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原宿に関するTomosugiのブックマーク (2)

  • 原宿駅

    ある日の暮方の事である。一人の少年が、原宿駅の跡地で雨やみを待っていた。朽ちた柱に蔦の絡みついた、いまにも崩れ落ちそうな原宿駅跡地は、その昔、若人が大勢集う、たいそう賑やかな駅であったという。かつてこの地は「原宿」と呼ばれており、商いで栄えていたそうな。今は広大な荒れ地が広がり、かつての栄華は見る影もない。少年は荒野の真ん中でただ一人きりであった。ただ、所々地面から、かつてのビル群の瓦礫が顔を出している。少年は雨が止むまで、その瓦礫を見詰めて暇を潰すことにした。あれは、セシルマクビー、ピンクラテ、そして…Q-pot CAFE。少年は歴史がたいそう得意であった。 何故原宿がここまで荒れ果てたかと云うと、七十年ほど前、東京には、疫病とか五輪とか不況とか云う災がつづいて起った。そこで人々は住まいをこぞって京都に移し、それに続いて都も移された。およそ二百五十年ぶりの遷都であった。人の消えた東京のさ

    原宿駅
  • 1982年の鹿鳴館、原宿「ピテカントロプス・エレクトス」誕生秘話

    80年代始め、私はアパレル会社の社員だった。 私を雇用してくれた位だから社長夫は凄く懐が大きく社風は個性重視かなり自由だった。社長夫の口癖は「カッコ良くあれ。無ければ作れ、衣住全てセンスだ!」だった。 「アメリカにある体育館風の安価な巨大な古着屋があれば良いのに!」 社長夫は自社ブランドと別に原宿に dept store をオープン。その1年後、日で初めてのクラブ「ピテカントロプス・エレクトス」を開店する事になった。桑原茂一氏と中西俊夫氏を中心に「いわゆるディスコでなく日初のクラブ」は原宿東郷神社から伸びる通称ラストロードの地下に作られた。 当時「クラブ」と言ったらいわゆるホステスさんのいる店を指す言葉だった。箱から発信する「クラブ」って何だろう? 違いは語尾の「ブ」の字を下げるか、上げるか。その位しか分からなかったが期待は高まるばかりだった。 工事は遅れに遅れ店名の装飾はケン

    1982年の鹿鳴館、原宿「ピテカントロプス・エレクトス」誕生秘話
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