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インタビューと福島第一原発事故に関するtakeishiのブックマーク (4)

  • 『いちえふ』作者「取材じゃなく“就活”で福島原発に行った」

    「やられた」と感じたジャーナリスト、編集者は相当多かったのではないでしょうか。 福島第一原子力発電所の収束作業に現場作業員として潜り込み、その実態を自ら体験、そしてその成果を、「マンガ」で世に問う。マンガ週刊誌「モーニング」(講談社)で2013年10月31日号に初めて掲載された『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記』は、硬派なテーマを、圧倒的なリアリティにペーソスを絡めて紹介するルポとして人気を集め、昨年4月の単行第1巻は新人としては異例の15万部スタート。その後も不定期連載を重ねて第2巻が今年2月に発売されました。 私も編集者の端くれとして、「こんな手があったのか、思いついたヤツは天才だ」と唸りました。こう思う誰しもの頭に浮かぶのは、『自動車絶望工場』(鎌田慧)でありましょう。1973年に出た、トヨタ自動車の社工場に期間工として働いたジャーナリストによる、工場現場の過酷さを徹底的に批

    『いちえふ』作者「取材じゃなく“就活”で福島原発に行った」
    takeishi
    takeishi 2015/03/17
    「ちょっと萌えアニメっぽい感じに」うっかりするとタイトルが「いちえふ!」になっていた可能性が
  • ザ・特集:萩尾望都さんが描く原発 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇胸のざわざわ、抑えたくて/つらい話ほど柔らかく/従来の世界、戻れない 漫画家の萩尾望都さん(62)が、東日大震災と東京電力福島第1原発事故に触発された作品を相次いで発表した。デビューから約40年、少女漫画というジャンルを超える名声を築いた萩尾さんが、そこに込めた思いとは何か。【田村彰子】 一面の菜の花畑の中に少女が2人、たたずむ。チェルノブイリの女の子が主人公に渡そうとしているのは、土壌汚染の除去に役立つとも言われる菜の花の種まき器だ。遠景には、水素爆発などで壊れた4基の原発が--。 小学館の少女漫画雑誌「フラワーズ」8月号(6月発売)に萩尾さんが発表した「なのはな」の一場面だ。 「原発事故後の心がざわざわする日々の中で、最初に頭に浮かんだのがあの場面だったのです。そして、それを描いてみたいと思った」 「なのはな」は震災で祖母を亡くし、原発事故のために避難生活を送る福島の少女が主人公だ

  • ザ・特集:「原発難民」となって--元宇宙飛行士・秋山豊寛さん - 毎日jp(毎日新聞)

    人初の宇宙飛行士として、90年に旧ソ連(現ロシア)のソユーズ宇宙船に搭乗したジャーナリストの秋山豊寛さん(69)。その後、福島県旧滝根町(現田村市)に移住、有機農業に取り組んでいた。福島第1原発の事故を受けて、今、どこで、どんな思いで過ごしているのか? 訪ねてみた。【大槻英二】 ◇福島で農業15年、群馬へ/平和な老後、破壊された/経済成長に頼らぬ生き方を 「こっち、こっち」。待ち合わせ場所のバス停に、長をはいて現れた秋山さんは真っ黒に日焼けし、すっかり「農家のオジサン」になっていた。ここは福島県ならぬ群馬県藤岡市の鬼石(おにし)町。そのまま埼玉との県境を流れる神流(かんな)川のほとりにある田んぼに案内された。有機農業に取り組む知人から借りた6畝(せ)(約6アール)の水田。7月の初めに手植えをした。 「福島では5月20日前後に田植えをしていたけど、なかなか水温が上がらなくてね。ここは稲

    takeishi
    takeishi 2011/07/29
    福島第一から32km地点で農業を営んでいた
  • 「ヨウ素はなかなか落ちなかった」自衛隊特殊武器防護隊長が語る

    福島第1原発の事故現場の状況とは――。陸上自衛隊は2011年7月9日、福島県南相馬市の馬事公苑内で、第102特殊武器防護隊の菱沼和則隊長と中央特殊武器防護隊の岩熊真司隊長のインタビューを実施した。 3月17日、福島第1原発の事故後初めて自衛隊が地上放水を行った際、現地で指揮を執った菱沼隊長は、被曝した隊員の除染時「ヨウ素はなかなか落ちなかった」と語った。 ■「ヨウ素がなかなか落ちないというのを肌で感じた」 ――福島第1原発への放水で困難だったことは? 菱沼隊長: 当時はまだ、携帯電話があまり繋がらなかった状況。無線も中継地点が立ち上がっていなかったので届かない。連絡手段がなかなか取れなかったのが困った。放水にあたっては、日頃一緒に訓練をしている隊員たちではない人達の集まりだった。正式に命令をもらったのは17日の朝。(福島県いわき市の)四倉パーキングに集まった集成部隊だったので、意思の疎通を

    「ヨウ素はなかなか落ちなかった」自衛隊特殊武器防護隊長が語る
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