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経営と製造業に関するtakeishiのブックマーク (6)

  • 鉄工所がつくる加工食品 ノウハウ生かした製造法で勝負:朝日新聞デジタル

    瀬戸内海を見渡す鉄工所。そこには溶接の真っ赤な光も見えないし、金属を切る甲高い音も聞こえない。代わりに感じられるのは、ほのかに香ばしい磯のにおい。ふりかけやせんべい、だしといった加工品を生み出し、内外の料理人らをうならせている。 広島県呉市の中心部から車で30分。曲がりくねった山道を進むと、緑に覆われた段々畑の合間に顔をのぞかせる鉄骨造りの工場が「瀬戸鉄工」だ。 45年前の創業直後は、側溝用のふたや鉄管といった金属製品を、家族経営で作ってきた。その後、携帯電話向けのプラスチック加工にも参入したが、小さな町工場に変わりはなかった。 変身のきっかけは約30年前、近くの港町の品メーカーから、イカの姿フライの容器づくりを頼まれたことだった。初代社長の瀬戸敏秀さん(故人)が工場を訪れると、姿フライを手作業で一つひとつ作っていた。「自動化すればもっと効率よく大量生産できるのに」。アイデアマンの血が

    鉄工所がつくる加工食品 ノウハウ生かした製造法で勝負:朝日新聞デジタル
  • 【メイドインジャパンの品位】倒産寸前の藍染絣工場から世界トップクラスのデニムメーカーに - リクナビNEXTジャーナル

    国産デニム生地のパイオニアとして業界トップシェアを誇る「カイハラデニム」。変貌自在の色合いや機能性を高めた生地を求めて、世界中の老舗メゾンが同社の拠点である広島県福山市を訪れる――。 広島県福山市新市町。駅を降りると緑が一面に広がる、のどかな山間地帯だ。福山・三原・尾道は、造船や製鉄など、さまざまな日の産業が入り混じる縮図のような場所として知られている。 「もともと非常に独立心が強い地域なんです」と語るのは、デニムメーカー・カイハラ株式会社の貝原良治会長。日三大絣の産地として知られていた新市町で、創業121年を迎える老舗繊維会社の4代目で、世界で最も藍色(インディゴブルー)の種類を知る人物と言っても過言ではないインディゴデニムの達人だ。 カイハラ株式会社は1893年、手織正藍染絣の製造会社として誕生。世界で初めて絣織物の広幅生産に成功するなど、当時より果敢な技術革新に挑戦する社風が特徴

    【メイドインジャパンの品位】倒産寸前の藍染絣工場から世界トップクラスのデニムメーカーに - リクナビNEXTジャーナル
  • Appleにも鴻海にもなれなかった日本メーカー

    1980年代後半以後、半導体産業で設計と製造の分業が進展した(前回の連載第6回で詳述)。設計と製造の分業は、企業機能の水平分業の一例とみることができる(図1)。図1で研究機能を大学に期待すれば、産学連携ということになる。 1990年代に入ると、電子機器・システムでも設計と製造の分業が進む。すなわちEMS (electornics manufacturing service) が大発展を遂げる。「iPhone」を設計する米Apple社と、その製造を受託する台湾Hon Hai Precision Industry社(鴻海精密工業、Foxconn)、この両社による設計と製造の分業が典型的だ(連載第3回参照)。 EMSは、その名の通り、電子製品の製造サービス業である。EMSは原則として自社ブランド製品を持たない。他社ブランド製品の製造を受託する。製品を製造する工場を持っているが、メーカーではない

    Appleにも鴻海にもなれなかった日本メーカー
  • なぜ日本HPは中国から東京に工場を移したか

    海外でつくるより国内製が強い理由 円高=産業の空洞化――。 史上空前の円高水準が続く状況を目の前にして、マスコミは常套句のようにこの公式を口にしている。しかし、円高になると産業が空洞化するというのは、当なのだろうか。 筆者が記憶している最古の円高は、1985年のG5によるプラザ合意の後の円高だ。1ドル235円だった円が、わずか24時間後には20円も値上がりし、1年後には1ドル150円台での取引が日常の風景となった。 あのときもマスコミは、「日の輸出産業は壊滅する。生産拠点の海外移転は必須だ」と喧伝した。円高=産業の空洞化を力説したわけである。 たしかにあの時代、生産拠点の海外移転が進んだのは事実だろう。日のメーカーが東南アジアに工場を建てることが当たり前になった。昨年、大洪水に見舞われていたタイのニュースを見ても、これほど多くの日企業が進出しているのかと驚かされることしきりである。

    なぜ日本HPは中国から東京に工場を移したか
    takeishi
    takeishi 2012/02/16
    日本生産のメリットは短納期と輸送コストとの事。確かにPCが20万円以上した頃はともかく、5万円以下になった昨今では航空便の運賃を製品価格に載せるのも割が合わなそうだ
  • 日本メーカの生き残る途 - 元ソニー取締役・金辰吉氏の講演から | タイム・コンサルタントの日誌から

    金辰吉氏と言えば、ソニー中村研究所専務、ソニー・グローバル生産革新部門長を歴任されたのち、独立して、現在は㈱ワークセルコンサルティング代表取締役を務められる著名な論客である。また、'90年代における日企業復活の原動力となった『セル生産方式』の命名者としても、よく知られている。その金氏が、先日の日経営工学会春季大会で「日メーカの生き残る途」と題した特別講演をされ、とても興味深い内容だったので、ここにその聞き書きを記しておきたい。 金氏とは以前、経営工学会の特別委員会で何度か同席させていただいたこともあるが、きわめて率直かつユーモアあふれる物言いをされる方だという印象がある。むろん、ここに記すことは私自身が聴衆として書きとったメモの内容であって、金氏の来の発表原稿や主張と差違があるとしたら、その責は私にある。 金氏の講演は、何枚かの新聞の切り抜きから始まった。まずは直近の経済新聞から、

    日本メーカの生き残る途 - 元ソニー取締役・金辰吉氏の講演から | タイム・コンサルタントの日誌から
    takeishi
    takeishi 2010/05/26
    日本家電業界が終わった訳と、セル生産方式について
  • キヤノンの一眼レフで不良事故が多発する理由、製造請負依存の死角(上)(1) | 企業戦略 | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンライン

    キヤノンの一眼レフで不良事故が多発する理由、製造請負依存の死角(上)(1) - 09/05/14 | 12:20 「あれ? なんで何も見えないんだ?」。都内に住む30代のプロカメラマンAさんが血の気の引く“恐怖体験”をしたのは昨年夏のことだ。愛用するキヤノン「EOS 5D」のシャッターを切っていると、前触れもなく急にファインダーの視界が真っ暗になったのだ。  「何だ?」。もう1回シャッターを押すと、今度は「カラカラ」という軽い音。突然の異変にレンズを外してカメラの内部をのぞき見ると、基幹部品であるミラーが落ち、光を感知する画像センサーの上に覆いかぶさっていた。  「仕事中に、エライことをしてくれたなという感じですよ」。Aさんは憤りを隠さない。同じカメラマン仲間には、今年初めに「5D」を購入し、使い始めた途端にミラーが外れてしまった例もあるという。「プロのカメラマンにとって、撮影中にカメラ

    takeishi
    takeishi 2009/05/15
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