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増田と思想に関するkash06のブックマーク (2)

  • 市民的公共性は存在する(が千田氏の思うようなものではない)

    辞書的に言えば「市民的公共性とは、ハーバーマスが『公共性の構造転換』(1962)の中で提唱した概念。ホルクハイマーらの『人間の理性が頑張っても幸せにならないんじゃないの? だってナチスとか出てきたし』という悲観に対するカウンターとして提出された。ハーバーマスにとっての公共性は人間が自由平等連帯で幸せになっていくためのベースとして存在している」といった感じ。 ~性というのはいかにもベースとして弱そうだが、ドイツ語のÖffentlichkeitは「Public sphere=公共圏」と訳すこともできるというかこっちのほうが適切だと最近は言われている。なので以下では基的に公共圏で統一する。 で、市民的公共圏って一体何よ?それはハーバーマス自身もよくわかっていないようである。その証拠に大学図書館には「公共圏ってたぶんこういうのだと思います(こういうものだったらいいな)」というが溢れている。たぶ

    市民的公共性は存在する(が千田氏の思うようなものではない)
  • 西部邁の自死に思いのほか動揺している

    何なんだこの喪失感は。 断っておくが、西部の主張に同意したことはない。 多様な人々が共存して暮らしていく現代社会では、 多様性を肯定するリベラル的な価値観は、全てのベースに存在するべき前提だと信じている。 西部の、上記観点からは諸々居直って足を引っ張るだけの主張に、私の理性が同意したことは過去一度もない。 どんくさいおじいちゃん。 それが私の西部への印象だ。 だがしかし。 何なんだ。 この半身がもがれたような喪失感は。 思うに、保守とリベラルは、双方共が、社会にとって必要なんだ。 保守派の主張が、リベラルの価値観をあざ笑う事があってはならないし、 リベラルの主張が、保守派の居場所を駆逐してはいけないんだ。 双方が、合意に達する事がないと分かった上でなお、 対話と交流を続けることが必要なんだ。 こんなことは私の望んだ結末ではない。 ご冥福をお祈りします、なんて行儀よくいう事なんてできない。

    西部邁の自死に思いのほか動揺している
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