Copyright NHK (Japan Broadcasting Corporation). All rights reserved. 許可なく転載することを禁じます。 このページは受信料で制作しています。
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森と清流に囲まれた山あいの和歌山県田辺市龍神村。この村で、慰霊祭が開かれた。弔われたのは第2次大戦の末期に爆撃機B29で墜落して犠牲になった米兵ら。「敵、味方を超え、命を悼む気持ちから始まった」という慰霊祭は今回で70回目を数える。 この日の慰霊祭には、村人ら約150人が集まった。「第70回の節目を迎えられて大変うれしい。事件を忘れずに、心の中に平和の砦(とりで)を築くことが大切だと思う」。こう語りかけた龍神村殿原の元中学教諭古久保健さん(76)は40年近く、犠牲になった米兵の足取りを調べてきた。 1945年5月5日、この地に米軍のB29が墜落した。搭乗していた米兵11人のうち7人は死亡。生き残った4人は周辺で捕らえられた。「鬼畜米兵」と言われた時代だったが、村人たちは同情的だった。 当時、初等科2年生だった古久保さんの国民学校には、米兵2人が連行されてきた。竹やりを持って迫る村人もいたが
大空襲 一夜の奇跡 地下鉄・御堂筋線2009年12月26日 印刷 ソーシャルブックマーク 雄大なドームの心斎橋駅。1945年3月の大阪大空襲では、大勢の人が避難したという=大阪市中央区イルミネーションで彩られた師走の心斎橋を行き交う人たち=大阪市中央区空襲で焼け野となった心斎橋筋。左奥に大丸百貨店が見える=1945年3月、矢追又一さん撮影御堂筋線開通当時のあんどんが残る フォトギャラリー 年の瀬の夜、イルミネーションに彩られた大阪市の御堂筋。会社員や正月準備の買い物客らが慌ただしく行き交う。64年前、この一帯は火の海となった。 1945(昭和20)年3月13日深夜から14日未明。大阪市上空に、米軍のB29戦略爆撃機274機が来襲した。低空から投下された焼夷(しょうい)弾が、次々に木造の家屋を焼き尽くした。 12歳だった近藤豊子さん(76)=大阪府豊中市=は西区にあった自宅を飛び出した。
NHKの連続テレビ小説「ごちそうさん」の今週火曜(3月4日)放送の第128回では、大阪大空襲のさなか、ヒロイン・め以子(杏)たちが地下鉄の心斎橋駅構内に逃げこみ、さらにはホームに入ってきた電車に乗ってより安全な梅田方面へ避難するという場面があった。そもそもめ以子が地下鉄駅に避難したのは、夫で大阪市職員として地下鉄建設にかかわった悠太郎(東出昌大)から渡された手紙に「地下鉄に逃げれば安全だ」と書かれていたからだ。 このエピソードは、実話にもとづくものである。1945年3月13日夜から翌日未明にかけての米軍による大阪大空襲(第1次)の際、街が火に包まれるなか、大阪市営地下鉄の心斎橋駅に避難してきた人々を救うべく、電車が梅田方面や天王寺方面へ運行されたというのだ。 もっとも、空襲下に地下鉄を走った救援電車について公式な記録は一切残っていない。というのも、戦時中の地下鉄は軍事輸送に使われることも多
今週のNHK連続テレビ小説「ごちそうさん」。 戦時体制での政府や軍の愚かさや非情さを克明に描いている。今週始めのドラマでは、戦時中に流れていたラジオ放送が登場したが、当時は実際にこんな放送が行われていた。 「空襲はさほど恐ろしいものではないと?」 「そうです。爆弾というものはそれほど当たるものではありません。むしろ防空活動をおろそかにして街を焼けるにまかせる方が恐ろしい。敵の思うツボですから」 東京を始めとする大空襲で大勢の市民が犠牲になった背景に、当時の政府による「無謀な」指示や指導があったことをうかがわせる。 今週の「ごちそうさん」は、実はテレビドラマの歴史上で画期的なものだといえる。 戦時中の政府や軍による「愚かな政策」によって、空襲における市民の犠牲者が膨大になってしまったという過去の歴史を直視し、空襲における国などの無策をこれほど明確に示したことはテレビドラマではかつてない。 「
小野田寛郎さんが91歳で亡くなってから1週間がたった。じつは、私の父・津田信は、1974年に小野田寛郎さんがルバング島から帰還したとき、小説を一時的に書かなくなって、『週刊現代』などの週刊誌のアンカー原稿を書いていた。その縁で小野田さんの手記のゴーストライターとなり、『週刊現代』に「わがルバング島の30年戦争」(のちに講談社から出版された)を連載した。そして、それから3年後、小野田手記は小野田さんが話したことを脚色したものであることを、『幻想の英雄』という本で明らかにした。 当時、私は大学生で、世間が小野田さんの帰還に大騒ぎをしているのは知っていたが、まさか父親が手記を代筆しているとは知らなかった。もとより、「最後の日本兵」と言われてもピンと来なかった。 それが、あるとき、父から頼まれて「着替えを持ってきてほしい」ということで、一気に小野田さんが身近な存在になった。というのは、父は手記を書
英南西部ヨービルにある英海軍航空隊博物館は、戦時中に日本が米軍艦船への体当たり攻撃に使った特攻機「桜花」の修復作業を始めた。同博物館が11日までに明らかにした。太平洋戦争に関する新たな展示に向け、戦後に塗られたペンキをはがし、もともとあった塗装デザインに戻す計画。 現存する桜花は世界中で十数機しかないとされる。作業の過程では、機体の詳細な調査を行っており、塗装の下に隠れていた技術的仕様に関する日本語の記述も発見された。修復には数年かかる見通し。 同機は戦争の際に英国が入手した。1982年にロンドンの科学博物館から海軍航空隊博物館が譲り受け、30年以上、館内につるして展示してきたという。(共同)
日本の「軍艦」などを祭っている台湾南部・高雄市の道教霊廟(れいびょう)「紅毛港保安堂」の新堂が完成し、仮堂から神像や神艦を遷座する落慶祭がこのほど行われた。 高雄は日本統治時代、海軍と軍港の街として知られた。同堂によると、終戦直後、漁師が漁網にかかった頭蓋骨を地元の廟に祭って慰霊したところ、大漁が続いたため、1953年に保安堂を建立。その後、頭蓋骨が「日本海軍38号哨戒艇の艇長」を名乗って漁師の夢枕に立ち、「部下を日本へ連れて帰れなかったのが残念」と語ったと伝えられている。そこで漁師有志が90年ごろ、「魂だけでも帰れるように」と、「日本の軍艦」の模型を作り神艦「38にっぽんぐんかん」として奉納、追悼供養したという。 港に面した旧堂は再開発で2007年に移転を迫られ、堂管理委員会では神艦などを仮堂に遷座し、08年から3500万台湾元(約1億2200万円)を投じて新堂を建設。うち100万元(約
(CNN) ハワイ大学の研究所は、第2次世界大戦後の1946年に米海軍によって沈められた旧日本軍の巨大潜水艦「伊400型」が、オアフ島沖の海底に沈んでいるのを発見したと発表した。 伊400型潜水艦は、オアフ島南西沖の深さ約700メートルの海底で8月に発見され、米国務省と日本政府に連絡した後に発表したという。 伊400型潜水艦は全長約120メートル。姉妹艦2隻と合わせて当時としては世界最大の潜水艦だった。燃料補給を行わずに世界のどこへでも到達できる能力を持ち、当初は米本土を攻撃することも想定。800キロあまりの爆弾を搭載できる翼折りたたみ式の水上機3機を格納し、事実上の潜水母艦としての性能を持っていた。 結局米本土攻撃には使われず、限定的に運用されたのみで1945年の終戦を迎えた。 今回見つかったのは、終戦時に米海軍が拿捕した日本の潜水艦5隻の中の1隻で、調査のためハワイに送られていた。しか
米ハワイ大の海洋調査研究所は3日までに、旧日本軍の潜水艦の残骸をオアフ島沖の海底で発見したと発表した。原子力潜水艦が建造されるまでは世界最大級だった「伊400」で、第2次大戦の終結直後に米軍が押収、高度の技術がソ連の手に渡るのを警戒し、破壊して沈めた。 オアフ島南西沖の深さ約700メートルの海底で同研究所の有人潜水艇が見つけた。 伊400は全長約120メートルで翼を折り畳んだ攻撃機を3機搭載できた。給油無しで地球を1周半連続航行する能力があったとされ、旧日本軍は当時米国が管理していたパナマ運河などへの攻撃に使うことを検討したとみられている。 現地で調査した米海洋大気局(NOAA)の専門家は「それまでの軍事戦略を変える攻撃能力」を持つ潜水艦だったとしている。 米軍は戦後、伊400など旧日本軍の潜水艦5隻をハワイの真珠湾に移送して能力を調査し1946年に現場海域で沈めた。同研究所は92年からこ
引用元:http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1385730633/ 1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/29(金) 22:10:33.03 ID:dkqGWj5K0 今の自衛隊は楽すぎで、あんなのじゃダメだってさwww 10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/29(金) 22:24:32.60 ID:dkqGWj5K0 今南京虐殺の話してる あれは嘘だ!! 拷問はしたけどだってさ 11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/29(金) 22:25:46.97 ID:dkqGWj5K0 拷問の方法 塩水飲ませる ロープで氷張ってる池に入れて水攻め ただし軍務に関係ある時だけしかしないんだって 12:以下、名無しにかわりましてV
20日午前、北海道富良野市新富町の男性(57)から「自宅に不発弾があり、処分したい」と市職員に連絡があった。信管が残っており、陸上自衛隊第2師団(旭川市)が回収した。男性は少なくとも二十数年間、自宅に不発弾を保管し、床の間に飾ったり、倉庫に置いたりしていたという。富良野署員が駆け付けた際は軒下にあった。 富良野署などによると、不発弾は直径約7センチ、長さ約28センチの円筒形。旧日本軍が太平洋戦争で使用したとみられ、男性は「親族が戦地から持ち帰った。いずれ処分しようと思っていた」と話しているという。 男性が連絡した後、近隣の約20世帯が約3時間半、避難する騒ぎになった。不発弾は第2師団が爆破処理する予定。
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