「サイバー空間」という言葉も死後になりつつある いまでもインターネットは国家から自由だと思っている人はいるのだろうか。ほんの少し前まではインターネットにはそのような空気が満ちていた。それは日本のネットにアメリカの文化を残していた時代。とくにケータイという日本独自の文化が流れ込んだとき、ネットに日本色が強まり、自国色が強まった。 かつてネチズンなる言葉があった。ネットの市民権。いまではネットはGoogleなどの企業サービスが先行し市場優先、あるいはケータイによって日本色が強まり国民文化優先である。いまだにネチズン感をもっているのはiPhoneヲタのおじさんぐらいか。 それにともない「サイバー空間」という言葉も死後になりつつある。市民権から市場と国民文化へ優先度が移動することで、ネットコミュニティと実社会の主権対立の構造が薄れて、いまでは実社会との延長線上にネットがある。それでもまだ垣根はある