニオ・ダマシオでした。 この哲学賞の目的の一つは、西洋の思想家だけでなく、西洋以外の地域、とくにアジアの思想家にも目を向けることです。それで選考委員会には、中国人哲学者の汪暉(ワン・フイ)と、香港出身で現在はドイツ在住の哲学者ユク・ホイの2人のアジア系の選考委員もいます。柄谷をノミネートしたのは、この2人でした。 柄谷の思想でとくに評価されたのは次の2点です。一つは、哲学が生まれたのはアテナイではなく、その前の古代イオニアの「イソノミア(無支配)」から生まれたという着想

    なぜ柄谷行人は賞金1億円超の哲学賞を受賞したのか─哲学誌「ノエマ・マガジン」編集長に聞いた | 「柄谷は、さまざまな境界を越える独創的な思想家」
  • 嗜好品は思考に不可欠な「孤独」を生み出す。哲学者・國分功一郎 | DIG THE TEA

    酒、タバコ、茶、コーヒー……栄養の摂取ではなく、覚醒や鎮静を得るために口にするものを、われわれは「嗜好品」と呼ぶ。人類はなぜ、一見すると生存に不可欠ではなさそうな嗜好品を求めるのだろうか。 そもそも「嗜好品」は日語に特有で、他国語に訳出するのが難しい不思議な言葉だ。初めてこの言葉を使ったのは、森鴎外と言われる。1912年に発表した短編小説『藤棚』で、嗜好品を「人生に必要」で、「毒」にもなるものと表現した。薬にも毒にもなる、曖昧さと両義性をはらんだ「嗜好品」。『DIG THE TEA』では連載シリーズ「現代嗜好」を通じて、嗜好品が果たす役割やこれからのあり方を、第一線の知識人との対話を通じて探っていく。 第2回は、哲学者の國分功一郎をたずねた。博士論文を書籍化した『スピノザの方法』から近刊『はじめてのスピノザ』まで一貫して研究してきたスピノザ哲学をベースに、政治哲学から『暇と退屈の倫理学』

    嗜好品は思考に不可欠な「孤独」を生み出す。哲学者・國分功一郎 | DIG THE TEA
  • 「運」にどこまで配慮すべきか?(読書メモ:『自由意志対話:自由・責任・報い』) - 道徳的動物日記

    自由意志対話:自由・責任・報い 作者:ダニエル C デネット,グレッグ D カルーゾー 青土社 Amazon 非両立論-楽観的懐疑論者のグレッグ・カルーゾーと両立論者のダニエル・デネットが論争する*1。訳者あとがきでも指摘されているように両者の議論はかなり細かく入り組んでおり、決して入門的なではない(とはいえ、『そうしないことはありえたか?』を読んだおかげもあってか、だいたいのところは理解することができたと思う)。 また、原題は Just Deserts: Debating Free Will(「当然の報い:自由意志について議論する」)であり、自由意志についての形而上学的な議論ではなく Desert(「相応しさ」)についての規範的な議論のほうが主になっている。『そうしないことはありえたか?』を読んだときには「自由意志の話よりも責任の話のほうが主になっているじゃん」と面らったものだが、

    「運」にどこまで配慮すべきか?(読書メモ:『自由意志対話:自由・責任・報い』) - 道徳的動物日記
  • 【書評】『情報の哲学のために』 - 榎本の雑感

    L.フロリディのInformation: A Very Short Introductionがついに翻訳された。 邦題は『情報の哲学のために』である。 原書は2010年にOxfordのVery Short Introductionsシリーズから発売され、11年後の今になってようやく翻訳がなされたわけである。嬉しい。 フロリディの翻訳と言えば今年2月に何かが発売されたような気がしないでもないが、あれは錯覚である。 みんなして同じ悪い夢でも見ていたんだろう、きっと。 その錯覚のせいなのか「フロリディの翻訳」と聞くと若干身構えてしまうが、今回の翻訳はまともである。 翻訳を担当したのは図書館情報学や社会情報学などが専門の塩崎氏と河島氏だ。 情報の哲学が専門ではないものの、わりと近い分野からの翻訳ということで、幻となってしまった彼よりかはよっぽど専門家である。 そして、なんと言っても天下の勁草書房か

    【書評】『情報の哲学のために』 - 榎本の雑感
  • なぜソフトウェアエンジニアの私が哲学をやるのか - しゅみは人間の分析です

    なぜなのか。それは、哲学が役に立つから。ちょっとわけがわからないと思うので、順を追って説明します。 ソフトウェアエンジニアは何をしているのでしょうか。まずはこの問いからです。ソフトウェアエンジニアは、計算機科学、つまりソフトウェアの設計と実装そして運用の技術仕事をします。主な用途は自動化されスケールするシステムの構築です。ではこのシステム、ソフトウェアエンジニアがつくるシステムは何のためのものなのか。たいていは実社会の問題を解決するために作られます。会計システムであれば、会計の効率化、自動で計算や仕分けをしてくれたり、ですよね。ソフトウェアエンジニアは実社会の問題をソフトウェアによる自動化の力を借りて解決します。ここまでは簡単ですね。 それでは、彼らは何を作っているのかみていきましょう。実社会の問題を解決するシステムとは何なのか。これは具体化するときりがないものですが、いくつかの特徴があ

    なぜソフトウェアエンジニアの私が哲学をやるのか - しゅみは人間の分析です
  • 山形浩生の重訳版『方法序説』 - デカルトの重箱

    ながったらしいブログ、読みましたよ(笑)。 山形さんの訳には、一長一短があると思います。 色々と言う割には、いい加減なところもあると感じています。 若い人の中に、山形さんのイデオロギーを無批判に礼賛される方が少なからずいて、ちょっと困ったもんだと思ったこともありました。彼らによると、学者による訳、とりわけ岩波文庫の訳は「ダメ」なんだそうです。 たしかに、岩波文庫の中にも問題の多い訳もありますが、名訳もあると思うのですがねぇ。 村山伝兵衛さま ありがとうございます。ご苦労さまでした。通読する粘りある読者さんが、他に少なくとも3名はいらっしゃるようです、3拍手あるので(汗) 一体どういう方がお読みになっているのでしょう…謎は深まるばかりでございます(汗) ところで、先日私は、T書店T店長にいただいた小冊子『図書 2019年9月号』の巻頭エッセイ「当はバージョンが二つ作れたらいい」(岩波書店

  • 日常のコギト:命がけの飛躍

    February 07, 2007 命がけの飛躍 柄谷行人の「論座」でのインタビューを読了。 なにせインタビューだから非常に短い。だから、「読了」なんて偉そうなことを言うほどのことではない。 しかも、いくら柄谷ファンを自認しているとは言え、インタビューが載っている程度でを買ってしまうことは非常に稀である。 まして、「論座」。 僕にとっては「週刊少年ジャンプ」と同一直線上にある雑誌だ。 もちろん、難易度の話ではない。 玉石混淆の度合いである。 例えば、 「僕は「こち亀」が読みたい。できるだけ早く読みたいから、単行になる前の「ジャンプ」の連載を読む。けれど、ジャンプには、僕の苦手な「ONE PIECE」などが載っている。特に読みたくないしな...。うーん、ジャンプを買おうか、買うまいか...。買わない!」 という思考である(実際、週刊少年ジャンプは20年近く読んでない。すみません)。 「現

  • ANTINOMY

  • 【 #ゲンロン友の声|021 】哲学は平易な言葉で要約できますか

    「頭がいい人は難しいことをバカにでもわかるように話せる」という話を聞いたとき、難しいことにも色々あって、簡単にできるものとできないものがあるだろうと思ったのですが、難解な言葉が並んだ哲学書はどっちなんだろう、と思いました。東さんは平易な言葉で要約するのがとても上手い印象がありますが、東さんの手にかかれば、ほとんどの哲学書は高校生にも分かる言葉でパラフレーズされてしまうのでしょうか?(奈良県・20代・男性・非会員) ご質問ありがとうございます。結論からいうと、哲学は前者、つまり「簡単な言葉で表現できるもの」だと思います。ただ、簡単な言葉で表現したら簡単になるかといえば、そう簡単なものでもない。 ぼくはしばしばいうのですが、哲学は観光ガイドに似ています。旅行の前にガイドを読む。どこに行くとなにがあって、それはどんなもので、そこに行くにはこのバスを使えとか地下鉄のほうがいいとか時間がかかるから気

    【 #ゲンロン友の声|021 】哲学は平易な言葉で要約できますか
  • 「なぜ人を殺してはいけないのか?」に対するニーチェの答えが「すごい」と騒がれているが、実はもっとぶっ飛んですごい|ふろむだ@分裂勘違い君劇場

    「なぜ人を殺してはいけないのか?」に対するニーチェの答えが「すごい」と騒がれているが、実はもっとぶっ飛んですごい 『たまたま「これがニーチェだ(永井均)」を読んでいたら「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いにニーチェがどう答えたかという話があったので一部引用してみます。』 という小野ほりでいさんのツイートに対し、「ニーチェの答えがすごい」というコメントがいくつも寄せられています。 その小野ほりでいさんのツイートで引用されたのは永井均『これがニーチェだ』の以下の部分です: この問いに不穏さを感じ取らずに、単純素朴に、そして理にのみ忠実に、答える方途を考えてみよう。相互性の原理に訴える途しかないー きみ自身やきみが愛する人が殺される場合を考えてみるべきだ。 それが嫌なら、自分が殺す場合も同じことではないか、と。だが、この原理は、それ自体が道徳的原理であるがゆえに、究極的な説得力を持たない

    「なぜ人を殺してはいけないのか?」に対するニーチェの答えが「すごい」と騒がれているが、実はもっとぶっ飛んですごい|ふろむだ@分裂勘違い君劇場
  • BLOGOS サービス終了のお知らせ

    平素は株式会社ライブドアのサービスを ご利用いただきありがとうございます。 提言型ニュースサイト「BLOGOS」は、 2022年5月31日をもちまして、 サービスの提供を終了いたしました。 一部のオリジナル記事につきましては、 livedoorニュース内の 「BLOGOSの記事一覧」からご覧いただけます。 長らくご利用いただき、ありがとうございました。 サービス終了に関するお問い合わせは、 下記までお願いいたします。 お問い合わせ

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  • 読書猿『問題解決大全』 - デカルトの重箱

    Author:Kasai Daichi デカルトマニア。 ●ウェブサイト→kasainote.net ●デカルトの重箱→ブログ全記事リスト ●デカルトの森→YouTube動画を配信中

  • 哲学者が考える「独学」を効果的に実践するための“メタ方法論”(山野 弘樹)

    「独学」が必要とされる時代 「確実な答えがない」と言われる時代の中で、いかにして自ら思考する力を身につけられるのか。 ――こうした問いに引き寄せられるかのように、いま「独学」についてのが非常によく売れています。 学校教育だけでは学ぶことのできない知性を、多くの人たちが欲しているのかもしれません。 ある種の「独学ブーム」の到来なのでしょう。 ですが、「確実な答えがない」と言われる時代の中で、人々はなおも「確実な一つの答え」を欲し続けているように思えてなりません。 例えば、「このを読めば賢くなります」といった類のがよく出版され、人々によく読まれています。それは、「最短で頭を良くするための勉強法の答え」を人々が欲しているからです。 また、SNSの中では、世界の状況を極端に単純化して捉えるようなデマや陰謀論が幅広く支持されています。それは、「この世界の真実を教えてくれる答え」を人々が追い求め

    哲学者が考える「独学」を効果的に実践するための“メタ方法論”(山野 弘樹)
    Tomosugi
    Tomosugi 2021/07/18
    骨太な、血の通った、知の構築・方法論
  • 第1回 元祖・自己啓発哲学者、エピクテトスって?|人生がときめく知の技法|山本 貴光,吉川 浩満|webちくま

     またえらいタイトルの連載がはじまっちゃったね。 吉川 うん。ついにこの日が来たかっていう。 山 どういう日だよ。 吉川 だってエピクテトス先生について存分に語れる機会だよ! なんといっても我々の心の師匠だからね。 山 そう、直接教えを受けたわけじゃないんだけどね。なにしろ2000年前の人だから、話を聞きに行くわけにはいかない。いわゆる私淑ってやつです。 吉川 うん。我々が勝手に師匠呼ばわりしているだけ。でも、なにか悩みごとが生じたり判断に困ったりしたとき、エピクテトスの言葉がどれだけ心の支えになったことか。 ■ パスカル、漱石をとりこにした『人生談義』 山 「誰だそれ?」という人のためにちょっと説明すると、エピクテトスは紀元1~2世紀のギリシャ・ローマで活動した哲学者で、「ストア派」と呼ばれる哲学流派の代表格。奴隷の身分から身を起こして哲学教師として生涯を閉じるという波乱の人生

    第1回 元祖・自己啓発哲学者、エピクテトスって?|人生がときめく知の技法|山本 貴光,吉川 浩満|webちくま
  • 新著『ゲンロン戦記』が異例のヒット…東浩紀氏に聞く「インターネットの失われた10年間」

    哲学者の東浩紀氏の新著『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』が、世代を超えて話題を呼んでいる。 学会や文壇の常識には囚われない「知のプラットフォーム」を志し「ゲンロン」を東さんが創業したのが2010年のこと。これまでの葛藤を赤裸々につづった奮闘記は、起業家やビジネスパーソンのみならず、コロナ禍で不安を抱えながらも自分の道を切り拓こうともがく若者にも支持されている。 『ゲンロン戦記』には東さんとゲンロンが、混乱の中を戦い続けた「2010年代」が描かれている。SNSが影響力をもち、個人が自由に情報を発信できるようになったことは「アラブの春」に象徴されるような“革命”にも影響を与えた。その一方、分断やメディアビジネスにまつわる歪な構造をも生んだ負の側面もある。 「インターネットの力を信じられなくなった」と失望を語りつつ、それでもネットや出版を通じて自らが信じる哲学を試行錯誤してきた東さん。201

    新著『ゲンロン戦記』が異例のヒット…東浩紀氏に聞く「インターネットの失われた10年間」
  • 東浩紀「緊急事態に人間を家畜のように監視する生権力が各国でまかり通っている」 | AERA dot. (アエラドット)

    東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン代表。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数 ※写真はイメージ(gettyimages) 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。 *  *  * 生権力(せいけんりょく)という言葉がある。フランスの哲学者フーコーの概念で、人間を家畜のように捉える権力を意味する。たとえば税制を変えれば出生率も変わるが、そのようにして集団を「管理」するのが生権力である。 生権力の働きは、非人称で政治的に中立なふりをしてくるので抵抗が難しい。だからこそ警戒が必要だとい

    東浩紀「緊急事態に人間を家畜のように監視する生権力が各国でまかり通っている」 | AERA dot. (アエラドット)
  • 國分功一郎さんインタビュー 考えるための読書術|じんぶん堂

    國分功一郎さん 書籍情報はこちら 人文書は日で読まれている ――AIの時代、自分で考えることがますます重要になっています。そういう意味では読書、とりわけ人文書を読む意義が高まっていると思いますが、出版関係者からは読書離れが止まらない、人文書が読まれないという声を聞きます。 僕はいろいろな国を知っているわけではないけど、日は比較的、人文書が読まれている方だと思います。海外で、僕が書いた思想や哲学のの売れ行きを話すと、そんなに売れているのかと驚かれます。 僕は今度、英国の出版社からを出しますが、英国では人文書は日のようなビジネスにはなっていません。僕が一緒に仕事をしているのが大学出版だからかもしれませんが、一般の読者に読んでもらうというより、研究成果を形にして残すために出すという印象です。 そもそも人文書はそんなに読まれるジャンルではないでしょう。にもかかわらず、日ではそこそこ読ま

    國分功一郎さんインタビュー 考えるための読書術|じんぶん堂
  • 東浩紀が時代の節目に自らを振り返る――「平成という病」(Book Bang) - Yahoo!ニュース

    昭和天皇が崩御したとき、ぼくは一七歳だった。いまは四七歳だ。平成はそのあいだの三〇年を占めている。つまり平成は、ぼくの人生の知的で生産的な期間と完全に一致している。昭和期は仕事はしていない。すべての仕事は平成期に発表された。そしてぼくはいま五〇歳近い年齢であって、まったく新しいことを始めるのはむずかしい。新元号でも仕事はできるだろうが、それは平成期の延長にならざるをえない。つまりはぼくは質的に、平成の批評家であり哲学者であり書き手なのだ。平成というのは、ぼくにとってそういう時代である。 その事実はぼくを憂にする。というのも、ぼくは平成が好きではないからだ。字面からして好きではなかった。三〇年前、ブラウン管のなかで(当時はまだブラウン管だった)官房長官が「平成」と書かれた色紙を掲げたのを見たとき、なんて間抜けな命名かと感じたのをよく覚えている。 そう、平成はその名のとおり間抜けな時代だっ

    東浩紀が時代の節目に自らを振り返る――「平成という病」(Book Bang) - Yahoo!ニュース