東京都のものづくり企業の縮小が続いている。都内製造業の事業所数は約10年で半分になった。東京への人口一極集中の進行に伴い、かつて町工場が栄えた地域でも「ベッドタウン化」が進む。危機感を強めた行政や金融機関は、ものづくり再興に向けて連携を強め、企業も「次の一手」を模索する。「この会社興味あるんですよね。1回行ってもいいですか」。11月下旬、東京都墨田区の東(あづま)信用組合に区内の各金融機関の担
JITからのコペルニクス的転回か 筆者はサプライチェーンのコンサルティング会社に属している。コロナ禍以前と以後では、問い合わせの内容が異なっている。以前は、「働き方改革」「人工知能(AI)/RPA(Robotic Process Automation)の活用」といったテーマが多かった。 それがコロナ禍以後は、「働き方改革」はピタリとなくなった。それまで遅々としてテレワークなどは進まなかったのに、コロナ禍では背に腹は代えられないと、議論や手法論をすっ飛ばしてただちにテレワークの実践が進んだ。この日本人の火事場の転換力には感心した。一方でAIもRPAも現実的な応用に限界があると企業が感じたのか、次のデジタル・トランスフォーメーション(DX)にテーマが移っていった。 そして、コロナ禍以後に増えたのがコスト削減の相談や、在庫に関わる相談だ。コロナ禍が始まった直後はコスト削減についての相談が多かった
いま注目の「ホールガーメント」という技術をご存じだろうか。和歌山県に本社があるニット編み機の大手メーカー、島精機製作所が開発した独自の先端技術で、ユニクロが2018年9月に販売開始した「3Dニット」もこの仕組みによって生み出された。全自動で1本の編み糸から1着のニット服を丸ごと編み上げる技術は、まさに日本が生んだイノベーションだ。テクノロジーの力でものづくりの可能性を広げる同社の取り組みは、メイド・イン・ジャパンの製品にどんな付加価値を与えていくのか。島 三博社長に聞いた。 縫い合わせ不要の技術で無数50万通りの編み方が可能に――1962年に創業した御社は、手袋の編み機から始まり、現在はコンピューター制御のニット編み機で世界のトップシェアを誇ります。手袋からニット服へ、どのように発展していったのでしょうか。 島:手袋編み機の自動化が私たちの事業のスタートです。昔の手袋というのは、指の1本1
キヤノンが自動化を武器に生産の国内回帰を進める。2019年の稼働を目指し宮崎県にデジタルカメラの新工場を建設する。投資額は200億円程度とみられる。国内にカメラ工場を新設するのは08年に長崎工場の建設を決めて以来。今後は一部コンパクトデジカメの国内移管も検討する。新工場は宮崎県高鍋町に建設する。敷地面積は30万平方メートル。9月中にも土地を取得する。宮崎県内の別の工場で生産していた一眼レフカメ
PC、車、掃除機といった機械は工場の製造機械で作られるよね? その工場の製造機械も「工場の製造機械を作る工場の製造機械」で作られるよね?人の手では無理だし。 じゃあ、その機械を作る機械を作る機械・・・・・・・・・は最終的にどんな機械が作っているの? どっかで円環構造になっている?じゃあ最初はどこから作り始めたのか?
図2:東北エプソン(山形県酒田市)。最寄り空港である庄内空港からは松本空港へのセイコーエプソンの社有機を利用した社員専用便が毎日運航され、生産拠点と研究開発拠点をつなぐ。 「2013年以降、労働集約型の海外工場に比べて、自動化設備を積極的に導入した国内工場の方が労務費の面で安く抑えられている」。そんな衝撃的な事実を公表したのは、セイコーエプソン 取締役 機器要素技術開発本部 本部長の奥村資紀氏だ。2015年10月22日に開催された、東北エプソンのプリントヘッド工場の報道機関向けの説明会の中で明らかにした(関連記事)。 同氏によると「2012年までは、国内と海外の製品内労務費の差が10倍以上あった。2013年に国内の生産設備の自動化を進め、生産性を10.5倍に向上させた」。この取り組みは組み立てセル間の搬送や除給材といった作業もロボットに置き換えるほど徹底したものだ(図1)。 国内の人件費の
ホンダが2輪生産で国内回帰に大きく舵を切った。9月11日、中国やベトナムで9割以上を生産している50ccの原付バイクの大半を、2016年度末までに日本に戻すと発表。背景には、円安に加えて、現地の人件費が上昇しており、海外生産の利点が薄れていることがある。 メイド・イン・ジャパンに切り替えるのは、10月からフルモデルチェンジして発売する「ジョルノ」だ。もともと中国で生産していたが、11日から、国内唯一の二輪生産拠点である熊本製作所で新型車の生産を始めた。年間生産は1万8000台を計画。エンジンはベトナムから輸入するため、国内産の部品比率は24%(金額ベース)とまだ低いものの、今後、順次高めていく方針。エンジン生産の国内移管も検討している。 日本から中国、そして再び日本で生産
瀬戸内海を見渡す鉄工所。そこには溶接の真っ赤な光も見えないし、金属を切る甲高い音も聞こえない。代わりに感じられるのは、ほのかに香ばしい磯のにおい。ふりかけやせんべい、だしといった加工食品を生み出し、内外の料理人らをうならせている。 広島県呉市の中心部から車で30分。曲がりくねった山道を進むと、緑に覆われた段々畑の合間に顔をのぞかせる鉄骨造りの工場が「瀬戸鉄工」だ。 45年前の創業直後は、側溝用のふたや鉄管といった金属製品を、家族経営で作ってきた。その後、携帯電話向けのプラスチック加工にも参入したが、小さな町工場に変わりはなかった。 変身のきっかけは約30年前、近くの港町の食品メーカーから、イカの姿フライの容器づくりを頼まれたことだった。初代社長の瀬戸敏秀さん(故人)が工場を訪れると、姿フライを手作業で一つひとつ作っていた。「自動化すればもっと効率よく大量生産できるのに」。アイデアマンの血が
三菱重工業とIHIといえば、発電所用設備や産業機械、航空機関連など重厚長大分野を主力とする重工メーカー大手。その2社の“ある技術”が世界中の自動車メーカーから熱い視線を集めている。自動車のエンジンに搭載される「ターボチャージャー(過給機)」だ。 これは、大量の空気を強制的に送り込んでエンジンの出力(パワー)を増大させる装置。エンジンは空気が多いほど、より多くの燃料を燃焼させることができるため、ターボを装着すると出力が増す。かつてはスポーツ車のための特殊な装置だったが、近年では自動車の燃費改善のための重要なツールと位置付けられ、需要が急速に伸びている。 日本の重工2社はその世界大手メーカーで、両社の関連事業は右肩上がりで成長。IHIの2014年度の販売台数は591万台と前年度比で7%増え、売上高は1680億円と1割以上増える見込みだ。三菱重工も同17%増の630万台へと拡大。同社の事業売上高
【墨田区の町工場から世界へ!】 リーマン危機で窮地に追い込まれたバネ工場が「コラボ」に活路。 「てのひらトング」誕生秘話 東京都墨田区。町工場が密集するこの町で、バネ製造を手がけて80年以上の歴史を持つのが「笠原スプリング製作所」だ。リーマンショック後、主力製品だった板バネの売上げが激減。廃業も脳裏をよぎるなか、デザイナーとのコラボによる自社商品の開発に活路を見出した。結果生まれた「てのひらトング」は、新たな主力商品に成長している。同社の笠原克之代表に開発秘話を聞いた。 ■リーマンショックで取引先が倒産。「いよいよか」と覚悟した 笠原スプリング製作所は、私の曾祖父と祖父がつくった会社です。昭和4年に創業した当時、作っていたものは「巻きバネ」。鋼線を渦巻き状に巻いて、ビヨーンと伸び縮みするアレですね。戦時中は軍関係のお客さんが多かったようですが、戦後は自動車、印刷機、農機具、飛行機と、さまざ
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