グーグル、フェイスブック、ツイッターなど、人々の生活や働き方を変える技術と衝撃をもたらすインターネット企業を数多生み出してきた米シリコンバレー。この地にまた1つ、世界を変えようとするネット企業が脚光を浴びている。 その名は、エバーノート。パソコンやスマートフォンなど、様々な情報端末で作成した「メモ」をインターネット上に一元管理できる「Evernote」を提供する。極めてシンプルなコンセプトと使い勝手の良いサービスは瞬く間に心を捉え、利用者は急増。2008年のサービス開始から4年で、世界の利用者数は約4000万に到達し、日本、中国、ヨーロッパなど、世界的なサービスとなった。 当然、投資家もエバーノートを放っておかない。セコイアキャピタルやメリテックキャピタルパートナーズなど、シリコンバレーの著名なベンチャーキャピタルが同社に出資している。会社評価額は既に10億ドル(約800億円)規模となり、
ヤフーがどのようにFlickrをダメにしたのか? スタートアップが大企業に買収されるということ 2012.06.14 11:309,647 そうこ ウェブのスタートアップは2つのものでできている、人とコードだ。コードを書く人と、人々を豊かにするコード。コードは詩のようだ。決められたいくつかの条件を満たしながら、殻をやぶりつつ芸実的な表現をする。コードは、何かを起こすことができる芸術だ。純粋にアイディアから生まれる、全く新しい何かの集まり、それがコードだ。 これは、そんな素晴らしいアイディアの話。今までに誰も経験したことがなかった、今日のインターネットの形を変えた瞬間の話。これは、Flickrの話。いかにしてヤフーがFlickrを買収しダメにし、検索機能もろともめちゃくちゃにしてしまったか、これはそんな話である。 Flickrのキャッチコピーを覚えているだろうか? 「almost certa
前口上 今年の7月にリリースされてから、早々に公式サイドバー広告入りするなど英語圏で圧倒的な人気を集めるfavstar.fm。ふぁぼったーは2008年の1月から英語版サービスを展開していたにもかかわらず、なぜ英語圏の制空権を得られなかったのか。たまたま見つけた海外のふぁぼったーユーザーに Twitterで直接インタビューしてみた。 インタビューに答えてくれたのはjoshsharpさん、メルボルンのWeb開発者らしい。 Togetter(トゥギャッター) - まとめ「なぜふぁぼったーは英語圏で負けたのか(インタビュー原文)」 やりとりはとぅぎゃったーにまとめたので、簡単な和訳を記します。 インタビュー ―― こんにちは、私はふぁぼったーの開発者です。海外の方の意見が知りたいので、ふぁぼったーとFavstarについて質問していいですか? joshsharp: いいですよ、お役に立てれば。 :)
ネット業界のブログでよく見かけるのが、WEBサービスはひとりでつくる時代になる(たとえばこれ)とか、数うちゃ当たる的にWEBサービスを量産する戦略が可能性あるという主張だ。 はっきりいってそんなものにはビジネス的な成功の見込みがあるわけがないし、そもそも先行した成功例なんてものもないと思うのに、なぜ、みんながそういう主張をするのかというと、要するに他に方法が見つからないからだ。 つまりWEBサービスがあまりにも儲からないから、単純に掛け金を小さくして、人生や生活に影響を与えないようにしようという程度の理屈でしかない。一攫千金を狙うなら、万馬券に全財産を突っ込むよりは、毎月1万円ずつ宝くじを買った方がいいというのと同じぐらいの正論ではある。 だが、ギャンブルの場合ですら、およそ参加の敷居が低いものは、成功の期待値も低く設定されているものだ。競馬の場合はおよそ7割かえってくる配当金は、宝くじの
「最近、周りの人から“こくばん社長”って呼ばれるんです。それが1番大きな変化かな」――「こくばん.in」を開発した宗原吉則さんはそう言ってはにかむ。 こくばん.inは、Webブラウザ上の黒板ふうフォームに、チョークのような線で絵や文字を描いたり、黒板消しのようにぼかしたりできるサービス。フリーでFlashエンジニアを務める宗原さんが趣味で開発し、今年2月にオープンした。 当初は収益化に消極的。広告もほとんど張らず、サイトからの収入は半年間ほぼゼロだった。だがユーザーが増えるにつれ「このままつぶすわけにはいかない。ビジネスとしても成功させたい」と思うようになった。 8月に「株式会社こくばんin」を設立。本格的にビジネス化していく。Flashエンジニアとしての仕事もしばらく並行するが、今後は社長として、こくばん.inの業務に集中していく考えだ。 会社化しても当初と変わらず、妻と2人で運営してい
「最低2~3年はいる」。そう言って日本を出、米国シリコンバレーに飛び込んだはてなの近藤淳也社長が、1年半で日本に帰ってきた。この4月、はてなは本社を東京から、創業の地・京都に移す。 米国でやり残したことは、たくさんある。それでも日本に戻ると決めた。日本の京都から、世界に通用するネットサービスを作りたい。任天堂が京都から世界に、「Wii」を送り出したように。 米国では「これから」だったが…… 2006年7月、米国シリコンバレーに設立した子会社Hatena.Inc。オフィスを構え、近藤社長は妻の令子さん、開発スタッフと3人で、現地に移り住んだ。 第一線のWebエンジニアが賞賛しあい高めあう、シリコンバレーが好きだった。渡米した直後に参加した、Webアプリのイベント「Future of Web Application」。「digg」や「WordPress」開発者がヒーロー扱いされるのを目の当たり
成功は華々しかった。ブログツールの先駆けといわれる「Blogger」を開発し、Googleに売却すると同時にGoogleに転職。退職後に仲間と創設した「Twitter」は、SNSやブログに代わる新しいコミュニケーションツールとして、世界から脚光を浴びる―― その陰には大きな失敗もあった。Bloggerはネットバブル後の不況にあえぎ、資金繰りに行き詰まって一時期、社員全員を解雇。Google退職後に最初に手がけたサービス「Odeo」は、「資金を集めすぎて失敗した」と振り返る。 都内で開かれた「Web2.0 Expo」で11月16日、ウィリアムス氏と、Web2.0提唱者として知られるティム・オライリー氏が対談。BloggerからTwitterまでの道のりを振り返った。ウィリアムス氏は9カ月間オライリー氏の下で働いていたこともあり、うち解けた雰囲気で話が弾んだ。 Bloggerがくぐり抜けた「暗
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