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歴史と東日本大震災に関するtakeishiのブックマーク (6)

  • 「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11 | ハフポスト

    オーストラリアに生まれ、日に40年以上暮らした歴史学者が、2011年3月11日、宮城県で被災した。彼はその日を、そしてそこから4年を、どう過ごし、考えたのか――。

    「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11 | ハフポスト
    takeishi
    takeishi 2015/03/12
    歴史家が当事者として語るあの震災
  • 津波で流された政宗の直筆手紙、奇跡的に発見 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    宮城県石巻市の旧家に代々伝わり、東日大震災の津波で流された仙台藩初代藩主・伊達政宗(1567〜1636年)直筆の手紙2通が5月31日、隣家の敷地で奇跡的に見つかった。 手紙は掛け軸になっており、海水をかぶり、多少変色したものの、ほぼ無傷。伊達家資料を研究している仙台市博物館によると、ともに嫁いだ娘に宛てた私信で、発見した所有者の男性は「もう見つからないと思っていた」と感激している。 手紙は、宮城県角田市一帯を治めていた石川家に嫁いだ次女・牟宇(むう)姫に宛てたもの。約400年続く石巻市湊町の旧家の20代目で、歯科医師内海伸宏さん(59)が所有している。入手経緯などは不明だが、代々、「政宗の手紙」と受け継がれ、内海さんが掛け軸に仕立てた。内海さん宅は土蔵とともに津波で全壊。掛け軸は木箱に入れて土蔵で保管していたが、建物ごと流され、内海さんが5月31日、がれきの中で先祖の位牌(いはい)を捜し

  • asahi.com(朝日新聞社):震災で2人死亡の九段会館、閉館へ 遺族会が国に返還 - 社会

    九段会館  日遺族会(会長=古賀誠衆院議員)が、東京都千代田区にある「九段会館」を閉館し、建物を国に返還する意向であることが7日わかった。同会館は東日大震災で天井が崩落し、2人が死亡。会館内のホールやホテルなどは現在休業している。  4月中旬に遺族会が理事会評議員会を開き、会館の営業を廃止することを決めた。所管する厚生労働省にも通知した。百数十人いる職員も解雇する方針だという。遺族会の関係者は「苦渋の選択だ。しかし2度とあのような被害を出してはいけない」と語った。遺族会の中では、歴史的な建造物として保存を望む声が強いという。  同会館は1934年に完成。36年の2・26事件では戒厳司令部が置かれた。戦後は連合国軍総司令部(GHQ)が接収していたが、53年に「日遺族会に対する国有財産の無償貸し付けに関する法律」が成立し、遺族会が国から借り受けて運営していた。

  • 東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。 国土地理院が作製した東日大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津

    takeishi
    takeishi 2011/04/20
    ひょっとしたら昔の方が数百年前の災害の記憶が残りやすかった可能性/我々はおじいさんのおじいさんの時代の話をどれだけ伝え聞いているか
  • 【現場から】「高所移転」集落救う 岩手・大船渡 | ニュース | @S[アットエス] | 静岡新聞SBS

    岩手県南東部の大船渡市。重要港湾を擁する港町は、高さ15メートルを超す津波にのまれ、一面がれきの街と化していた。中心街から北東に約14キロ。同じ海岸近くにもかかわらず、津波の難を逃れた集落があった。  「明治の大津波をきっかけに、集団で高い土地に移転したんだ」。大船渡消防署の元三陸分署長の木村正継さん(64)が教えてくれた。「高さ7メートルの防波堤も幅30メートルの松林もみんな流された。でも集落は無事だった」  アワビやホタテの養殖で知られる同市三陸町吉浜の集落は、1896年の明治三陸津波で住民の2割が津波にさらわれ、壊滅状態になった。復興に際し、「また必ず大津波が来る」と確信していた当時の村長らが、高台への集落移転を強く推進した。  「高所移転」が奏功して、1933年の昭和三陸津波では、死者・行方不明者は住民の1割にとどまった。国と岩手県も低利融資制度を設けて腰を入れ、当時、海岸沿いに

  • 三陸の津波後に建てられる石碑類について、NHKの2006年番組から聞き書き PE2HO

    Author:Betelgeuse Amazon画像いじり、クレイモア(漫画)、アインハンダー(ゲーム)などについてだらだらと続けるブログ。 その他、タクティクスオウガネタ、動植物ネタ、時事ネタ、宮城県・仙台ネタなども扱います。 はてなアカウント、fc2のこのブログ、twitterでおもに活動しています。それ以外のbetelgeuseさん達は同名の別人。HUMANオス。 Amazon.co.jpアソシエイト カテゴリー 未分類 (15)リンクや感想など (4)Amazon (107)雑記 (154)クレイモア (41)はてな (4)インスタントストア (5)PHSなど (11)PSP(PlaystationPortable) (13)アインハンダー (48)ニコニコ動画・YouTube (126)動植物 (117)事件・事故・単語などのメモ (261)コミック・ライトノベル (35)ゲーム

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