『ヒカルの碁』再論 ぼくのホームページを見たカンタさんというかたから、そのやりとりのなかで、次のようなメールをもらいました。 ぼくとしては思うところが多かった文章なので、カンタさんの許可をえて掲載させてもらい、あわせてぼくの再論も以下に付記しておきます。 紙屋さんは「『ヒカルの碁』の面白さというものは、「成長物語」は「成長物語」なんだが、実は、この「成長物語」をこれまでの少年漫画にないほどくわしく、段階的に描いたことではないかと思っている。」という風に書いています。 読み返してぼくが思ったのは、もちろん「ヒカルの碁」は「成長物語」であり、類のないくわしさでもってその段階が描かれているわけですが、それを超えたところにもっと本質的なものがあるんじゃないか、ということでした。 「成長」というものを可能にするのは、まずは表面的には佐為の存在です。 佐為との出会いによって、まず塔矢アキラに火がつき、